投稿者「上野 大樹」のアーカイブ

京アカゼミ東京出張編 関連書評記事

京アカゼミ東京出張編「政治哲学入門ゼミナール」では、NPO法人京都アカデメイアのウェブサイト上に掲載されている書評コーナーと連動させて、企画をおこなっています。3月3日のゼミナールでは、ふたつの文献(合田正人『入門 ユダヤ思想』と菊池章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム』)が輪読対象として指定されていますが、くわえて、上記のウェブ上にある書評記事を題材にしながらディスカッションを深めていくことができればと考えています。以下に指定の書評記事を事前に読んでくることで、当日の議論をより深く楽しむことができると思いますので、ぜひともチャレンジしてみてください。

 

【必修篇】

(1) ヘブライズムとヘレニズムについての基礎教養を身につける

http://www.kyoto-academeia.sakura.ne.jp/index.cgi?rm=mode4&menu=book_review&id=94

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京アカゼミ東京出張編「政治哲学入門ゼミナール」

 

〈ヘブライズムからの政治哲学〉

政治哲学というとJ.ロールズとその後の諸論争が有名ですが、それに先立ってヨーロッパからの亡命知識人たちが展開した政治哲学も注目されています。H.アーレントやL.シュトラウスがその代表です。ただ、社会契約論などをもちいてモデル化されたロールズらの理論とくらべると、そうした議論には特有の理解しにくさがあります。ヨーロッパ世界に培われてきた分厚い歴史や伝統をバックグラウンドとしながらさまざまな哲学的論議が繰り広げられるため、読み手の側にも教養(culture, humanities)が求められるのです。したがって、テクストの精読にくわえて、その背景にある歴史的コンテクストへの感覚をも養い、それに裏打ちされた読解が必要となります。一朝一夕に身につくものではありませんが、まずはおおよその見取り図を確認しておくことが有益です。本ゼミでは、ヨーロッパ文明の二本柱というべきユダヤ・キリスト教の聖書的伝統(ヘブライズム)と古代ギリシア・ローマの伝統(ヘレニズム)に注目し、非専門書を輪読しながら特に前者についてその概観を試みます(後者については「社会思想史」「社会思想」「社会倫理学」「アーレントからの政治哲学入門」(市民講座)などで概説した内容の繰り返しとなります)。

参加者は、かならず輪読文献を購入するか借りるかして事前に該当範囲を読んできたうえで、自分なりに問いや批判的意見を用意してきてください。読みながら何か引っかかった部分、よくわからなかったが大切だと感じた部分などについて、考えたり調べたりして自分なりの理解や見解をしめすことが重要です。

※ 本講座は、京都アカデメイアHPの書評コーナーと連動した企画です。

 

輪読対象文献

・合田正人『入門 ユダヤ思想』(ちくま新書、2017年)、第1~4章。

・菊池章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム』(ちくま新書、2013年)、第1~4章。

 

参考文献

・佐藤貴史『ドイツ・ユダヤ思想の光芒』(岩波現代全書、2015年)。

・田上雅憲『入門講義 キリスト教と政治』(慶応義塾大学出版会、2015年)。

・橋爪大三郎・大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、2011年)。

・田島正樹『正義の哲学』(河出書房新社、2011年)。

・ジョン・グレイ(松野訳)『ユートピア政治の終焉』(岩波書店、2011年)。

・マルセル・ゴーシェ(伊達・藤田訳)『民主主義と宗教』(トランスビュー、2010年)。

 

日時: 2018年3月3日(土)17時30分~19時30分

場所: 京都大学東京オフィス(東京駅・新丸ビル10階)

定員: 8名

参加費: 1,000円程度を予定(軽食・場所代や資料コピー代のみ)

* 参加希望の方は、3月1日までにseizitetugakuseminar*gmail.com までご連絡ください(*を@に置き換える)。先着順となります。

憲法思想勉強会(第1回分&第3回分)

昨年度、三回にわたって憲法思想勉強会「立憲主義の(不)可能性を考える」を開催してきました。今年に入ってからはまだやれていませんが、今秋のうちにいちど開くことができればと考えています(その際はまたMLで告知します)。
そのための準備も兼ねて、ここでこれまでの勉強会の内容をもとに、論点を箇条書きで簡単にまとめておきたいと思います。今回は第1回と第3回の分を掲載します。

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シャルリ・エブドの否定神学(2):内田樹『他者と死者』書評のポストスクリプト的考察

【承前】こうした意味では、非西洋圏では人権思想や民主主義はある種の「暫定協定(Modus Vivendi)」としてもっぱら機能してきたと考えるのが、おそらく妥当である。それは不可譲という意味で絶対的な価値ではなく、状況次第で変化するほかのさまざまな価値とのバランスのなかで差し当たり採用された、条件つきの価値である。状況によって諸価値の関係性とバランスは変化し、プラグマティックな調整過程のなかで、人権も民主主義もときに最優先の地位から引き下げられる可能性があるということである。いわば「その程度のもの」としての人権であり、民主主義なのである。実際的には、多くの場合、否ほとんどの場合にこれらの基本的諸価値はできる限り擁護されている。それでも、原理的には、それらは不可譲で無条件の価値としては擁護されていないのである。

 

言論の自由という価値の絶対性――シャルリ・エブド事件のケース

シャルリ・エブドの襲撃事件は、この問題を考えるうえでよいケースである。その後2015年11月により大規模なパリ同時多発テロが発生したために、1月のテロ事件もこれと併せて、国際社会が今後テロの脅威にどう対峙していくかという文脈へと還元されて見られるようになった。けれども、シャルリ事件が、こうした文脈とは別に、日本である種の驚きと違和感をもって受け止められてもいたことはあまり記憶されていない。ヨーロッパの知性にとって言論の自由のような基本的価値がどれほど大きな意味をもつのか、日本のジャーナリズムや文化人はじつは把握しきれていないのではないかという戸惑いが、あのとき一部には見られたのである。IMG_20150828_205203

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シャルリ・エブドの否定神学(1):内田樹『他者と死者』書評のポストスクリプト的考察

内田樹『他者と死者』の書評の末尾の部分で、評者は次のようなことを示唆した。西洋ではヘブライズムの一神教的伝統が近代社会にあってもどこまでもつきまとうために、そこからの逃走ないし脱構築のポストモダン的実践は、いくらフランス流のエスプリをきかせてもその身振りとは裏腹にどこか深刻なものがついてまわる。この点で、日本のニューアカデミズムの称揚したポップさとそれとはじつは似て非なるものだったのではないか、と。s38_07

だとすれば、近代の普遍性をまずは額面通りに受けとらず、その文化的・文明的なバックグラウンドに慎重に目をむけることがなお必要だというべきである。ここでは、こうした点についての簡単な考察を行ってみたい。世俗性を表看板とする近代社会を非西洋圏で確立させるうえで、キリスト教への「改宗」がそのための要件とはされていないのはもちろんである。しかし、少なくとも西洋世界の一神教的背景を知っていなければ、世俗的な理念――人権や民主主義――にたいして彼らが示す、ほとんど宗教的に映じるほどの強いコミットメントの源泉は理解できないだろう。

世俗化された近代的理念が、しかしある面では絶対的で超越的な価値として理解されていると考えなければ、たとえばシャルリ・エブド周辺のジャーナリストたちが示した「蛮勇」の本質はとらえることができない。自己保存を旨とする個人のもっぱら合理的な選択の結果として正義を考えるのでは、自己の生命を大きな危険にさらしてでもこの種の価値の実現に奉仕しようとする人びとの行動は、とても説明できないからである。 続きを読む