1. 心理学全体の見立て
心理学には漠然とした興味を抱いている人も多いと思います。テレビや雑誌などでは心理学っぽい特集はよくされていますし、書店や図書館にも心理学関連の本はたくさん並べられています。もちろんそれらの中には有益な情報が含まれていますが、単発の知識だけだと興味はかき立てられても心理学の全貌はつかめないままです。ここでは心理学の全貌をおよそ把握し、その後は自分の興味に応じて各専門分野へと進むことができるように、心理学の入門書を案内させていただきます。
入門書の案内に入る前に、ある程度の見立てをしておきましょう。まず、心理学が誕生したのはヴントが世界で初めて公式の心理学実験室を創設した1879年だとされています。心理学たかだか百数十年の歴史しかないわけですね。それ以前には哲学の中に今で言うところの心理学のような部分があります。また、現在でも医学や社会学、教育学や言語学など、いろいろな学問と接しています。雑多な内容をその中に含んでいるので、心理学という確固たる体系を想像するのは非常に困難です。
このように内容が多岐にわたるので、心理学への興味の持ち方も様々あるとは思いますが、大雑把に二つに分類できると思います。一つは臨床心理士になりたい、あるいは自分や身近な人の精神的な悩みを解決したいといった興味です。もう一つは学習や記憶、知覚のメカニズムや、価値観の文化差などへの興味です。ここでは便宜上、前者を臨床系、後者を非臨床系と呼びます。ちなみに私自身は臨床系に位置づけられる精神分析をいくらか専門的に学んでおりますが、臨床そのものを仕事にしているわけではなく、非臨床的な興味も強いです。
前置きが長くなりましたが、これからいくつかの本を紹介します。
2. 心理学全般の入門書
まず最初におすすめしたいのが(1)『はじめて出会う心理学 改訂版』(長谷川 寿一、大島 尚他著、有斐閣、2008年)です。この有斐閣アルマシリーズは基本的に信頼できますね。その中でもこの本は読みやすくかつ重要な事柄がなるべく多く書かれているので重宝します。全部で18章の構成になっており、前半の9章が臨床系、後半の9章が非臨床系です。心理学に興味のある人なら、苦もなく通読でき、きっと新たな発見があるはずです。
同じ有斐閣にはNew Liberal Arts Selectionもあります。(2)『心理学』(無藤 隆、遠藤 由美他著、有斐閣、2004年)です。こちらも読みやすく、心理学のトピックが網羅的に紹介されています。図表も豊富です。ただその分だけ分厚いので、読むのに時間がかかることは覚悟しておいたほうがよいでしょう。
さらに分厚い本を紹介させてください。(3)『ヒルガードの心理学』(Edward E. Smith他著、内田一成監訳、ブレーン出版、2005年)です。これはアメリカで広く用いられている教科書で、原著では15版、和訳は14版まで出版されています。これも心理学全般に及ぶ入門書で、各分野が相当詳しく記述されています。アメリカの教科書らしく、各項目の最後に最新の研究の紹介や、対立する論点の紹介がなされています。心理学英語を学習したい人はこの本の原著を読むとよいでしょう。
心理学全般の入門書は読みやすい順に『はじめて出会う心理学 改訂版』、『心理学』、『ヒルガードの心理学』の3冊をおすすめします。
(1) |
書名:はじめて出会う心理学 改訂版 (有斐閣アルマ) 著者:長谷川寿一、東條正城、大島尚、丹野義彦、廣中直行 出版社:有斐閣 出版年:2008年 |
(2) |
書名:心理学 (New Liberal Arts Selection) 著者:無藤隆、遠藤由美、玉瀬耕治、森敏昭 出版社:有斐閣 出版年:2004年 |
(3) |
書名:ヒルガードの心理学 著者:スミス、バーバラ・L. フレデリックソン、ノーレン・ホーセクマ、ジェフリ・ロフタス 訳者:内田一成 出版社:ブレーン出版 出版年:2005年 |
3. 臨床系の入門書
先ほど挙げた3冊はあくまでも心理学全般の入門書です。特に臨床系に興味が絞られている人にとっては物足りない内容でしょう。そこでここからは臨床系の入門書をいくつかご紹介いたします。
臨床系をさらに二つに大別すると、狭義の臨床心理学と発達心理学に分けられます。心理学の専門職もおよそこの二つに分けられます。スクールカウンセラーの存在を思い浮かべると明らかなように、この両者は密接に関係しています。
狭義の臨床心理学にもいろいろありますが、大まかに三つのアプローチがあると理解しておけば便利です。一つ目は主に個人の深層心理に注目する精神分析療法系統です。その中でもフロイトによる古典的な精神分析やユングの分析心理学、アドラーの個人心理学、ロジャーズのクライエント中心療法などいろいろな派があります。二つ目は個人と周囲の環境との連関を取り扱う、認知・行動療法系統です。この背景には行動主義の理論があります。三つ目は個人や環境、社会をまとめて取り扱う集団療法です。家族療法がその代表例です。システム論的な発想をもとにしています。
実はこれらを網羅的に紹介した、臨床系の心理学の入門書はあまり存在しません。先ほど紹介した三つのアプローチは根本的な考え方が大きく異なりますし、さらに発達心理学を盛り込むとなるとそれだけでも大変ですから。
ここではその数少ない本の中から(4)『よくわかる臨床心理学 改訂新版』(下山晴彦編、ミネルヴァ書房、2009年)を挙げておきます。やわらかアカデミズム・わかるシリーズです。各項目ごとに見開き1ページあるいは2ページで、入門的な内容がまとめられています。大きな本なので気軽に通読するというよりは、机に向かって勉強するといった感じです。持ち運んで気軽に読みたいなら(5)『臨床心理学キーワード 補訂版』(坂野雄二編集、有斐閣、2005年)です。これも各項目ごとにその概要を説明するというスタイルが採られています。
この手の本は臨床心理士を目指す人が読むことが多いのでしょう。読み物としてのおもしろさよりも基本的な用語と概念を覚えることが重視されています。より試験に特化した本としては、(6)『心理学キーワード辞典:臨床心理士・指定大学院合格のための 改訂版』(大学院入試問題分析チーム編、オクムラ書店、2008年)を紹介しておきます。重要事項と人名に簡単な解説が付されている本です。インターネット上の書評やレビューでは叩かれているようですが、入門や確認には決して悪くないと私は思います。
(4) |
書名:よくわかる臨床心理学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ) 編者:下山晴彦 出版社:ミネルヴァ書房 出版年:2009年 |
(5) |
書名:臨床心理学キーワード (有斐閣双書―KEYWORD SERIES) 編者:坂野雄二 出版社:有斐閣 出版年:2005年 |
(6) |
書名:臨床心理士・指定大学院合格のための心理学キーワード辞典 編者:大学院入試問題分析チーム 出版社:オクムラ書店 出版年:2008年 |
4. 非臨床系の入門書
今度は非臨床系です。そもそも非臨床系という分け方は乱暴ですし、私自身この分野にそれほど詳しくありません。そのことを予め断っておきます。
最初に挙げた心理学全般の入門書三冊に決定的に欠けているのは心理統計です。基本的に統計は道具であり、心理学の内容とは直接関係ありません。心理統計といっても社会学や経済学で使われる統計と本質的に異なるわけではありません。とはいえ心理学系の論文を読んでいると統計に出くわすこともしばしばですので、統計について大まかに知っておくに越したことはありません。
心理統計の入門書はたくさんありますが、私自身それらにほとんど触れたことがありません。今後勉強が進めばこの記事に加筆させていただきます。昔大学の授業で(7)『心理学のためのデータ解析テクニカルブック』(森敏昭、吉田寿夫著、北大路書房、1990年)を使ったことがあるくらいです。その時受けた印象は、しっかりした本だけれども最初に読む本としては難しいなというものです。
その他の分野には、学習や記憶の心理学、感覚・知覚心理学、社会心理学、文化心理学などがあります。前二者(学習、記憶、感覚・知覚)については(8)『心理学 第3版』(鹿取廣人、杉本敏夫、鳥居修晃編、東京大学出版会、2008年)を挙げておきます。この本は一応心理学全般の入門書という体裁ではありますが、明らかに感覚・知覚、学習などの記述が充実しています。後二者(社会心理学、文化心理学)には「認知的不協和」や「社会的ジレンマ」、「ハロー効果」など、日常生活レベルでおもしろく理解できる概念が多数登場します。入門書の類もいろいろありますが、私の不勉強により今はまだここで紹介することができません。今後の課題とさせてください。
(7) |
書名:心理学のためのデータ解析テクニカルブック 著者:森敏昭、吉田寿夫 出版社:北大路書房 出版年:1990年 |
(8) |
書名:心理学 第3版 編者:鹿取廣人、杉本敏夫、鳥居修晃 出版社:東京大学出版会 出版年:2008年 |
5. 終わりに
これで心理学の入門書のブックガイドは終わりです。これらの入門書を読んだ後は、興味や必要に応じて専門書を読んでください。ここで挙げた入門書の中には参考文献を詳しく紹介しているものもありますし、ここで説明した心理学の各分野の棲み分けを意識しながら図書館の棚を眺めるとたぶん目的の専門分野が並んでいるところがあるはずです。
最初に書きましたように、心理学は歴史の浅い学問で、はっきりとした体系があるわけではございません。ということは専門的に何らかの心理学を学ぶ場合は、隣接諸学問をも学ぶ必要があります。例えば臨床心理学なら精神医学、発達心理学なら教育学、感覚・知覚心理学なら神経学、社会心理学なら社会学や政治学といった具合です。このことを逆に言うなら、心理学以外の学問を専門にしている人が、それと隣接する心理学を学ぶ価値があるということです。
ここまで心理学について書いてきたわけですが、最後に一つ言いたいことがあります。それは「心理学は万能ではない」ということです。心理学を専攻していると言うと、人の心が手に取るようにわかるのだと誤解されることもしばしばです。もちろんそのようなことはありません。
また、あらゆる事象を心理学で解釈しようとする論評などもたまに見かけますが、それはやり過ぎです。例えば「ひきこもり」は幼少期の自他未分化な状態が…ともっともらしく説明されるとそうかなと思ってしまいがちですが、不況や雇用環境の変化といった社会的要因を無視することは決してできないでしょう。こうした「心理学化」を批判した本としては(9)『心理学化する社会』(斎藤環著、河出書房新社、2009年)を挙げておきます。(10)『聖者は海に還る』(山田宗樹著、幻冬舎、2005年)という小説も「心理学化」を取り扱っているようですので、私は未読ですがここに紹介しておきます。
(9) |
書名:心理学化する社会 (河出文庫) 著者:斎藤環 出版社:河出書房新社 出版年:2009年 |
(10) |
書名:聖者は海に還る 著者:山田宗樹 出版社:幻冬舎 出版年:2005年 |
(文責:浅野直樹)