書名:ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?
著者:ダニエル・カーネマン
訳者:村井章子
出版社:早川書房
出版年:2012

この本の存在や断片的な内容は以前から聞いていたのですが、実際に通読してみると予想以上におもしろかったので、広く知ってもらえるように紹介したくなりました。おもしろいと感じると同時に釈然としない部分もあり、全体の整合性も気になったので、自分の意見をまとめるためにも書評を書こうと思いました。

1.概要

本書の概要をかいつまんで知りたければ、下巻に収録されている結論と付録A・Bを読むのが早いです。一言で要約すると、(1)人間の直感(システム1)にはいくつかの目立ったバイアスがあり、(2)経済学で想定されるような合理性を人間が常に備えているとは限らず、(3)幸福や痛みに関しても記憶する自己と経験する自己との間に断絶があるということです。それぞれの根拠となる具体例を一つずつ挙げます。

(1)図書館司書のスティーブ問題(下巻p.410より再構成)

「スティーブはとても内気で引っ込み思案だ。いつも親切ではあるが、基本的に他人には関心がなく、現実の世界にも興味がないらしい。もの静かでやさしく、秩序や整理整頓を好み、こまかいことにこだわる」。スティーブの職業は以下のどれでしょうか。
【農夫/セールスマン/パイロット/図書館司書/医師】

 直感的には図書館司書と答えたくなりますが、農夫やセールスマンは図書館司書よりも絶対数がはるかに多いので、この人物描写を考慮しても農夫やセールスマンである確率のほうが高いと言えるため、直感は代表性ヒューリスティックによりバイアスがかかっていると言えます。

(2)アジア病問題(下巻p.385より再構成)

アメリカはいま、アジア病という伝染病の大流行に備えていると想像してください。この流行の死者数は、放置すれば600人に達すると見込まれています。対策として2種類のプログラムが提案されています。正確な科学的予測によれば、それぞれのプログラムの効果は次の通りです。
・プログラムAを採用した場合、200人が救われる。
・プログラムBを採用した場合、1/3の確率で600人が救われるが、2/3の確率で1人も助からない。

これだとプログラムAを選ぶ人が多いようです。次に同じ状況設定で以下の2つのプログラムから選んでください。

・プログラムCを採用した場合、400人が死亡する。
・プログラムDを採用した場合、1/3の確率で1人も死なずにすむが、2/3の確率で600人が死亡する。

これだとプログラムDを選ぶ人が多いようです。しかしよくよく考えて見ると、AとC、BとDがそれぞれ同じ事態を記述しているのだから、合理的な経済人であれば上でAを選べば下ではCを選ばなければならず、上でBを選べば下でDを選ばなければなりません。実際の人間は必ずしもそうなるとは限らないのです。

(3)冷水実験(下巻pp.268-271より再構成)

まず、14℃の水に60秒間片手をひたす。60秒経過後にあたたかいタオルが渡される。次に、14℃の水に60秒間片手をひたし、その後30秒間は15℃の水に片手を入れたままにしてから、合計90秒後にあたたかいタオルが渡される。もう一度どちらかの体験をするとしたら、どちらを選ぶか。

実際に経験する苦痛の総計は多くなるはずなのに、後者を選ぶ人が多かったそうです。

このように、自分の脳内で実験できるような例がたくさん載せられていておもしろいです。

2.本書に臨む姿勢

人間の非合理性をこれでもかと言うほど示されると怒る人もいるでしょう。実際、たくさんの批判を受けたと著者は語っています。怒りはしないまでも、いくらか憂鬱になる人はもっと多いでしょう。怒ったり憂鬱になったりするのは合理性を追求するからであり、ソクラテスのように無知を自覚するという姿勢で本書に臨めば、得るところが大きいと思います。ただフォード車が好きだからフォード株を買っているにもかかわらず合理的な根拠があると信じているプロの投資家と、自分が好きだからフォード株を買っていると自覚している人との間には、ソフィストとソクラテスとの間ほどの違いがあります。

著者自身は次のように述べています。

こうしたバイアスに対して何か打つ手はあるのだろうか。私たちは、自分自身の判断や意思決定をどうしたら向上させられるだろうか。ついでに、上司や部下の判断と意思決定を向上させるにはどうしたらいいだろう。一言で言えば、よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない。経験から言うと、システム1にものを教えても無駄である。私自身の直感的思考は、ささやかな改善(その大半は年齢によるものだ)を除き、相変わらず自信過剰、極端な予想、計画の錯誤に陥りやすい。その度合いは、この分野の研究を始める前と、じつはさして変わらないのである。私が進歩したのは、いかにもエラーが起こりそ、つな状況を認識する能力だけである。「この数字がアンカーになりそうだ」「問題のフレーミングを変えたら、この決定にはならないだろう」といった具合に。一方、自分が犯したエラーではなく、他人のエラーを認識することにかけては、大いに進歩したと思う。(下巻p.330)

3.バイアスの自覚(本書の詳しい紹介)

それでは私たちがどのようなバイアスに陥りやすいのか本書の順に即してまとめます。

第1部「二つのシステム」では、認知的容易性→結論に飛びつくというパターンがいくつも示されます。機嫌がよかったり、見やすい表示だったり、先行刺激(プライミング)があったものだったり、因果関係を見出したり、平均を直感したり、別の質問に置き換えたりして認知しやすければ、結論に飛びつくということです。このバイアスを避けるためには、気づきにくい他の可能性が隠れていないかに気をつけて、即断しないことです。

第2部「ヒューリスティクスとバイアス」では第1部からの延長線上で、統計学的事象により焦点が当てられます。ここでの教訓は「平均(真の実力)と分散を意識せよ」に尽きると思います。平均への回帰もこれで理解できます。

ゴルフ①(上巻p.314より再構成)

あるプロゴルファーは、1日目に、平均スコアが72のラウンドを66で回った。このゴルファーの2日目のスコアを予測してください。

合理的な答えは70くらいでしょう。というのも、ゴルフのスコアには実力で決まる部分と運で決まる部分がどちらも相当あり、このゴルファーの真の実力が平均と同じ72だとしても運のばらつき(分散)がある程度大きいので、66というスコアが出る可能性もそれなりにあるからです。厳しい試験を経てプロになったゴルファーの実力にはそれほど大きな違いはないでしょうから、真の実力が72とか70くらいのゴルファーがたまたま66というスコアを出したと考えるほうが、真の実力が66のゴルファーが実力通りの結果だったと考えるよりも、合理的です。

ゴルフ②(評者オリジナル)

あるゴルファーは、1日目に、プロから初心者までのゴルファーの平均スコアが150のラウンドを80で回った。このゴルファーの2日目のスコアを予測してください。

いくら平均への回帰といっても、真の実力が150くらいのゴルファーが80で回るとは考えにくいので(そこまで分散は大きくないので)、合理的な予測は85とかじゃないかと思います。欲を言うなら、このゴルファーのプレイを観察して、1回目は運がよくて80だったのか、それとも運が悪くて80だったのかを見極めたいです。いずれにせよ、真の実力を起点として、どれくらい分散があるだろうかと考えるのがよいです。

センター試験(評者オリジナル)

評者である浅野直樹が2018年センター試験の英語を解いたら200点満点だった。平均点は125点だった。この人の2019年センター試験の英語の得点を予測してください。

自分で言うのも何ですが、196点くらいが最適な予測です。塾講師を20年ほどやっており、ほぼ全ての問題を論理的な根拠をもって選ぶことができるので、分散がかなり小さいはずです。平均への回帰があるから130点くらいだという予測にはならない自信があります。

第3部は「自信過剰」です。先ほどのセンター試験の例も自信過剰に陥っているかもしれません。本書によれば、専門家の判断を信頼できるのは、規則性の備わった事柄を学習する機会があった場合です(下巻p.29)。センター試験には規則性があり、私は20年学習してきたので、信じてもらってもよいでしょう。死亡前死因分析(下巻pp.66-68)も自信過剰に対して有効に機能します。センター試験の例で試してみるなら、センター試験が異様に難化した、出題傾向が大きく変わった、風邪でコンディションが悪かった、交通事故で骨折してそもそも試験を受けられなかった、といったシナリオを想定することができます。このように考えると、自信過剰が幾分和らぎそうです。

第4部「選択」では既存の経済学との対立という様相が深まります。経済学のどの教科書にも載っているであろう効用に基づく無差別曲線が批判され、その代わりにプロスペクト理論に基づくS字カーブが据えられます。

プロスペクト理論の特徴は「参照点」と「損失回避」です。これらによって無差別曲線を批判するくだり(下巻pp.110-115)は圧巻です。単位や数字を日本風に再構成してお伝えします。ある双子にとって、(A)年収400万円で年間休暇が120日の状況と、(B)年収300万円で年間休暇が132日の状況の効用が等しいと仮定します。現在は年収300万円で年間休暇が120日という条件で働いているこの双子に、(A)か(B)のどちらかに移ってよいと言うと、この双子にとってはどちらの効用も同じなのでどちらかが絶対によいということはないため、コイン投げでもしてランダムに兄が(A)に、弟が(B)に移行することにしました。1年後に兄に(B)に移る気はないかと聞いても、弟に(A)に移る気はないかと聞いても、どちらも答えはノーです。兄にとっては(A)を参照点として年収が100万円減るという損失は休暇が12日増えるという利得よりも大きく感じられ、弟にとっては(B)を参照点として休暇が12日減るという損失は年収が100万円増えるという利得よりも大きく感じられるからです。

決定加重の非一様性もおもしろく感じました。アレのパラドックスの簡略版(下巻p.150)を紹介します。

A 61%の確率で52万ドルもらえる、または、63%の確率で50万ドルもらえる。
B 98%の確率で52万ドルもらえる、または、100%の確率で50万ドルもらえる。

多くの人はAでは前半、Bでは後半の選択肢を選ぶそうです。同じ2%の上昇であっても、61%から63%の上昇より98%から100%への上昇を高く評価するということです。

第5部「二つの自己」では記憶する自己と経験する自己との間の溝が示されます。: ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎 | TED Talkとほぼ同じ内容ですので、興味のある方はそちらもご参照ください。このあたりの話から「終わりよければ全てよし」という日本のことわざを思い出しました。

政治学と関係して、リバタリアン・パターナリズム(下巻pp.324-326)という概念が興味深かったです。デフォルトでは給料から一定額を天引きして貯蓄するようにしておく(それが嫌な人は貯蓄しないことを選ぶこともできる)という仕組みなどのことを指しています。

4.終わりに

ここまでの記述でもうおわかりかと存じますが、本書は細かい専門知識などを抜きにして楽しめます。ここでは紹介し切れなかったおもしろい例もまだまだたくさんあります。お手軽な文庫版も出ておりますので、ぜひ手に取って直接読んでみてください。

(評者:浅野直樹)

更新:2018/04/04