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大学は出たけれど

はじめまして。(ふ)です。
震災読書会で『「フクシマ」論』(開沼博)を読もうと企画したものです。
今回から僕もここに文章を書かせてもらう予定です。

僕は近畿大学文芸学部で日本文学を学んでいました。もともと近大付属高校の出身で高校時代によく高野文子などの漫画を読んでいて、大学に入ったら「文学を読むぞ!」と意気込んで文芸学部を選択したのでした。

それはまさに幸運な出会いでした。近畿大学文芸学部という場所はとても恵まれた教授陣、授業が盛りだくさんでまさか偶然入った学部でこのような体験ができるとは!と喜んでいました。

柄谷さんをよく知る先生から、昔は浅田さんが京大の学生を連れてきて近大生と京大生でよく議論をしたものだったと聞いたことがあります。それを聞いて僕はそんなことをぜひしてみたいなぁと思ったのですが“京大”と言う名前に怯えるばかりで(笑)実際に自分からそれを試してみようと動くことはありませんでした。

そして僕は大学をでた。普通に社会人となって一年目はミスばかりで怒られてばかりで辛い日々をおくっていた。しかしそれよりなにより、生きていてはりあいがない。
大学時代は読んだ本の感想を議論したり、小説家の講演会に行ったり、劇をみたりで毎日が刺激に溢れていた。いまは本の感想をだれかと話すにもそういった機会をなかなかもてない。どこかの読書会に参加させてもらいたいなぁとため息がでる毎日をおくっていたら、ネットで京都アカデメイアの存在を知りました。

どきどきする中、メールを送ると早速(も)さんと(む)さんからお返事がありとても嬉しくおもったのを記憶しています。

大西巨人は『神聖喜劇』のなかで(みつけられなかった)……
「学士様ならお嫁にやろうか」と呼ばれた時代から、「大学を出たけれど」(小津安二郎)という社会になりつつある(大意)
と書いていたとおもう。『神聖喜劇』の世界は、まだまだそれでも「大学出」は珍しくて軍隊独特の空気感に従わない主人公東堂などを指して「大学出はこれだから困る」ばりによく馬鹿にする言葉として使われていた。

「大学は出たけれど」この言葉は僕のなかでとても響きました。
いまだに大学時代に学んだ学問に興味があるが、1人ではモチベーションを維持して行くのが難しい。誰かとの議論の中に何かを発見することもある。どこかで「大学」と繋がっていたいという気持ちが依然として残っていました。

京アカの門を叩いてみて、本当によかったとおもっています。
まだまだしゃべったことない方もいるので、そのうちにぜひお話ができれば幸いです。
僕みたいな奴はきっとまだ沢山いるとおもうので、ぜひ京アカに連絡を。。。

唐突ですが、仙台の学生たちが中心になって行っている復興支援UST番組「IF I AM」がおもしろいです。京アカのUST放送の参考にもなるかもしれませんので、ぜひチェックを!個人的にはやっぱりしゃべっているひとにカメラが向けられた方が臨場感が出るのではないかとおもっています。

http://flat.kahoku.co.jp/u/volunteer16/Up2gJjldCKxbWnAu3vHP

最後に京都アカデメイアのイベントに興味はあるが遠方の方もいるとおもいます。
いつかSKYPEなどを使って座談会や読書会ができれば制約を突破できるのではないでしょか。雑談にも使えるとおもいます。もちろん新たな制約が出てきてしまうかもしれませんが。そんなわけで筆をおきます。これからもよろしくお願いします。

(ふ)