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毛利嘉孝著、
 『ストリートの思想――転換期としての1990年代』

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書名:ストリートの思想――転換期としての1990年代

著者:毛利嘉孝

出版社:日本放送出版協会

出版年:2009


 

 マルクス主義の失墜後、左翼的な言説が著しい凋落を示していることは周知の事実である。経済のグローバル化、ネオリベラリズム的言説の普及のなかで、旧来的な社会民主主義や共産主義は、説得的な対抗策を示すことができなかった。

 そのような状況のなかで、本書は「左翼的な思想」の新たな引き受け手を「ストリート」に見出している。


 


 その具体的な現れのひとつが、「サウンドデモ」である。


 「サウンドデモ」とは、シュプレヒコールを中心とする従来のデモとは異なって、サウンドカーが音楽を流し、デモ隊がそれに合わせて歌い踊りながらデモ行進する、という形式のデモのことである。党派や労組といった旧来の組織化されたデモとは違い、巨大なパペットや鼓笛隊、派手なバナーや旗に、それぞれが道化のような仮装(コスプレ)をしたデモ隊と、音楽だけではなくパフォーマンスとして新しい要素を多く兼ね備えている。(参考:サウンドデモ(はてなキーワード)



 転機となったのは、2003年のイラク戦争に対する反戦デモである。


 東京では、ロンドンのように50万人という規模ではないにせよ、芝公園には5万人ものが人が集まった。このデモの特徴は、あまり政治に関心がないと思われていた若者や女性たちが多く参加していたことであった。


 特に若者の街として知られる渋谷では、2003年だけでも5月、7月、10月と引き続いて反戦デモが行われた。ヒップホップ・ラッパーのECDやレゲエ・ミュージシャンのランキン・タクシー、悪ティヴィスト/アーティストの小田マサノリ(イルコモンズ)などが加わっていたこともあり、渋谷のデモにはほかの街以上に若い人が多く参加していた(174-175頁)。


 


 この2003年のイラク戦争時の反戦運動を、1991年の湾岸戦争の反対運動と比較してみよう。


 91年の湾岸戦争の際には、柄谷行人や中上健次、いとうせいこう、田中康夫といった文学者・批評家たちによる反対声明が発表されて世間の注目を集めた。しかし、多くのメディアがこの反対声明を好意的に取り上げたにもかかわらず、湾岸戦争への反対運動はさして盛り上がることなく終結してしまった。(96-97頁)


 これに対し、イラク戦争時の反戦デモにおいては、中心的な役割を果たした知識人がいたわけではなかった。その代わりに登場したのが、ミュージシャンやDJ、作家やアーティスト、あるいは匿名性の高い無数の運動を組織するオーガナイザーである。こうした人々は、岩波・朝日知識人のようにマスメディアを通じてしか見ることができない有名人ではない。むしろ身のまわりのちょっとした「有名人」であえり、目に見える交友関係の延長線上にいる市井の人々であった。筆者は、こうした新しいタイプのオーガナイザーを、「伝統的な知識人」に対して「ストリートの思想家」と呼んでいる。「ストリートの思想家」は、アントニオ・グラムシが言うところの「有機的な知識人」の現代版である、と筆者はいう。(176-177頁)


 



 イラク戦争の反対運動を契機に広がりを見せた「サウンドデモ」という新しいデモの形式は、2000年代の運動のあり方を方向づけることになる。階級分化がはっきりと意識されるようになった2005年ごろから活発化したフリーター・非正規労働者の運動も、デモの形式においては、イラク戦争前後に形成された運動の延長線上にある。


 たとえば、高円寺の「素人の乱」を中心とした運動を見てみよう。「素人の乱」は松本哉を中心にしたリサイクルショップの名前である。2005年に高円寺の北中通り商店街の空き店舗を借りて作った第1号店を出発点に、松本とその友人はたちは店舗を拡大し、リサイクルショップだけではなく、古着屋やカフェなど店の種類を多様化させていった。2009年になると「素人の乱」は14号店にまで増えている。


  「素人の乱」を有名にしたのは、松本が中心となって組織する荒唐無稽なデモ活動である。たとえば、2005年には放置自転車の撤去に反対して「オレの自転車を返せ」をスローガンとしたデモを組織し、200人以上を集めて、DJやパンクバンドの乗ったサウンドカーと一緒に高円寺の街を練り歩いた。それは、その上端とも本気ともつかないメッセージの効果もあって、政治デモというより、一種の祝祭的な雰囲気を生み出した。


 この祝祭性はその後、2006年の「家賃をタダにしろデモ」に引き継がれる。サウンドカーを先頭にし、多種多様な格好をした若者たちが、思い思いのプラカードやバナーを掲げて踊っている様子は、現代版「ええじゃないか」を思わせた。


 2007年には「素人の乱」の中心的な存在である松本が杉並区区議選に立候補して、選挙期間中、高円寺駅前一帯を一種のお祭り空間に変えてしまった。伝統的で生真面目な政治でもやパーティは、今では高円寺を代表する文化のひとつとなっている。(202-203頁)


 


 共産党や労働組合が行う旧来的なデモと、2000年代以降の「新しいデモ」を分けるのはその「祝祭性」である、と筆者は述べている。それは「ストリートを取り戻そう」とする祝祭的な運動なのだ、と。


「サウンドカー、ダンスミュージック、打楽器や管楽器、派手なコスチューム、思い思いのプラカードや横断幕。それは、壮大なパフォーマンスを思わせるお祭りなのだ」。(9頁)



「素人の乱」のデモが掲げる、「自転車を返せ」「家賃をタダに」「クリスマス粉砕」といったメッセージの背後には、資本主義や警察、国家権力に対する批判を見ることができるが、「素人の乱」の運動が新しいのは、そうした政治的メッセージを祝祭的な空間と黒い笑いに包んで提示している点である。それは、過剰に道徳的になってしまった既存の左翼が失ってしまった面白さを取り戻す試みなのである。


「こうした若い世代の多くはマルクスも知らないし、全共闘運動にも過去の左翼運動にもほとんど興味がない。…伝統的な左翼はいらだつかもしれないが、実のところこれこそが、彼らの最大の長所である」。(207頁)


 新しい政治運動に込められているのは社会の閉塞に対する「怒り」だけではない。むしろ積極的に自分たちの民主主義を作っていこうという参加の「楽しみ」や、空間を共有し文化を創造するという、一種の「享楽」も混じった独特の祝祭性が存在している。それは、眉間にシワを寄せて行われる古い左翼運動・左翼言説が失ってしまっていたものである。(27頁)


 


サウンドデモに代表される、このような「新しい政治運動」が「新しい左翼運動」となり得るのか。70年代以降の左翼言説のと社会情勢の動向を的確にまとめつつ、2000年代以降の「新しい政治運動」および「ストリートカルチャー」に関する数多くの事例を紹介する本書は、その問いを考察するための重要な手がかりを与えてくれるだろう。


 


・ドキュメンタリー映画「素人の乱」予告






・「素人の乱」松本哉さんにインタビュー


 

(評者:百木 漠)

更新:2012/05/04