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村上龍著、
 『逃げる中高年、欲望のない若者たち』

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書名:逃げる中高年、欲望のない若者たち

著者:村上龍

出版社:ベストセラーズ

出版年:2010


 

 今の20代くらいの人たちならば、村上龍を中田英寿との交流によって知った人も多いはずである。彼らは一緒に本を出したり、テレビでトークしたりしているし、村上は中田を題材にした小説まで書いている(『悪魔のパス、天使のゴール』)。
 中田が今何をしているかはよく分からないが、もし、自分が何をすべきかをまだ模索している最中だとすれば、村上が本書で描いた日本の状況もまた、中田の状況と同じものに見える。
 本書を一読して特に気がつく点は、村上が現在の日本の状況に対して、どうすべきなのかわからない、とはっきり言っていることだ。

「経済的に豊かになったが、今20代半ばだったらと思うと、どうやって生きていけばいいのか見当がつかない」(pp. 53-54)

「上の世代に対し、尊敬ではなく、怨嗟を抱いている若者は少なくないだろう。若者の多くは無能だから職を得られないわけではなく、国際的な経済状況の変化の中で、犠牲になっている部分も確かにあるからだ。いったいどうすればいいか、わたしにはわからない」(pp. 163-164)

 社会が大きく変わっている、と色々なところで言われる。確かにその変化は目に見えて実感できるものである。だが、ではその変化の先に、どのような社会があるのか、そして私たちはどのように生きるべきなのか、そのイメージは全くわかない。本書を読んで、村上が「わからない」とはっきり言っていることがとても象徴的で、今は本当に先が見えない状況にあることがよくわかる。
 これはもしかすると、社会のほとんどの人々の本音なのではないだろうか。今までのような社会は成り立たないことが、実感を伴って分かってきた。村上は言っている。

「たとえ政権が変わっても、これで生活が良くなると無邪気に喜ぶほど、日本国民はバカではない。わたしたちは、やっと憂うつな真実に気づきつつあるのだ。(…)すべてがうまくいき、すべての人の生活が向上していく時代はとっくの昔に終わっている」(pp. 183-184)

 ではどうしたらよいのか?その答えを見つける義務は、現代に生きる私たち一人ひとりにある。「憂うつな真実」からもはや逃げることはできないのだし、そろそろそれと真正面から向き合わなければならないらしい。まずは、社会がどうしてこのような状況にあるのか、正確に分析することから始めていくしかない。「いったいどうすればいいのか、わからない」ならば、本気で考えるしかないのである。
だが、「よい兆しはどこにもない」(p. 185)という村上も、最後はこんなこと書いている。

「日本は、全体としてはひょっとしたらゆっくりと衰退していくのかも知れないが、すぐれた個人が多数現れているので、文化や科学技術やスポーツなど具体的な分野でめざましい成果を上げるだろう。現に、あなたの国でも、覇権をアメリカに譲り、政治経済の疲弊が頂点に達したころ、ビートルズが出現したではないか」(p. 187)

 実は私たちは、これからの社会を作りあげていくという幸運を手にしているとも言えるわけだ。だが、みながみな、ビートルズになれるというのでも、なるべきだというのでもない。私たちが生きているそれぞれの世界で成果を上げること。一人ひとりが担っている役割をきちんと果たすこと。「成功を考えてはいけない、考えるべきは、死なずに生き残るための方法である」。「憂うつ」さを振り払うのに遮二無二頑張るとただ空回りするだけである。今本当に必要なのは、氷のような情熱である。

 確かに村上の言うとおり、中田英寿がいなくなった後の日本代表の試合は、見ていて悲しくなるものがあった。それは今の代表のレベルが低いということではなく、試合の中でファンタスティックなものを観れるのではないかという期待が、中田がいないことで全く持てなかったことによる。しかし、W杯での試合は、そのような観客の気持を払拭するものであった事は間違いがない。そこには氷のような情熱があった。おそらく中田のような天才はなかなか生まれないが、フットボールが非日常の歓喜をもたらす芸術であることを思い起こすことは、容易にできるはずである。「よい兆し」は、実はすでに表れつつある。

(評者:積田俊雄)

更新:2012/06/14