家族とは何か?
優れた芸術作品は、その時代を知るのにとても参考になります。
日本を代表する映画監督 小津安二郎の「東京物語」(1953年)は”家族”をテーマにした映画です。最近、山田洋次監督によってリメイクされたので、そちらを見て知った人も多いかもしれません。
本書はその「東京物語」を丁寧に分析したものです。
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5月3日(日曜・祝日)、京都アカデメイア塾 体験授業を開催します。
講座名:世界に触れる社会学
テーマは「憲法」です。
憲法と聞くと、なんだか堅苦しくて、縁遠いという印象がありませんか?
でも、ほんとうは憲法について考えることはとてもおもしろいことです。
今回は、”憲法や法とは何なのか”という根本的なところまで下がって、一緒に考えたいと思います。
<この講座はこんな方におすすめです>
・社会学に興味がある、どうやって学んだらいいのか悩んでいる。
・社会の出来事について深く考えたい。
・社会について自分なりの考え方を身につけたい。
講師:大窪善人
NPO法人京都アカデメイア・スタッフ。佛教大学大学院 社会学研究科博士後期課程在学。専攻は社会学。京都府医師会看護専門学校 非常勤講師。研究会 佛大・社会学研究ゼミ/SISBU 主宰。研究会誌「SOCIOLOGICAL SEMINAR」(佛大・社会学研究ゼミ発行)企画・編集。Twitter:@yoshio_ok
2015年5月3日(日曜、憲法記念日)、13:00-14:30
場所:GACCOH(京阪電車「出町柳駅」2番出口より徒歩5分)
参加費無料、事前申し込み不要。当日会場までお越しください。
お問い合わせ:kyotoacademeia+juku@gmail.com
こんにちは!村田です。(批評鍋でいつも鍋を食べているだけの者です。)
京アカでブログを書くのは実に実に久しぶりでして、ブログもリニューアルしたことであるし、自己紹介もかねて「私にとって京アカとは」的なテーマで書いてみては、と勧めていただいたのでありますが、昨今京アカの活動にもめっきり参加できておらず(鍋を食べる以外)、勉強からも遠ざかり気味でありなんとも情けない思いであります。
とはいえちょくちょく読書会に参加したりもしておりまして、ずっと 「私にとって京アカとは」 と問われると「アカデミック出会い系みたいな感じ」と答えておったのですが、まさに以前に『構造と力』読書会を通じて知り合ったメンバーと、最近はフロイト読書会をしました。ひとりで考えるとすぐに行き詰まってぐるぐるしがちな性質なのでありますが、フロイトという著者はひとりで読むとぐるぐるしがちの極致のようなものであるから、いろんな専門の人が集まって、時代背景、他の思想家、現代の精神医学、はたまた個人的体験にも話を飛ばしながら読めたのは有難いことであり、大学を離れて久しいが、やっぱ勉強会ええなあ、と思ったのでありました。
さてそうしてわいわい勉強できることに感謝する一方で、わたしはじめじめひとりで何かすることも好きであり、じめじめひとりで何かして自足している人に憧れます。
たとえばわたしは「パラダイス」めぐりを趣味としているのであるが(「パラダイス」とはテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で名付けられた、いかにも土地の余った田舎や郊外でたいていは中高年の男性が一人で、なんともいえない珍妙なオブジェ群やアトラクション群でもって或るワールドを作り上げてしまったものを指す)、「パラダイス」はアウトサイダーアートの一種であると思っておりその著名なものがシュヴァルの理想宮であると思うのですが「どこから/どこまでがアートか」という論にここでは深入りしたくないので「パラダイス」という絶妙な名称で統一しますが、パラダイスが好きなのは、それがひとり作者(パラダイサー)の世界観に基づいてその自足のために飽かずコツコツと作られているところです。勿論来場者の愉しみが考慮されていたりもするのだけど(でも独りよがりだったりする)、基本的に、儲けが度外視され作者が愉しんで作っている、というところに惹かれるのであります。
一方でこの自分の嗜好に私は疑念をもってきてもおりまして、それは、この嗜好は、オーソライズされていない者の作品(と呼んでよいか分からんが)に、しふぉん主義の中で失われたピュアネスやなんやを投影する、ある種失礼な「オリエンタリズム」、あるいは嘲笑的キッチュ趣味のようなものがベースにあるのでないか?という疑念であったのでありますが、先日先輩に「ものすごく絵が下手な絵付け職人」を教えてもらい、その人の作品を見、たしかに絵がすごく下手なのだが不思議な迫力のある世界が展開されているのを目の当たりにし、さらにその制作者の目が作品に凝らした工夫や趣向を語りながらきらきらと輝いているのを見たとき、「いや!違う!」と強く思うたのでした。「自分は、未熟だったり売れなかったりしても愉しんで描き続けている人が好きなのだな、そしてそうして描き続けることは『失われた』ことでなく、端的に自分にとって『まだ手に入れられていない』ことなのだな、だからこのパラダイス愛は敬意なんや……!」と強く感じたのでありました。
なんか勉強するとか論文書くとかいうのも絶対そういうパラダイス的側面をもっていると思うておりまして、そのように自身も、ひとりでじめじめとパラダイス的世界を作り上げつつ出会い系的世界にてその我がパラダイスを伝えられたらばまったく理想的なのでありますが、なかなか実際はひとりでは集中力が続かずに中途半端に出会い系に頼る、という凡人回路をぐるぐるしている日々です。
またなんか書きますね。
(画像はハニベ巌窟院の未完成大仏)
電王戦FINALが閉幕した。
結果は、プロ棋士がコンピュータソフトに3勝2敗で、初めてプロ棋士側の勝ち越し。第1回から第3回までの電王戦でプロ棋士側が大幅に負け越してきただけに、将棋関係者や将棋ファンからは安堵の声があがっていた。
とはいえ、その幕切れがいささか後味の悪いものになってしまったこともまた確かだ。
2勝2敗で迎えた最終局、阿久津主税八段 vs AWAKEの戦いは開始からわずか49分、21手でAWAKE側の投了となった。投了図は下図のとおり。(投了図は記事の最後にリンクした野月浩貴七段の記事から引用した)
20手目に後手AWAKEが△2八角と敵陣に打ち込み、21手目に先手阿久津八段が▲1六香と香車を上がったところで、AWAKE開発者の巨勢さんが「ここで投了します」と唐突に投了を告げた。あまりにも早い終局に、ニコ生での中継解説は騒然とした雰囲気となり、重々しい空気に包まれる対局場が映し出されていた。
投了図後は、どうあがいても敵陣に打ち込まれた2八角が先手に召し捕られてしまう格好。結論からいうと20手目に後手が△2八角と打ち込んできたのが無理筋で、阿久津八段がその無理筋を的確に咎めたことになる。
ただし問題となったのは、現バージョンのAWAKEはこのかたちになると無理筋にもかかわらず△2八角と敵陣に打ち込んでくることが、電王戦の開幕前からすでに、アマチュア参加型のイベント(「電王AWAKEに勝てたら100万円!」)のなかで明らかになっていたということだった。この企画に挑戦したアマチュア強豪のひとりが、この筋を利用して見事にAWAKEを破り、100万円を獲得したという出来事が電王戦直前に起きていた。この出来事は将棋ファンのあいだでもニュースとなり、はたして阿久津八段もこの筋を使うのかどうかが最終局の前からひそかに関心の的になっていた。
投了後に行われた記者会見では、AWAKE開発者の巨勢亮一さんは「すでにアマチュアの方が指されていた形を、プロ棋士が指すのはやり辛いのではないかと思っていた」「このような指し方はプロ棋士の存在意義脅かすものではないか」と憮然とした表情で述べた。ソフト側に欠陥があることがわかっているにしても、すでにアマチュアが公開イベントで試して勝利している「ハメ形」を、プロ棋士がこういった大舞台で指してくるのはいかがなものか。もっと正々堂々と戦ってはどうなのか。巨勢さんの発言からはそういった怒りと悔しさが滲み出ていた。
阿久津八段は、このかたちを指すことに葛藤があったとしながらも、プロ棋士側の大将でこの勝負は勝たなければならない大一番だったことから、一番勝つ確率の高い指し方を選んだと説明した。そのような阿久津八段の決断に対して、将棋ファンからは「プロ棋士ならば相手の弱点を突くのは当然」という意見と「プロ棋士ならばハメ形など利用せず、堂々と戦ってほしかった」という意見との両方が聞かれ、一種の論争にまで発展した。
この論争のどちらが正しいかを簡単に結論づけることはできないだろう。それぞれにそれぞれの立場からの言い分がある。真剣勝負をかけて戦うプロ棋士とソフト開発者のあいだに見解の齟齬が生まれるのも当然だと言える。むしろこのような論争を含めて、人間とコンピュータ(人工知能)の対峙の仕方がいかなるものであるべきかを考えるための最高の素材を与えてくれることに電王戦の最大の価値があったのだと見るべきなのかもしれない。
この点について本質を突く発言をしていたのは、主催者のひとりであるドワンゴ会長の川上量生氏だった。
「この電王戦の大きなテーマは、人間とコンピュータの関係を世の中に問うということだと思っています。そういった意味で、今回の電王戦は今までのなかでも一番、人間とコンピュータが性能を競うとはどういうことなのかということについて、いろいろな問いを投げかけてくれたのではないかと思って、大変に満足をしています」
電王戦はしばしば「人類vsコンピュータ」という図式で語られ(そして実際にドワンゴ自身がそのような対立図式を煽っているのだが)、プロ棋士とコンピュータソフトのどちらが勝ったのかという点にのみ関心が行きがちだが、むしろ一番重要な問いは勝ち負けではなく、その戦いを通してどのような人間とコンピューターの関係性の未来が見えてくるのかということにある。
今回の最終局について言えば、阿久津八段がAWAKEのハメ形を知ったうえで、その弱点を採用するのかしないのか、彼がどのように戦い、またソフト開発者はそれに対してどのように対応するのか、そしてそこからどのようなドラマが生まれ、観客はそこに何を感じとるのか、ファンの間でどのような議論が巻き起こるのか、人間とコンピュータの対戦が生み出すそのような一連の反応こそが、電王戦の最も重要な要素だったということである。
それらの反応からは、人間とコンピュータ(人工知能)の関係性の未来を予測することができるだけではなく、そもそも人間とコンピュータ(人工知能)の違いとは何なのか、「人間(らしさ)」とは何なのか、というより根本的な問いが立ち上がってくる。もし部分的な性能においてコンピュータ(人工知能)が人間の能力を追い抜いたとき、それに人間はどのように対応するだろうか、そこで脅かされる人間の意義とは何だろうか。あるいは決してコンピュータ(人工知能)には真似することのできない「人間的」な部分とは何だろうか。そのような哲学的問いを、電王戦が生み出したドラマはわれわれに問いかけてくるのである。
プロ棋士がコンピュータソフトに負けたからといって、その事実だけで単純にプロ棋士の存在意義が脅かされるということはないはずだ。むしろ本質的な問題は、コンピュータソフトにその実力を追い抜かれようとしているときに、プロ棋士側がその過酷な現実に対してどのような手を打っていくのかということにある。その意味では、ここ数年、将棋ファンの枠を超えて広い盛り上がりを見せている電王戦シリーズの開催は、今までののところ、プロ棋士側がとるべき対応として大成功の結果を収めていると見るべきではないだろうか。日本将棋連盟は、プロ棋士がコンピュータソフトに負けるというピンチを、電王戦という興行イベントを立ち上げることによって見事にチャンスに変えたのだ。
ここ数年、毎年さまざまなドラマと論争を巻き起こしてきた電王戦は、今回がFINALと銘打たれている。少なくとも第2回~今回までのような5対5の対戦形式での開催は今年が最後ということである。しかし最後の記者会見では、日本将棋連盟とドワンゴのあいだで次なる企画に向けた話し合いが進められていることが明らかにされた。ここまでピンチをチャンスに変えてきた日本将棋連盟が、次に放つ一手とはどのようなものだろうか。将棋ファンのひとりとして楽しみに見守ることにしたい。
参考記事:電王戦FINAL第5局 観戦記 野月浩貴七段(ニコニコニュース)
「ハメ手」って何? 将棋・電王戦で21手でコンピューターが投了 人類が圧勝した理由とは(The Huffington Post)
将棋電王戦FINAL 第5局 阿久津主税 八段 vs AWAKE PV (ニコニコ動画)
ドキュメント コンピュータ将棋 天才たちが紡ぐドラマ (角川新書)
松本博文 (著)
4月19日、アカデメイア・カフェ no.10 「はじめてのベーシックインカム」 を開催しました。
ベーシックインカムの勉強会を開催されている中村さん、高橋さんにプレゼンしていただきました。
中村さんはベーシックインカム勉強会いしかわ(石川県)、若者や子どもの就学や就労を支援するNPO法人ワンネススクールで活動されています。
“家庭環境や災害など波瀾万丈な人生経験をくぐり抜けてきた”という自己紹介がとてもインパクトがありました。でも、それは特別なことではなく、だれにでも起こる可能性のある話でもあります。
ベーシックインカムとは?
基本的な収入。
最低所得保障や基礎所得保障とも言う。国が無条件に一定の金額を長期的に国民に給付する制度。
ただし、様々な制度設計の提案があり「これがベーシックインカムです」といった形はない。
社会はどうかわるのか?
たとえば、仕事の考え方が変わるかも。なぜ働くのか、どう働くのかを考えて、選べるようになる。
どのくらいの額なのか?
たとえば月1人7万円とすると、母子家庭なら母と子供(1人)で7×2=14万、4人家族なら28万円(ただし未成年は成人の半額にするという見積りもあり得る)
財源はどうするのか?
実施するには、もし月1人8万円にすれば年間約100兆円は掛かる。しかし所得税や社会保障統合、日銀や政府による通貨発行プランなど、実は様々な試算がある。
実際に採用しているところは?
実施に近い例ではナミビアやモンゴルなど。最近スイスでも実施の機運が高まっている。
公共性という観点から
すべての人の参加や幸せのための制度とは何か。ベーシックインカムの議論はよい材料になる。ひとつの手段としてベーシックインカムを考える。
高橋さんには財源の計算方法や制度設計についてお話いただきました。
後半は会場のみなさんと議論でとても盛り上がりました。
ベーシック・インカムの実施の障害や弊害。社会保障とのかね合い。教育との関係や経済に与える影響etc
ご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました!
ベーシックインカムについて一番多い反応は賛成でも反対でもない。一番は”リアリティがない”という反応だ。
逆に言うと、リアリティさえ抱くことができれば実行は難しくない。
ウィキペディアの「ベーシックインカム」がかなり充実していて参考になります。
京都アカデメイア塾「論文の読み書き」クラスで作った要約の紹介です。
【要約】
日本人は過去の歴史を肯定し現在を認めたくない一方で、中国人は過去の歴史を否定し現在を肯定したいという、両国民のねじれた葛藤が日中関係の大きな阻害要因となっている。
その葛藤が顕在化したのが尖閣諸島問題である。「司法」や「武力」での解決は現実的でない。「話し合い」で解決するにも、日本側の「日中間に領土問題は存在しない」という言葉と、中国側の「領土問題の棚上げ」という言葉に縛られて動けなくなっている。そこで「凍結」という言葉に変えることを提案する。
歴史認識も日中間の問題となっている。日本はA級戦犯の裁判を国際的に受け入れたのだから、それに従わなければならない。
日中関係の基本となる日米関係を大切にするとともに、戦後に積み重ねてきた日中の友好関係の重みも再確認すべきである。一刻も早く首脳会談が実現することを期待する。
「日中関係の基本となる日米関係を大切にする」というところは戦後の歴史を知らないと理解しづらかったので、その確認をしました。また、「棚上げ」と「凍結」の違いを本文から正確に理解するように努めました。
京都アカデメイア塾「論文の読み書き」クラスの報告を兼ねて私が作った要約文を載せます。
【要約】
中国と北朝鮮に不穏な動向があり、アメリカの抑止力が相対的に低下している現状では、日本による集団的自衛権の行使が容認されるべきである。ただし、国民の生命等を守るために、他に適当な手段がなく、必要最小限度の実力行使に限定されるべきではある。
集団的自衛権の行使は、国連憲章でも明確に認められているものであって、憲法を改正せずとも憲法解釈を変更することで可能となる。とはいえ実際に行使するためには法律を整備しなければならない。武装難民が尖閣諸島に上陸したといったグレーゾーンへの対処を予め訓練しておかなければならない。合理性の見地から徴兵制は必要ない。政治家の覚悟こそが必要である。集団的自衛権を行使できるようになれば、日米同盟がより対等な関係となり、沖縄に集中している在日米軍基地の整理縮小に言及する権利を持つことができる可能性が生じる。
この論文を読むためには、集団的自衛権と個別的自衛権の区別なども前提として必要です。そうした下調べも含めて、これまで漠然としか見ていなかったテーマについて自分なりの意見を形成してもらいました。
京都アカデメイアでは新規会員を募集しています。
京都アカデメイアは、「専門分野や所属などをこえて、みんなで一緒に勉強する場をつくる」ことを目的として作られたNPO法人です。だいたい月一回程度、なにかしらのカジュアルな勉強イベントを開催しています。具体的には、(1) ひとつのテーマを決めて参加者で自由に議論しあうアカデメイア・カフェ、(2) 課題本を決めてそれについての感想を鍋をつつきあいながら話し合う批評鍋、(3) 書評やブログなどをウェブを通じて発信、などの活動を主に行っています。その他、なにか外部(他団体)から持ち込み企画があった場合にはそれに応えてイベントを企画したりすることもあります。そのときどきのメンバーの興味関心に応じて、毎月の企画を立てて、自分たちで運営をしています。ホームページから過去の活動履歴など確認できるので、興味ある方はご覧になってください。
一緒に京都アカデメイアの活動に参加してみたい、勉強系のイベントを企画・運営してみたい、という方がいれば、ぜひお気軽にご連絡ください。京都アカデメイアの理念に賛同してくださる方、京都アカデメイアの活動に興味をもってくださる方であれば、所属や年齢を問わず、誰でも歓迎します。学生(大学生以外も可)、学生以外の方、社会人の方、一般市民の方、などどなたでも参加可能です。
また直接に活動には参加できないけれども京都アカデメイアを応援したい、という方には賛助会員の制度も設けています。1口1000円からの賛助を受けつけています。正会員、賛助会員になってくださった方には、毎年一回、京都アカデメイアの会報(京アカ通信)を送らせていただいています。現在は、正会員が約20名、賛助会員が約10名ほどで構成されています。入会案内はこちらからどうぞ。
直近では4月19日(日)18時からGACCOHにて、「はじめてのベーシックインカム」をテーマとしたアカデメイアカフェを開催します。こちらはベーシックインカム勉強会関西さんとベーシックインカム勉強会いしかわさんとのコラボ企画です。イベントスペースGACCOHさんにもしばしばお世話になっています。京都アカデメイアの活動に関心をもたれた方は、こちらのイベントに遊びに来ていたただければ、その際に詳しいお話などもさせていただけると思います。これ以外にも、だいたい毎月一回程度、何かしらのイベントや企画などを開催しているので、ご都合あう際にご連絡をいただければ幸いです。
また会員以外の方にもメーリングリストで今後のイベント情報や書評の更新情報などのお知らせを行っています。登録希望の方はこちらのフォーマットからどうぞ。さらに専門的に学んでみたい、という方には京都アカデメイア塾の運営もしております。こちらも随時、受講生募集中ですのでどうぞよろしくお願いします。お問い合わせ、リクエストなどはkyotoacademeia□gmail.comまでどうぞ(□に@を入れてください)。
みなさまのご参加をお待ちしております!ともに京都から街場での学びを広げていきましょう!
京都アカデメイア塾の「論文の読み書き」クラスで要約を作ったのでここに載せておきます。
【要約】
ガンの原因がつきとめられるなど、医療技術の進化によって日本人の平均寿命が伸び続けている。ところが他方で高齢者の孤独死を懸念する声もきかれるようになっている。この対照は「寿命」が宙に浮いていると表現できる。平均寿命50年時代の死生観がゆらぎはじめているのである。
その死生観とは死を引き受け覚悟することが生きることであるというものである。日本では地震、津波、台風などの自然の脅威が大きいので、自然に逆らうのではなく順応するという天然の無常という感覚がつくりあげられ、これがその死生観の芯となっていたのである。
現在の長寿社会では生が延長されて死が遠くに切り離されている。私たちはここでもう一度死生観という人生モデルを思いおこし、これからの人生をあらためて歩みだすときにきているのではないだろうか。
本文の正確な理解を前提として、年金などの制度問題と死生観をごっちゃにしているのではないか、死を強調しすぎると例えば延命治療などを要求しづらくなるのではないか、といった本文に対する批判的な議論もしました。