月別アーカイブ: 2019年10月

話題の本がわかる! Vol.03 『ヤンキーと地元』振り返り

 

6月29日、京都・左京西部いきいき市民活動センターにて「話題の本がわかる! 」イベント第3回を開催いたしました!

話題の本の要約を紹介し、「気になっていたけどまだ読んでいない人」にも参加してもらえるというこの企画、今回は、今年刊行された打越正行さんの『ヤンキーと地元』(筑摩書房、2019)を取りあげました!

打越さんは、「暴走族のパシリ」として参与観察を始めた社会学者。本書は、沖縄の若者たちの取材から、その生活世界を記述した労作です。

「ヤンキー」といえば、京アカではかつて斎藤環さんの『ヤンキー化する日本』を「批評鍋」イベントで取りあげています。しかし、「バッドセンス」や「ノリと気合い」といった「ヤンキー」的文化に焦点を当てた斎藤本とは、今回はまた全然異なる切り口。「ヤンキー」といえば家族や仲間の絆を尊ぶイメージをもたれることがありますし、沖縄という土地もまた「ゆいまーる」の語に象徴されるようなユートピア的イメージをもたれがちですが、本書では、沖縄の若者たちにとってたしかに切り捨てがたい地盤でありながら、けっしてユートピアでもなく優しいものでもない「地元」の世界が明らかにされていきます。

 

要約担当は村田。要約といっても、個々のエピソードや具体的な記述が面白い本であるのでなかなか難しかったのですが、雨にもかかわらず皆さん集まっていただき(新規の参加者も!)、議論(や雑談)が弾みました。本の具体的なエピソードについての談義、参与観察という方法についての談義、「本書がこれほど話題になったのはなぜなのか?」「ヤンキー論として、また沖縄論として、どの点が新鮮な発見であるのか?」という話、などなど。

当イベントは続く予定であるので、参加者のみならず、要約担当も引き続き募集中です! 気になっている本を読んでみる機会とするのもよいかと思います。

私もこの機会に、ずっと気になっていた本が読めてよかったです。レジュメを作るにあたっては、関連本も読み直したり新たに読んだりしました。新たに読んだものとしては、特に、暴走族の参与観察として有名な『暴走族のエスノグラフィ』(佐藤郁哉、新曜社、1984)が面白かったです。若者の金銭的・時間的豊かさという観点から暴走族を分析しているくだりは、80年代当時と現代との違いを思うなどしました。

 

 

 

 

立川武蔵『仏教原論 ブッディスト・セオロジー』:仏教のアップデートに向けて

 

 

 

 

 

 

 

 

トリヴィシャ(三毒)

激変する現代社会において私たちはどう生きるのか? この本質的な問いにかんして、椎名林檎の近作「鶏と蛇と豚」の回答はじつに鮮烈でした。

タイトルにある三匹の動物は、それぞれ人間の根本的欲望を表すといいます。
MVでは、半獣となった椎名林檎が東京に降り立った三獣(鶏・蛇・豚)を掌握するという筋書。作品のメッセージは、欲望の徹底肯定であり資本主義経済の全面肯定です。★1

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小熊英二『日本社会のしくみ』「ベテラン非正規と高校生の時給は同じでいいか」の考察

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上記リンク先の「ベテラン非正規と高校生の時給は同じでいいか」の記事を最初に読んだときにもやもやして、小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社、2019)を読んでからもう一度その部分を読んでもすっきりしませんでした。そこで以下で自分なりに考察して整理してみます。

 

小熊英二『日本社会のしくみ』で主に比較対照されている3つの国に当てはめるなら、回答①が日本、回答②がアメリカ、回答③がドイツということになるでしょう。もっとも、本書の第3章で述べられているドイツの姿からすれば、「賃金については、同じ仕事なら基本的に女子高生と同じなのが正しい。だが、同じ職種の中で職歴が長くて熟練度が高くなれば賃金も高くなる。また、早期から職種を意識した教育をすべきだ。」という回答になるはずです。

そのドイツ的な回答では、シングルマザーと女子高生が同じ仕事をしているのかどうかが問題となります。勤続10年であれば当然業務に習熟していると想定されますが、熟練度があまり求められない単純作業に従事しているのかもしれません。そして仮に単純作業に従事しているとしても、顔なじみの顧客がいるなどして売上に貢献しているといった可能性もあります。

本書の終章でこの「ベテラン非正規と高校生の時給は同じでいいか」問題が提起される直前で紹介されている、エスピン-アンデルセンの福祉レジーム論に当てはめるなら、福祉の担い手として、回答①が家族、回答②が市場、回答③が政府、をそれぞれ重視するという分類になります。この場合は、回答①が日本、回答②がアメリカ、回答③がスウェーデンといったところでしょうか。

いずれにしても、本書の著者も「戦後日本の多数派が選んだのは、回答①であった」(p.578)と述べているように、回答①がこれまでの日本のしくみだと読むべきなのでしょう。

しかし、これまでの日本のしくみで「年齢と家族数にみあった賃金」を得られるのは男性正社員(「大企業型」)だけであり、非正規のシングルマザーはそうではありませんでした。

この非正規のシングルマザーが「地元型」であれば、先祖から受け継いだ土地や持ち家があり、自分の親(子どもにとっての祖父母)や近所の人たちから有形無形の支援を受けられるので、女子高生と同じ賃金でよいという回答になりそうです。

この非正規のシングルマザーが「残余型」であれば、土地や持ち家、親族や近所の人たちからの支援などが期待できないため、女子高生と同じ賃金では苦しい、というのが現在日本が抱えている問題です。「大企業型」は過去数十年でほぼ一定であるのに対し、「地元型」が減ってその分「残余型」が増えたというのが本書の大きな見取り図でした。

「地元型」か「残余型」かという問いとも関連して、このスーパーが個人商店なのか大規模チェーン店なのかという要素もあります。後者であって本部だけが大儲けしているのであれば、対立軸はこのシングルマザーと女子高生との間にあるのではなく、末端の従業員と本部の従業員との間、あるいは労働者と資本家との間にあると考えるべきでしょう。個人商店であっても経営者が自分だけ楽をして大きな利益を得ているなら、やはり労働者と資本家との間の溝が大きいと言わざるを得ません。

ここから派生して、シングルマザーと女子高生の「同じ賃金」というのが、同じ時給800円なのか、同じ時給1600円なのかでは話が大きく違ってきます。時給800円といった生活していくのがやっとの賃金水準はマルクスが分析した労働者の賃金そのものです。

また、この非正規のシングルマザーが上から押し付けられる命令に従って業務をこなすだけなのか、それとも採用や経営方針の決定にも参与しているのかということでも話は違ってきます。もっとも、自分がこの女子高生の採用や賃金を決めたのであれば、なぜ同じ賃金なのかと質問することはないでしょうが。

このように整理してようやくすっきりしました。

本書の著者は、この問いを考えて周囲の人たちと話しあって自分の結論を作っていってほしいと読者に向けて書いています(p.580)。それを実践してみました。

浅野直樹

【お詫び】問い合わせフォームの不具合を修正しました

京都アカデメイア及び京都アカデメイア塾 – 大人のための教養塾の問い合わせフォームの双方に不具合が発生したことを本日確認し、修正しました。

不具合が生じている間にお問い合わせいただいた方がいらっしゃいましたら大変申し訳ございませんでした。そのお問い合わせ内容を読むことができておらず、返信もできていませんでした。

今は復旧しています。

また、kyotoacademeia□gmail.com(□に@を入れてください)に直接お送りいただいたメールは、ずっと読むことができていました。

この度は問い合わせフォームの不具合によりご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。