書名:サラ金の歴史 : 消費者金融と日本社会 著者:小島庸平 出版社:中央公論新社 出版年:2021 |
私は本書の著者と同じ1982年生まれであり、サラ金のCMや看板が記憶に残っています。サラ金とはどのような世界なのだろうと興味本位で読み進めました。
サラ金を一方的に糾弾するのでもなく、企業と政府というマクロ経済学からの視点にとどまるのでもなく、「家計・ジェンダーアプローチ」からサラ金の経済合理性に迫るという姿勢で書かれた本書は稀有な存在です。
第1章で記述されている戦前の素人高利貸の話は、現代から最も時代が離れており、民俗学的なおもしろさがあります。親戚・友人知人が利子を取って貸すことが多かったという事実だけでも驚きです。
「質屋・月賦から団地金融へ」と題された第2章も、戦後とはいえ自分が生まれる前の昭和中期の生活を垣間見ることができて楽しめました。義務感から「三種の神器」に代表されるような電化製品を団地に住んでいる人たちがこぞって買い求めたという時代があったのですね。
昭和中期ノスタルジーということでは、第3章のサラリーマン金融と「前向き」の資金需要も負けてはいません。酒・マージャン・デートなどの使途は、サラリーマン社会の情実人事で出世するための前向きな資金需要だということです。
これと対になる、第4章の「後ろ向き」の資金需要は、主婦が家計上のやりくりのために借りる資金を指しています。惜しむらくは、家計上のやりくりと一括され、借り手のリアルな生活状況の描写がなかったことです。その代わり、貸金業者が増えて競争が激化したというマクロ的な背景や、①ブラックリストに代表される信用情報の共有と、②団体信用生命保険(団信)の導入という2点のリスク管理方策が説明されます。
この団信の経済合理性を私は理解することができませんでした。債務者が自殺するなどして死亡した際に保険料から返済を受けられるサラ金業者にとっての経済合理性は明らかです。しかし、保険会社にとってはどうでしょうか。著者は「高利を取るサラ金には自殺リスクが織り込まれた高額の保険料を負担する能力が十分あり、生命保険会社の側にも売上を増やすメリットがあったからだろう」(p.160)と説明しますが、金融庁の調査によるところの約25%という自殺率(p.161)は、生命保険会社が織り込んでいるリスクを上回っているものと思われます。債務者が自殺をしても何ら生産的ではないわけで、サラ金業者と生命保険会社の両方が儲かったということはあり得ないです。サラ金の借り手か生命保険会社の顧客かに転嫁されていないと辻褄が合いません。
債務者の自殺が社会問題になり、弁護士などの啓発活動もあって自己破産の件数が増えたという、第5章で描かれている時期のことは私も覚えています。
女性と男性とを比べると、女性は家出が多く、男性は自殺が多いという傾向が数字としてはっきり表れています(p.192)。これについて、著者は、妻・母親として家計管理責任から逸脱した資格喪失と、「家長」や「男らしさ」というジェンダー規範を持ち出して説明します。本書のいたるところで家計管理をする主婦像が強調されています。しかし、主婦が家計を管理して夫に小遣いを渡すことが多かったとしても、そのお金を外で稼いでいるのは夫であり、「誰の金で食わせてもらってるんだ」と言う夫がたくさんいたことは想像に難くありません。女性にとっては強権的な夫がいる家庭から抜け出せば人生をやり直せる可能性があったのに対し、男性は借金で行き詰まるとお金で支配していた家庭に居場所がなくなるからだと、穿った説明をしたくなってしまいます。
第6章と終章で現在に至ります。ここでも、無人貸付機(自動契約機)さらにはSNSでフリーターが気軽にキャッシングするようになったという表面的な変化の背後にある、借り手の生活のリアルにもっと迫ってほしいと感じました。「コロナ禍でバイト収入が減って骨折の治療費一〇万円が払えず」(p.303)というくらいの記述しかなかったのです。著者も述べているように、(公的な制度ではなく)サラ金が貧困層を金融的に包摂しているとは言えそうです。休業手当や職場の健康保険での傷病手当金が支給されるなら治療費を払いやすくなりますが、アルバイトではそれらの支給を受けるのは難しいですから。
借り手の生活のリアルを盛り込んで欲しいとないものねだりをしてしまいましたが、サラ金業者の創業者の人物像や銀行との関係性、貸金業法改正の経緯など、資料も交えてわかりやすく記述されており、かつ読み物としてもおもしろく仕上がっています。幅広い方にご一読をおすすめいたします。
(評者:浅野直樹)
更新:2021/04/06