鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』新曜社、2004
https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b456075.html
京アカのFさんから突然「村田さんが読んだら面白がりそう」と薦められた本です。
鶴見俊輔に、上野千鶴子と小熊英二が3日間にわたって戦中から戦後のベ平連の活動までその記憶を聴くという企画。
薦められたときにちょうどまさに鶴見の本を読んでいたこともあって(前回記事で紹介した『限界芸術論』でした)OH!シンクロニシティ! と思って読み始めたらまんまと面白かったのでした。序盤の、宗教は信仰しないしマルクス主義も信仰しないけどタヌキも信仰する、みたいなところでもう、この本を薦められた理由が分かった気がしました。
鶴見俊輔が「こういう人が好きだ」という話が頻繁に出てくるんですが、本書で最も面白かったのは、鶴見の好むその人物類型でした。
たとえば戦争時の印象的な人物として挙げられている大佐。戦争中もインドネシア独立運動の指導者と接触があり、敗戦を知ってすぐに彼らのために動いたというその人は、戦争中も戦後も「大東亜解放」の大義を信じていたといいます。「なかなか位置付けがむずかしいですが、鶴見さんはそういうタイプの人がお好きですよね」(p.46)と小熊英二。
こうした人物像は「一刻者」とか「ヤクザの仁義」とかいう言葉でも語られるんですが、つまり「器用で世渡り上手の優等生」とは対極にあるタイプの純真な人。そして庶民から出てきた人、高い地位に上ろうと思えばできるのにそうしない人、を鶴見は愛していたようです。庶民を理想化しすぎ、みたいに上野千鶴子からツッコミを入れられてもいますが、「一番病」と呼ぶ自分の父親と逆のタイプなのが面白い。
その偏愛は思想の如何を問わず、たとえば三島や江藤淳も全共闘の青年たちも「自分の命を投げ出す不器用さ」という点でシンパシーの対象になっています。鶴見が高く評価する人は保守のほうへ行ってしまいがち、というのも面白い。小熊は、たしかに純真さを保とうとすると保守に行ってしまう必然性があるのかもしれない、と分析しています。左派は理念を掲げるがゆえに理念と現実の矛盾が目立ってしまうから。
鶴見自身は、自分は(一刻者でなく)悪人だという表現をしています。
「一刻者」が矛盾に耐えられない人だとすれば、悪人とは矛盾を呑み込めてしまう人なのでしょう。が、矛盾を呑み込みつつぎりぎりの一刻者であろうとする姿勢といいますか、そういうものが端々で語られてすごい。
たとえば、日本の戦争目的は信じていなかった、しかし「敗北を日本人のあいだにあって受けたい」と思って留学先から日本に帰ったのだ、という話。「勝つ側にいたくないと思ったんだ」「この戦争については、アメリカのほうがいくらかでも正しいと思ったんだけど、勝ったアメリカにくっついて、英語を話して日本に帰ってくる自分なんて耐えられないと思ったんだ」(p.38)。それでいてやはり日本国家への同一化も拒む。
自分などは防衛機制まみれ人間なのでこういう状況になればたぶん、勝ち馬に乗るか逆に反動形成で「いや日本が正しかったんや」みたいに意固地になると思うんですが、そうした防衛機制をいかに廃して矛盾を処理するか、というひとつのお手本として読みました。
その意味で最も感銘を受けたのは、戦時中に「敵を殺せ」という命令が出ていたらどうしたか、という話。
「殺人を避ける」ことが反省の根本原理であるから命令を断って自殺していたと思いたいが恐怖に屈していたかもしれない。
だから戦後に私が考えたのは、『自分は人を殺した。人を殺すのは悪い』と、一息で言えるような人間になろう、ということだった。それが自分としての最高の理想で、それ以上の理想は、自分に対して立てないし、他人に対しても立てない。(略)和歌でいえば、上の句と下の句との間に隙間ができることを、『腰折れ』というんですが、『一息で言える』というのは、『腰折れ』にならないこと。(略)そこまでくるのに、戦後ずいぶん時間がかかりました。(p.53)
さらに、そんな矛盾の処理が最も難しい形で表れていたのは、「慰安所に愛はあったか」という話題です。
戦時中、鶴見は、ジャワ・シンガポールなどで海軍将校が来たときのための士官クラブ(実質は慰安所)の設営の仕事をしており、そこで働かせる女性の手配もしていたといいます(その費用は「機密費」から出ていたらしい)。日本に帰れない少年兵が慰安所の女性にわずかな時間慰められて感謝する。「私はそれを愛だと思う」とかつて述べて批判されたことについて、鶴見は改めてこのように答えています。
慰安所が日本国家による女性に対する凌辱の場だったということを、認めます。(略)ただ私は、愛というものを、特別に純粋培養されるものと思っていない。どういう状況でも仕方でも、愛は生まれると思う(p.72)
「そういう場でも、『愛』がありえたことを私も疑いません(略)けれでもやっぱり、それは権力関係のなかでの出来事です。女性たちがその状況を自分で選んだとは、とうてい言えない」(pp.73-74)「女の側からいうと、愛もあったかもしれないが、権力関係もあった」(p.75)と追及する上野に一定同意しつつ、
AかBか、とは私も思いませんよ。愛と被害が、両方とも成り立つと思います。だけど同時に、そこに愛があるという譲れない線が私にはある。(pp.75-6)
と鶴見。このくだりは私もスリリングな思いで読み、「愛」という言葉のセレクトはやはりロマンティックすぎる気がするし、そこには上野の指摘する女性への視線の冷たさがあるのかもしれない、しかし、「愛と被害は両方とも成り立つ」という言葉は、昨今話題にされ始めたグルーミング的性加害/被害の問題においても重要かもしれない、と思いました。
慰安所をめぐる論は最も上野の追及が厳しいくだりでもあり、最後は「上野さん、まあそのあたりでちょっと……」(小熊)という宥めで終わっています。この本、聴き手の二人が鶴見を敬慕しつつもまったく容赦しないのもすごい(こんな聴き方できない)。
【その他私が面白かったところ・気になったところ】
・食糧不足が起これば戦争が革命に転化する(共同炊事が起こって、金持ちである自分の実家は略奪されて、共産主義革命になる)と思っていたが予測は外れた。「どんなに空襲や食糧不足がひどくなっても、日本人は共同炊事ができなかったんだよ」。
・八月十五日の放送を聴いたときのこと。天皇が自国の被害の話ばかりで他国への加害を語らないことに違和感を感じ、「非常に嫌な感じがしましたね。もう、天皇は嫌な奴だと思った。自分が長いあいだ残虐なことをやってきたんじゃないかって」(p.125)という言葉が痛快。にもかかわらず自分の命が助かったことについては「天皇のおかげだ」とも思ったという。
・60年安保の話。当時を知らないので、TVでデモの盛り上がりが映されていてみんながそれを見て参加しに行く、という状況がなかなか想像できず、その熱気を想像しながら読んだ。学生運動を支持する人の中には、戦中の少年兵や戦死した息子・兄弟の姿をだぶらせていた人もいただろう、というのは盲点だった。「戦争を知らない孫たち」世代としてはついつい「1945年で一区切り」みたいにイメージしてしまうが、1960年なんてまだ戦争の記憶が生々しい時期だったのだ。
・竹内好の葬式で増田渉が心筋梗塞で倒れたが丸山真男が硬直して動けず立ったままブツブツ言っていた、というエピソードがなぜか好き。丸山は「武田(泰淳)が竹内を呼んで、竹内が増田を呼んだ」と呟いていたらしい。「そういうときでも、言うことが思想史的なんだよ(笑)」(p.184)。そこへ助けにきたのが埴谷雄高。
・鶴見は丸山真男の「ファシズムは亜インテリがつくった、皆さんは東大に入ったから亜インテリではありません」という発言を批判して、小熊に訂正されているが(正確には丸山はそうは言っていない旨)、その後ももう一度同じことを言っている。再度訂正され「私は自分の偏見に沿って丸山真男をねじまげているな」(p.307)と反省してるのがなんか可笑しい。
・明治以来の朝鮮人差別についての議論、60年代以降は高度成長で「差別で自尊心を支える」必要はなくなった……?みたいな話の流れの中で、「金があれば差別がなくなるというわけでもないでしょうが。でも、また日本人は金がなくなってきたから、差別もひどくなるかもしれないね」(p.334)という言葉がある。本書は2004年刊。その後たしかに日本は貧しくなっている。今は実際どうなんだろう……?と考えてしまった。鶴見の言った通りかもしれない。しかし韓国・朝鮮(人)に対する視線だけでいえば少なくとも若い世代においては良い方向に変わっているかもしれない。だがそれは本書でも言われていたように、韓国が裕福になったからということかもしれないし……。
