書名:遅いインターネット 著者:宇野常寛 出版社:幻冬舎 出版年:2020 |
はじめに
著者の宇野常寛さんは、評者(浅野直樹)と同年代ということもあり、興味関心が近いと感じると同時に、評者が詳しくないドラマや映画等もからめた分析をしてくれるため、本書を楽しみにしておりました。『ゼロ年代の想像力』以来、ポスト東浩紀さんとして注目してきました。
要約
本書の内容をひと目でつかむための図を作ってみました(座標軸の象限を用いた説明が多用されているのに、本書自体にはなぜこのような図が収録されていないのか不思議です)。
第1象限から(第2象限や第4象限を経て)第3象限へ向かうということが本書を貫いているテーマです。Somewhereな人からAnywhereな人になって世界に素手で触れている感覚を得るのだと言い換えることもできるでしょう。
例えば、オリンピックに関して、非日常的な他人の物語として観るのではなく、自分が走るということも含めて日常的に自分の物語として体験するイベントにすべきだという対案が出されます。
第2章で取り上げられる『Ingress』から『ポケモンGO』も、自分の足で日常的に街を歩くようにするための仕掛けという点で、同様です。
「民主主義を半分諦めることで、守る」という政治に対する処方箋も同じ方向性です。
具体的な提言は以下の3つです。他人の物語に乗る非日常的な選挙から、クラウドローなど自分の日常を政治に反映させる方向へと重心を移す試みです。
- 民主主義と立憲主義のパワーバランスを是正する
- 「政治」を「日常」に取り戻す
- 「遅い」インターネット
そして、第3章で論じられるように、この第1象限から第3象限へという路線は、吉本隆明さんや糸井重里さんが模索してきた方向性でもあります。
ただし、吉本隆明さんが前期の『共同幻想論』で打ち出した共同幻想に対幻想を対置する(デモ隊でも機動隊でもなく屋台のアンパン屋の生活の視点から考える)という戦略をもはや採り得ないとされます。
共同幻想・対幻想・自己幻想をSNSに対応させると、それぞれタイムライン(Twitter)、メッセンジャー(LINE)、プロフィール(Facebook)ですが、それらが逆立するのではなく相互接続しているからです。もっとも、吉本隆明さんも後期の『ハイ・イメージ論』ではそのことを予見していたと著者は考えています。
このような状況において、幻想にとらわれてしまわないように、何でも即座に書いて発信するのではなく、速度を調整して書くことと読むことを分離してそれらを往復するのだ、ということが本書での遅いインターネットの眼目です。
感想
走ったり考えたりすることが好きな私としては、本書の主張に違和感はありませんでした。
最後の部分の遅いインターネットの提唱は、「インターネットでは全世界に向けられ記録も残るので発信する際には慎重になりましょう」という、もっとシンプルなありきたりのメッセージでもよかったのではないかと思ったくらいです。
しかし、誰もが走ったり考えたりすることが好きとも限りません。深く考えずにオリンピックを観て人気の選手を応援するといった第一象限的なあり方も肯定されてよいのではないでしょうか。共同幻想に没入する快楽です。
共同幻想が戦争につながるのはよくないですが、スポーツで平和的に発散させられるのなら悪くはないでしょう。
対幻想についてもそれ自体が悪いのではなく、夫が妻を支配するのが悪いのであり、自己幻想についても健全なプライドといったものがあるはずです。
さらに言うと、そもそも完全にオリジナルな自分の物語など存在せず、多かれ少なかれ他人の物語の借り物に過ぎないと主張することもできます。
上図の分類が一定程度有効な反面、そこまで厳然と区別しなくてもよいのではないかと感じたのです。
ともあれ、他ではあまり見覚えのない図式の議論がされていて興味深くはありました。
(評者:浅野直樹)
更新:2020/03/07