京都アカデメイア

ホーム>>書評>>書評

梯久美子著、
 『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』

書評に戻る 修正 削除


書名:狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ

著者:梯久美子

出版社:新潮社

出版年:2016


 

本書は島尾ミホの評伝です。タイトルからは、従来語られてきた通りの、純粋で愛に満ちた狂女・ミホ像を描いたものかと思ったのですが、それにとどまるものではありませんでした。一見分厚い専門書でありますが、謎解きのような要素もあり、ミステリーを読むかのように一気に読んでしまいました。


***


長編小説『死の棘』は、第二次戦後派の作家・島尾敏雄の代表作です。簡単に紹介すれば「夫の浮気を知った妻・ミホが狂乱してゆくさまと狂乱の中での夫婦関係を描いた私小説」といえます。
個人的な思い出を書きますが、私が『死の棘』を知ったのは、高校の国語の先生が夏休み前に「推薦図書100冊」という冊子を配ってくれたのがきっかけです。それは先生が奥さんと共同で作成されたというものであり、推薦本の書名にそれぞれ短いながらも熱い推薦コメントがついていたのですが、その中に、

「読むな(夫) 読め(妻)」

とだけ書かれた本があり、それが 『死の棘』 だったのでした。ただならぬものを感じ、おかげで高三の夏を、ストーリーらしいストーリーもなくいつ果てるとも知れない『死の棘』とともに過ごすこととなったわけでありますが、その先生(と奥さん)のコメントが端的に示すように『死の棘』という作品は、一種「キワモノ」的に語られると同時に深すぎた恐るべき夫婦愛の物語としても読まれてきました。そしてそうしたイメージは、敏雄の死後ずっと喪服を着続けていたというミホ夫人の実際のエピソードなどとも相まって高められてきたのでしょう。一方で、その関係の欺瞞性を指摘した『男流文学論』(上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子、筑摩書房、1992)のような試みもあり、私は、島尾に関しては『死の棘』と数作品以外は読んでいない不熱心な読者であるものの、『死の棘』という作品とそれをめぐる虚実はうっすら気になり続けていたのでした。
よって島尾敏雄生誕100周年を前にこの分厚い評伝が刊行されたことを知り、読まねば、と手にとったのです。





本書の特徴は、ノンフィクション作家である著者による、ミホ本人への取材と、膨大な一次資料を基にした記述です。前者は、途中まで順調に進んでいたもののあるとき突然ミホ側の要請で打ち切られ、その理由の探索が本書の「謎解き」のひとつになっています。後者については、著者が島尾家の遺品整理への参加を許されたことで未発表資料も含む膨大な日記や書簡の参照が可能となったとのことですが、殊に、ほとんど強迫的な記録癖があったらしい敏雄の、遺された記録の膨大さに圧倒されます。まず頁を開けば、敏雄がミホに書かされた現物の血判書の写真が口絵になっており、『死の棘』の世界は事実だったのだ、と慄くのでありますが、しかし本書は、単なるミホの狂気の記録ではありません。



第一章では、戦時下の加計呂麻島で出会った二人の、手紙・ノートでのやりとりを丹念に追いながら、これまで解説者や批評家によって確立されてきた「まれびと(=島尾隊長)と南島の巫女(=ミホ)」の恋という一種ロマンティックな見方が批判されます。古事記や万葉集がふんだんに引用される二人のやりとりは、ミホが古代的巫女などでなく近代的教育を受けた教養ある女性であったからこそのものであり、また、島尾は、加計呂麻島にとってただ神聖なだけの「まれびと」でなく、国家権力のもと島民の命を左右する使命を負った闖入者でありました(註1)。
二人の恋愛が最初から「死」の影と、そしてその中で「書くこと」に支配されていた(むしろそれそのものが二人の恋愛であった)さまを、資料を通じて浮かび上がらせる筆力は圧倒的であり、ロマンティシズムの舞台裏が暴かれてゆくにも関わらず読み手は二人の激しい恋のテンションに巻き込まれてゆきます。



しかしその神話のように激しい戦時下の恋から一転、戦後、神戸で現実の結婚生活が始まると、ミホはかつて「隊長さま」として想い慕った夫に冷遇され、その女性関係や婚家での立場に苦しめられることになります。
妻となったミホの苦渋が書かれた第四章では、日本の結婚制度の中で多くの女が共有してきたであろう苦渋を思いましたが、ミホの場合それだけでなく、夫の実家では奄美出身ゆえの差別を受けることになります。島では誇り高い家系の娘として尊敬を受けていたミホは、島を捨て一緒になった島尾の家で、夫の父から「土人」と呼ばれるなど肩身の狭い思いをすることとなります。南島出身者への差別の記述に関しては、ちょうど昨年(2016年)の大阪府警による「土人」発言を思い出し、本土(関西)の人間の差別意識の根深さはまだ終わっていないのであるなと思いました。『死の棘』で書かれたミホの狂乱は、ただ夫の浮気のためだけでなく、こうして「結婚以来プライドを踏みにじられてきたことへの怒りと悲しみの噴出でもあった」(p.227)と著者はしています。


更にそれだけでなく、ミホは、作家・敏雄の小説の中に、愚かさや醜さをもった女として「書かれる」ことにも耐えねばなりませんでした。この時代は彼女にとって、敏雄に「書かれることが喜びであった時期」から「書かれることに耐えねばならなかった時期」(p.165)への移行でもありました。
この、「書く男-書かれる女」という関係が逆転するのは『死の棘』以降で、これ以降の島尾作品はミホの意向によって大いに制約を受けています。著者は、これ以降の二人の関係を、「書く」ことにおける主導権争いとして読み解いていきます。長男・島尾伸三の、両親の関係を「知力も体力もある二人が総力戦をやっていたような夫婦」(p.624)と喩えた言葉が記されていますが、さもありなんと思われます。
驚いた点としては、島尾死後に発表された『「死の棘」日記』にも、実はかなりミホの手が入っているということです。敏雄の作品がミホの清書を経ていることはこれまでも知られていましたが、著者はミホが所蔵していた日記原本を資料として、刊行されたものとの異同箇所を照らし合わせ(第十二章)、実際の日記には無かった文章をミホが挿入している部分さえあることが分かるのです。



さて話が前後しましたが、『死の棘』の発端となったのは、ミホが敏雄のノートに見てしまったという「十七文字」です。これを見てしまったことが、ミホの「発狂」の始まりとなります。
この「十七文字」については、敏雄がわざとそれをミホが見るように仕向けてノートを広げておいたという説が唱えられています。まさかと思いきや、諸々の状況証拠からは、それがけっして突飛な説ではないことが分かります(註2)。
そこから始まる狂乱の日々(つまり『死の棘』に書かれた日々)を敏雄は何度も、自らが受けるべき「審き」という語で表現していることを著者は指摘し、そこに、ミホからの審判を待つ思いと、戦時の加計呂麻島からの審判を希求する思いを二重重ねにして読み解いてみせるくだりは圧巻でした。本書で描かれるミホ―敏雄の関係には、戦前から戦中の奄美-大和の非対称な関係が終始重ねられています。



ところでその「発狂」のきっかけとなった「十七文字」ですが、――ミホの言によると「そこに書かれていた一行が目に飛び込んできて、その瞬間、私は気がおかしくなりました。それはたった十七文字の言葉でした。いまも一字たりとも忘れていません」(p.12)と語られる――ここまで壮絶な記述に出遭っては、その十七文字の内容を具体的に知りたいと思うのが人情でありましょう。しかし、膨大な一次資料の中でこの核心だけが最後まで明かされないのです。
すべての発端となるこの核心だけが決定的に欠けており、それは著者が意図的に隠しているわけでなく、実際その十七文字が書かれたノートだけが破棄されてしまっていることによります。ミホも「十七文字」と言い/書きこそすれ、その具体は生涯明かさなかったといいます。驚くほど饒舌で膨大な記録の中、核心に欠如を抱えたままのような形で二人の物語は語られてゆくのです。



もうひとつ欠如といえば、『死の棘』には愛人「あいつ」の実像が欠如しているということは既に指摘されてきました。たしかに『死の棘』を読んだ多くの読者が気になるのは、トシオの愛人のその後ではないでしょうか。ミホは狂気にいたるほど(註3)傷つきましたが、それでも法で守られた妻の立場であり、その後二人の愛は至高の夫婦愛として語られるようになりました。しかし一方で、作中ミホから(ついにはトシオからも)「あいつ」と呼ばれる女性は、事情もわからず別れを告げられ、かつて恋人だった男とその妻に、ほとんど凌辱といってよい仕打ちを受けて帰され――凄まじい「対決」のシーンです――、しかもそのことをかつての恋人に小説に書かれるのです。
――実は私は、その凄まじい「対決」のシーンを、なぜか本書を読むまで忘れていました。あまりの凄まじさに抑圧が働いたのか、或いは、作中でミホの口から語られる「トシオを手玉にとりその後夫妻を脅迫し続ける悪い女」像――それは事実であるのかミホの妄想あるいは作為であるのか判断が下されない形で書かれます――の印象にまんまとのせられていたのか――
その愛人に関する取材も、本書の注目すべき仕事のひとつです。「川瀬さん(仮名)はあの小説の犠牲者だと私は思っています」「あんな書かれ方をしてどんなに傷ついたか。夫婦してアイツアイツと言うだけで、彼女がどんな人だったのかは一行も書かれていない。あんまりな扱いです」(p.276)という知人の言葉に始まり、「あいつ」の足取りが辿られ、さらにその「あいつ」が、その後のミホの書くものの中にひそんで息づいている様子を筆者は発掘していこうとします。

そう、ミホは、自分でも作品を書いており、同じエピソードを敏雄に先んじて書いている文章さえあるのです。後半では、「書かれる女」から「書く女」となったミホの作品が紹介されています。ミホが小説を書いたことは知っていましたが単に「作家の妻」としての書き物であるのかと思っていましたので、本書の紹介からミホの最初の小説集『海辺の生と死』を読み、そのみずみずしい文章に触れられたことは、本書を読んでの大きな収穫の一つでした。(『海辺の生と死』は2017年に映画化されるようですので、これから更に読まれるようになる小説かもしれません。)
しかし著者は、作家としてのミホを評価するばかりではありません。敏雄没後に書かれた、打って変わってみずみずしさを失ったミホの作品を検討しつつ、彼女が何を書かなかったか・書けなかったかも見据え、そこに、「書く女」であろうとすることと、既に評論家たちによって語られていた夫婦愛の神話の型に自らを収めようとすることの間での引き裂かれを見て取っています。





註1)こうした見方は先に引用した『男流文学論』でも既に示されています。鼎談の中で上野千鶴子は、ミホと敏雄の関係を何ら特別なものでなく、近代的なロマンティック・ラブの幻想一般の問題として位置づけようとしています。本書を読んでから『男流文学論』を読み返すと、本書で議論されている問題の多くがフェミニズム批評の視点から先取りされていることに驚かされます。



註2)この説は本書で初めて言及されたわけではなく、たとえば岩谷柾捷『島尾敏雄』(鳥影社、2012)でも「『日記』がはたして『無造作にひらかれた』ものだったのか」(p.48)という疑念が提起されています。本書はこうした疑念に資料や取材(敏雄がわざと人に見せるために書いたらしき日記の存在や知人の談話)から裏付けを与えています。



註3)ところでこの「狂気」の正体が何であったのかははっきりしていません。著者も実際にミホが医学的処置を要する「病気」であったのかは保留にしています。『死の棘』作中でも、診断は医師によって「精神分裂病(現・統合失調症)」と「心因性反応」に割れており、症状の対人操作性から「境界例」の可能性に言及している論文もあります(高橋正雄・中島健一郎「島尾敏雄の『死の棘』―精神障害者に対する家族の対応」『日本病跡学雑誌』54、1997)。
ともあれ、本書の「狂うひと」というタイトルが孕んでいるのは、ひとつは、それが実際に医学的な狂気であったかどうかは別にして、ミホの「狂気」が書くこと・書かれることとどのようにかかわっていたかという問いです(その狂気はそもそも「十七文字」の「言葉」から始まったのですから――ただその発端の言葉は今や欠けているわけですが)。もうひとつは、ミホ本人がどのように自分の狂気とその治癒を認識していったかという問いです(入院中のミホの日記が今回発見されています)。そしてもうひとつは、本書の帯にある通り「本当に狂っていたのは妻か夫か」という問いでありましょう。これもまたかつて『男流文学論』で議論の焦点のひとつとされていた問いですが、わざと「十七文字」を目に入れたとする本書の推測によればミホの狂気を招いたのは、作家としての敏雄の書くことへの執着であり、それもまた狂気であるといえるでしょう。更にそれを発端に二人は「共狂い」の状態に入ってゆくのです。



(評者:村田智子)

更新:2017/06/21