作成者別アーカイブ: 向畑悠平

哲学カフェについての雑感

こんにちは、京都アカデメイアの向畑です。

3月24日にアカデメイア・カフェ「SNSから哲学する」を開催するに当たり、宣伝を兼ねて哲学カフェについて多少ばかり参加、運営をした上で感じたことを伝えることができればと思います。

哲学カフェとは何か

哲学カフェとは何であるのか。具体的に何をするのかと言えば、テーマを決めて話し合う、それだけのことしかやってません。

哲学カフェはそもそも学問が研究機関としての大学に独占されていることに対して、より開かれて在るべきではないかという問題意識から始まりました。私個人的にも哲学は小難しい理屈ではなくもっと開かれて、そして「役に立つ」ものだと考えており、哲学カフェに参加、そして運営してきました。

哲学カフェは実践哲学的な試みだと紹介することが多いですが、実践的という言葉は何を意味するのでしょうか。理論の実践という意味なら哲学カフェで行われる対話が何かの理論に基づいて行われるわけではありません。臨床哲学という言い方もするそうで、ニュアンスとしては臨床という言葉の方がふさわしいのかもしれません。

哲学カフェとは何かという問いは結局哲学とは何かという問いです。哲学とは何かという問いに対しては本当に多くの答え、考えがあるとは思いますが、私はメタ的な次元で考えることだと思います。私自身を対象に捉えるような、私が生きている世界自体を一歩外から眺めるような思考が哲学的な思考ではないでしょうか。(メタという言葉自体が形而上学という意味ではあり、この説明は循環しているような気もしますが、単なる言い換えだとしてもメタ的の方が哲学的よりもわかりやすいような気がします)

なので哲学カフェもメタ的思考カフェです。普段自明のものとして過ごしている日常それ自体を対象にとり、考えることで哲学カフェはただの世間話とは一線を画すのです。

哲学は役に立つのか

役に立つ哲学という文言ほど胡散臭いものはありませんが、それでも私は哲学が役に立つと言いたいです。それは実学のように明日から使える知識ではありませんが、それでも私たちの底の方に溜まって豊かな土壌を形成してくれるのだと思います。

哲学の本質は考えることであり、考えることとは問題を持つことです。文献を理解することは問題を解決することに役立ち、必要なことですが最も大事なことは問題を持つことです。

哲学カフェとは問題を発見する場所、他者と問題を共有する場所であり、問題を解決する場所ではありません。しかし自分で考えることは紛れもなく哲学することであり、哲学カフェは私たちの心を耕すような営みではないかと感じています。

哲学カフェにおいて最も大事なもの

それは思考のアウトプット、つまり人に話すという行為です。自分の中で色々考えて、本も読んで何かわかった気になるのですが、いざ人に伝える段階になると考えていることの半分も伝わりません。話すという行為の中で思考が形を持ち、そして自分が理解していることを再確認させてくれるのです。

哲学カフェではそんなに難しい話はできません。諸学問の専門用語を使うことは控えてもらい、またどうしても必要な場合は説明を入れてもらうからです。普段難しい言葉を使う哲学書に対して不満を述べていても、いざわかりやすく直して話せと言われてもなかなかできないものですね。でもそこで話せることがその人に本当に身についている知識なのかもしれないと感じます。

長々と私見を述べてしまいましたが、これが私見であることは改めて述べてさせていただきます。今回の哲学カフェはSNSをテーマにしており、皆さんもある程度馴染みのあるテーマだと思います。入り口こそSNSですが、どこが出口になるかは見当がつきません。この見当のつかなさも哲学カフェの1つの魅力です。春の陽気に誘われて、少し考えてみる夜もいいのではないでしょうか。

3月24日、皆さんの参加是非お待ちしております。

第10回Academeia・cafe「やらない善か、やる偽善か」を開催しました

7月29日、第10回Academeia・cafe「やらない善か、やる偽善か」を開催しました。

今回は久々のカフェ・イベントであり、また、司会役を京アカに春から新加入させていただいた私が、会場も”カモガワラボ”さんでということで、装いも新たにリスタートです。_DSC0586

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