書名:権力の空間/空間の権力――個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ
著者:山本理顕
出版社:講談社
出版年:2015

一、「あいだ」としての「閾」
 一昨年の映画『ハンナ・アーレント』のヒット以来、続けざまにアーレント関連本が出版されているが、個人的にここ最近読んでいて一番面白かったのがこれである。著者の山本理顕氏は著名な建築家であり、本書は「建築家の視点からアーレントを読み替える」という斬新な試みのもとに著された一冊である。正統的な思想史研究からは決して出てこないであろう独特なアーレントの読解や建築家ならではの自由な発想がそこここに散りばめられていて、読んでいて大変刺激を受けた。
 一般的な解釈では、アーレントは、古代ギリシアのポリスにおけるアテナイ人たちが私的な家(オイコス)を出て、公的な空間としてのアゴラ(広場)に集い、共同体のための政治的な議論を交わしたことを重視し、高く評価したのだと理解されている。アーレントは公的なものと私的なものを明確に切り分け、その両者を分断する「境界線」の役割を重視した思想家だとしばしば論じられるのである。
 しかし本書の著者は、アーレントを読み解くにあたって、「境界線」よりも「閾」という概念に注目している。「閾」(しきい)とは「二つの異なる領域の間にあって、その相互の関係を結びつけ、あるいは切り離すための空間」であり、公的領域と私的領域の「あいだ」に当たる領域である。おそらく日本人にとっては「敷居」と表記されるほうが理解しやすいだろう。つまりそれは門の内と外を区切る境目(境界)を意味するものである。
 こうして本書では、公的領域と私的領域を明確に区別(分断)する「境界線」ではなく、公的領域と私的領域の「あいだ」をつなぐ「閾」という概念に重要な位置づけが与えられる。公的領域と私的領域を二分法的に分けてしまうのではなく、公的領域と私的領域の「あいだ」にゆるやかなグラデーションを想定することによって、アーレントの公的/私的論を脱構築的に読み替えていくのである。古代ギリシアでは各住宅のなかにも「公的」な役割を果たす空間――すなわち私的領域内における公的領域――があり、それが都市(ポリス)における「建築的現われ(アピアランス)」を構成していたというのが本書の主張である。
 例えば、第一章冒頭の「“no man’s land”とは何か?」という読み解きがまず大変に面白い。『人間の条件』に記された「私的なるものと公的なるものとの間にある一種の無人地帯(no man’s land)」という記述に注目しながら、これは一体何を意味しているのか、というところから著者は話を説き起こしていく。日本語で「無人地帯」と訳された箇所の記述だけを読んでいても、これが何を意味しているのかを理解することはほとんど不可能である。しかし古代ギリシアの都市構造と住宅設計図を見てみれば、その謎は簡単に解けると著者は言う。
 すなわち、古代ギリシアの住宅は、男の利用する領域(アンドロニティス)と女が利用する領域(ギュナイコニティス)とに厳密に分けられており、この男の領域の中心は「アンドロン」と呼ばれるサロン・娯楽室であった。それは、主人が客人を招いて食事をとりつつ議論をするための場所であり、「饗宴(シュポシオン)」のための舞台であった。それはアテナイ人たちにとって政治を語り、文化を醸成・伝達するための重要な場所であった。このような住居内における「シュポシオン」のための空間こそが、まさにアーレントのいう“no man’s land”であったというのである。
 さらに著者は、このような「閾」の空間は、決して古代ギリシアに独自のものではなく、世界各地の住宅建築のなかに普遍的に見出すことができるものだと論じる(スペインの“recibidor”、イラクの“madhef”、インド・ネパールの「ダルワザ」など)。地中海周辺、中南米、中近東、インド、ネパール、アフリカなど、著者自身も関わった世界各地の集落調査の成果を参照しながら、公的領域と私的領域をつなぐ「閾=敷居」の空間(それぞれの地域における「建築的現われ」)がそれぞれの地域に適したかたちで存在することを明らかにしていく。こうして紹介される各地域の都市構造図や住宅設計図・写真などは、それらを見ているだけでも十分に楽しく、読者の興味をかきたててくれるものである。
 あるいは、伝統的な日本家屋にもこのような「閾」は存在していた。すなわち、どのように小さな家でも必ず門構えがあり、門から玄関を入ると式台があって、その奥に座敷があった。その座敷は「家族のための場所」ではなく、「公的な儀式のための場所」、「公的な人格を迎え入れる場所」であった。このように日本の家屋のうちにもやはり公的な領域と私的な領域の区別があり、公的領域は家父長の領域(男の領域)であるとされており、こうして客人を迎え入れるための座敷が「閾」を構成していたという。
 厳密にいえば、アーレントの想定した“no man’s land”が、本書のいう「閾」にあたる空間(すなわち、住居という私的領域のうちに設けられた食堂・サロンという半公的領域)を指すものであったのかどうかはやや疑問の余地が残るところである。評者自身は、“no man’s land”とは文字通りに「誰のものでもない土地」とでも訳すのが適当であり、それはアーレントのいう通り「家と家との間の境界線」、すなわち家と家の間に設けられた外面の空隙スペース(あるいは家と家を区切る壁)を意味するのだと解釈しているおり、住居内の半公共的なサロン的スペースを“no man’s land”と捉えるのはやや無理があるのではないかと考えている。しかし、公的領域と私的領域を明確に区別するアーレントの議論を裏切って、私的な領域のうちにも公的な領域があったのだと主張する本書の解釈は、常識的なアーレント理解を超えたユニークな視点をわれわれに提供し、新たな想像力を呼び起こしてくれる魅力がある。このような「生産的誤読」あるいは「建築家的誤読」こそが、かえってアーレント思想の新たな一面を引き出してくれているように思われるのである。

二、「閾」の消失
 ところが上記に述べたような、公的領域と私的領域の「あいだ」としての「閾」の空間は、近代化の進展とともに決定的に失われてしまったと著者はいう。近代住宅では、住宅はそれぞれの「家族のため」のものになり、完全に私的(プライベート)な空間となった。アーレントはこれを「私的領域」と区別される「親密なものの空間」(親密圏)の誕生として論じている。そのことの象徴は、主人が客人を迎え入れる「閾」の空間(客間、応接間)が現代住宅から姿を消し、家族のためのリビング(living)がその代わりを果たすようになったという事実のうちに見て取ることができるだろう。近代住宅は、公的領域と私的領域をつなぐ「閾」の空間を失い、都市における「建築的現われ」を失い、ひいては公的空間を喪失した。
 たとえば1851年のロンドンで開催された第一回万国博覧会に展示された、建築家ヘンリー・ロバーツの設計による労働者住宅のモデルハウス、アルバート館はそのような「閾」の消失を象徴的に示している。それはいわば世界初の住宅展示場であり、「労働者」のための住宅の誕生を告げるものであった。このアルバート館が画期的であったのは、そこに平面計画(フロア・プランニング)と動線計画(フロー・プランニング)が取り入れられ、住人の生活をより快適なものに誘導するよう設計がなされていたことであった。それまでのイギリスの建築家の仕事はもっぱらその建築の「現われappearance」(外面)をいかに美しくするかに重きが置かれていたのに対し、この労働者住宅では住人がいかに快適に生活し、健康を維持し、その生命〔生活life〕を再生産するかという点にもっぱらの注意が払われていたのである。
 著者が的確に指摘しているとおり、このような住宅建築の変化は、近代社会において「活動action」でも「仕事work」でもなく「労働labor」こそが中心的な営みになったというアーレントの洞察とぴったり合致している。すなわち、「労働者」とは自らの生命〔生活〕維持のみに関心を注ぐ存在であり、生活(生計)の維持、健康の維持、生殖、消費や娯楽にもっぱらの関心を注ぐ存在である。こうして近代社会では「生命〔生活〕life」が最大の価値基準となり、他者との対話(活動)や耐久物の製作(仕事)といった他の「人間の条件」は後景に退いていくことになる。近代的な労働者住宅の登場とそれに伴う「閾」の消滅は、そのような〈活動的生活〉の衰退を建築的に示してみせているのである。
 前近代的な住居が公的領域(閾)と私的領域の両方を併せ持っていたのに対し、近代以降の住宅は完全に私的な空間となり、家族のための空間となった。アーレントはこれを私的領域と区別した「親密的な領域」として規定している。ここに「ひとつの家族がひとつの住宅に住む」という近代的な「1住宅=1家族」システムが成立する。それ以前には数世代を跨いだ大家族や、血縁関係のない友人・知人や召使いや奉公人などが住んでいるほうが一般的であった。「家族だけの親密な生活」はあくまで近代の産物なのである。
 労働者住宅は、労働者たちの生活を均一化させると同時に、労働者たちの集会を防止し、労働者たちを適切に「隔離」するための機能を果たすものでもあった。二月革命における労働者たちの結束と暴動に恐れをなした資本家たちが、二度とそのような暴動を起こさせぬために「閾」を取り除いた労働者住宅の建設を計画させたというエピソードが紹介されている。労働者たちは均質的で快適な住宅を与えられることによって、家族との親密空間を享受すると同時に、公的な領域(閾)を放棄し、従順に労働と消費(再生産)の循環運動を受け入れる存在へと仕立てあげられていくことになるのである。これこそ、アーレントが〈労働する動物〉として描き出した近代人の姿に他ならない。
  ここで著者は的確にも、アーレントの「世界」概念と「社会」概念を対比させながら、「「世界」という空間を貪り食って成長(増殖)する「社会」という空間」を描き出している。アーレントのいう「世界」とは、人の一生を超えて存続し、人々の生活に安定性を与える永続的な空間を意味する。それは「仕事work」によって製作される耐久物によって構成され、われわれの生活にリアリティを与える役割を果たしている。他方で、アーレントにとっての「社会」とは、近代において登場してきた、流動的かつ増殖的な領域を指している。かつて私的領域(オイコス)でなされていた生命維持の営み・経済的な営みが国家大にまで拡張され、「超人間的な家族」として再構成されたのが「社会」であり、それはいわば「集団的家政collective housekeeping」の誕生を意味するものである。
 アーレントはこの「世界」と「社会」を対比させながら、近代においては「社会」が「世界」の安定性を貪り食いながら、その流動性を増長させ、その領域を拡張してきたのだと論じた。いわば「社会」が「世界」を侵食し、「世界」の安定性を掘り崩してきたのが近代化の過程であるというのがアーレントの基本的な図式である。
 本書でもこうした概念図式が的確に捉えられながら、その過程が住宅や都市の建築的変化と照らし合わされて叙述される。労働者住宅、居住専用住宅、標準的=官僚制的管理空間、「1住宅=1家族」システムなどなどの出現が、近代的な「労働中心社会」の建築的な現象形態として手際よく論じられていく。一流の建築家だけにこのあたりの詳細で具体的な説明は的確で見事であり、それらの説明にあわせて随所に引用されるアーレントの記述が、従来の思想史的解釈とは違った風貌をもって浮かび上がってくるのが興味深い。
 アーレント思想を空間論的な視点から読み解く、という試みはこれまでにもあったが、世界中の建築物、歴史上の建築物などの具体的な構造までをも参照しながら、アーレントの著作をここまで丹念に読み解いた著作はおそらくこれが初めてであろう。先にも述べたように、実際にアーレントが本書のいう「閾」なる空間を想定していたかどうかは、はっきり言って怪しい。no man’s landの記述を除けば、アーレントが具体的に「私的領域内における公的領域」、あるいは「公的領域と私的領域の〈あいだ〉」について言及している箇所はほとんど皆無だからである。しかしそのような読解の正否を超えて、アーレント思想の建築的(かつ脱構築的な)読解という本書の試みは、読者に多くの刺激を与えてくれる。それはアーレントの著作(思想)自体が、史実に照らしてみれば危うい解釈や論理を孕みつつも、その史実的な正否を超えて読者に想像的な刺激を与えてくれるのによく似ている。思想史研究者ではなく建築家がアーレントを読む意義は、まさにここにこそあるのだと言ってよいだろう。

三、「閾」の再構築
 本書の最後では、「閾」を失った近代の労働者住宅や、標準化=官僚制的管理空間への批判とあわせて、「選挙専制主義」の問題点が指摘され(現在の日本社会にとっても極めてアクチュアルな問題である)、その困難を克服するための処方箋として、「地域ごとの権力」および「地域社会圏」というアイデアが構想されている。
 著者自身が参加した群馬県邑楽町の設計コンペの事例が引き合いに出され、新しい役場庁舎の建築・設計にあたって、建築家(著者)が住民の意見を積極的に取り入れながら、協働作業によって役場庁舎の設計を進めていった経緯が説明される。住民どうしでの話し合い・議論(=活動)を経ながら、その場に存在しない未来の子孫のためにその役場庁舎を創る(=仕事)という点で次第に住民が結束し、設計プロセスが進められていったという実話は、そのままアーレントの〈活動的生活〉の実践である。にもかかわらず、この建築プロジェクトは地方議員の判断によって頓挫してしまったのだという。
 著者はこうした「選挙専制主義」をアーレントの議会制民主主義(間接民主制)批判と結びつけて論じながら、それに代替する「地域ごとの権力」および「地域社会圏」という地方自治のあり方を提唱する。すなわち、アーレントが『革命について』のなかでジェファーソンの提唱した「ウォード・システム」に着目していたことを紹介しながら、住民が積極的に「公的権力に参加」しうる「地域社会圏」という空間(自ら行うべきことを自ら決めることのできる空間)の創出こそが、現代社会に求められているものだと主張するのである。
 例えば、ヨーロッパの中世都市や日本の近世都市では、「見世=店」を持った家が連なって都市を構成していた。中世・近世都市では、このような「見世=店」が都市における「閾」(公的領域と私的領域の「あいだ」)と「建築的現われ」を構成していたのであった。そのような「見世=店」は、その奥にある私生活の場所とは厳密に区別されながら、都市のコミュニティ(政治的権力)に参加するための空間を提供していたのだという。つまり「建築それ自体が都市と関わることのできる空間的構造を持っていた」(本書、237頁)。そこでは「経済行為と住空間は一体化され」、「都市自治体(コミュニティ)に参加することが可能であるように建築そのものが設計されていたのである」(同頁)。こうした「経済行為と共にある居住形態」を取り戻すことが、「閾」を備えた公的/私的空間の取り戻しにつながり、それが「自らが決めるべきことを自ら決める」、「公的権力に参加する自由」が保証された「地域社会圏」の創出につながると著者は考えており、本書の最後にその構想を実現させるためのいくつかの具体的なアイデア(プラン)が書き込まれている。
 これも正確に言えば、本書が提案するこうした構想は、アーレント自身が構想した「公的/私的領域」のアイデアとは異なるものである。アーレントはあくまで「政治的なもの」と「社会的なもの」(経済的なもの)との区別にこだわり、「経済行為と共にある居住形態」がそのまま「公的権力に参加する自由」を実現するものだとは考えていなかったはずだからである。経済的空間である「見世=店」が、市民が政治(=公的なもの)に参加するための空間でもあるとは、アーレントはおそらく言わなかったであろう。その意味では本書はここでもアーレントを「誤読」している。
 しかしそのような「誤読」が本書の価値を貶めているとは評者には思われない。確かに最終的に本書が提案する構想は、アーレント自身が構想した「公的/私的空間」のあり方とは異なるけれども、しかしその構想がアーレントの構想に負けず劣らず、創造的で刺激的なアイデアをわれわれ読者に与えてくれるからである。アーレントが公的領域と私的領域のあいだに明確な境界線を引くことにこだわったのに対し、著者は公的領域と私的領域のあいだに「閾」という中間地帯(私的空間のなかの公的空間)を設けることを提案し、この「あいだ」にこそ、われわれの社会が「政治的なもの」を取り戻す可能性を見出すことができるのだと主張する。
 「あいだ」としての「閾」に注目するというこの建築家的かつ脱構築的なアイデアは、アーレントの思想を現代社会に応用するための重要なヒントをわれわれに与えてくれるはずである。アーレントの著作の魅力は、何よりもこうした刺激的で創造的な構想の種を読者に与えてくれるところにあるのであり、本書はそのようなアーレント思想の魅力を正しく再現してみせてくれているのである。

(評者:百木 漠)

更新:2015/09/08