月別アーカイブ: 2014年2月

次回イベント 〈大学改革、どうしてこうなった!?―「京大騒動」から見る大学のいま〉

百木です。
次回イベントのお知らせです。今回は「大学改革」について考えるイベントをやります。

ここ1~2年、京都大学を中心に「大学改革」の是非が話題になっています。
単純な反対論だけでなく、この「大学改革」問題をつうじて何が見えてくるのか、を幅広い視点からディスカッションできればと考えています。

今回は京アカ初のGACCOHさんのレンタルスペースをお借りしてのイベントになります。
大学生(京大生)以外の方でも、関心ある方はどなたでもご参加ください。
「大学」のあり方について、あるいは「大学」の外での学びについて、みんなで語り合いましょう。
みなさまのご参加をお待ちしております!

———————————–
大学改革、どうしてこうなった!?―「京大騒動」から見る大学のいま

【日時】 3月7日(金) 18:30-20:30

【場所】 GACCOH レンタルスペース http://www.gaccoh.jp/

※参加無料、ただし場所代としてひとり数百円程度のカンパを頂く予定です。
  参加希望者は事前に senriadachi<at>gmail.com (安達)までご連絡お願いします。

【内容】
18:30-あいさつ(百木)
18:40-(1) ローカルに見る大学:「京大騒動」この一年―思修館から総長選挙まで(安達)
19:00-(2)ナショナルに見る大学:文科省と国立大学の「絆」――法人化の前と後(渡邉)
19:20-(3) グローバルに見る大学:そもそも〈大学〉って?――大学の歴史を振り返る(百木)
19:40-質疑(司会:渡邉)
20:30 終了、希望者は親睦会あり

【告知文】

 京都大学構内を歩く…ふと目をとめれば工事現場。そういえば、ルネは去年新しく(狭く)なったし、吉田寮入口も工事用の壁で覆われています。建物・教室の名前も入学したころとは違っているらしい。

 目に見える変化だけではありません。思修館、国際高等教育院といった新しいしくみが、矢継ぎ早に出てきます。その都度、反対や皮肉の声も聞こえますが、結局ほぼすべて大学が決めたとおりに事が進んでいるようです。

 京大ばかりではなく、いますべての日本の大学が変わりつつあります。よく言われるのは次のようなこと。英語での授業を増やさなければならない。グローバル人材を作りださなければいけない。学生はコミュニケーション能力をつけなければならない。

 なぜ、これほどまで大学の不備が指摘され、休む間もなく制度が変わるのでしょうか。
 
 一つ目のレクチャーでは『「京大騒動」この一年』と題し、およそこの一年でおこった京大における大学改革をまとめます。さまざまな改革への疑問は松本総長に対する不満へと切り替わることも少なくありませんが、今回は「学生かくあるべき論」「総長の悪口」といったものではなく、改革と呼べる事実を淡々と追ってみることにしましょう。

 二つ目は、「文科省と国立大学の「絆」――法人化の前と後」と題し、大学を理解する上で見逃すことのできない文部科学省との接点を確認します。大学設置と評価、概算要求、人事などの点に触れながら、戦後から2004年の大学法人化にいたる数十年の流れを概観し、文科省およびその他の機関がいかに大学に関与しているのかを明らかにします。

 三つ目は「そもそも〈大学〉って?――大学の歴史を振り返る」。中世に成立した〈大学〉の歴史を大づかみに振り返りながら、現在、日本の大学が置かれている立ち位置を考えます。最近話題の「大学の外での学び」の可能性についても、希望・問題点双方の点から迫ります。

 (1)ローカル(2)ナショナル(3)グローバルという三つの空間的視点は、それぞれ(1)1~2年(2)数十年(3)数世紀という時間軸に対応します。三つの側面から大学のいまを追い、私たちの学びを問い直す二時間。

—————–

大学とは何か (岩波新書)

大学とは何か (岩波新書)

未来形の大学 [高等教育シリーズ] (高等教育シリーズ)

未来形の大学 [高等教育シリーズ] (高等教育シリーズ)

古典を失った大学―近代性の危機と教養の行方

古典を失った大学―近代性の危機と教養の行方

大学教授という仕事

大学教授という仕事

【まとめ】第8回批評鍋『学力幻想』


うまく表示できない場合はコチラ

2014年最初の批評鍋では小玉重夫,『学力幻想』を取り上げました。
世間は入試シーズン真っ只中。教育にかかわるニュースや議論も多く聞かれます。他方、教育制度に関しては、グローバル化に対応することをめざして小学校での外国語教育が必修化されました。また、近年のいじめ問題を契機として、道徳や日本史の必修化が政府の方で議論されるなど、教育制度の改革の動きが高まっています。
ところで、教育とはそもそも何のために行なわれるのでしょうか。この疑問に対する最も単純な答えは「子どものため」というものでしょう。たしかに、学校教育は、読み書き計算など、社会生活で必要なの能力を学習する場です。しかし、それだけではなく、教育には社会の再生産や社会の革新などの複数の重要な機能があります。
では、なぜそこには光が当たりにくいのでしょう。著者は、いまの教育がある種の幻想(学力幻想)に包まれていると主張します。教育が子どものためにあるという発想もその一つだといいます。本書では学力幻想が作り出された歴史的な過程と思想的な背景を踏まえながら、その問題点と解決策を探っています。今回は、教育や教育支援の実践に関わっている船越と百木、浅野、大窪の4人で議論しました。

出演者:
船越克真
浅野直樹
百木 漠
大窪善人

話題一覧:
◯「ゆとり教育」とは何だったのか?
・戦後の教育論争。上から派(題解決型学習)vs下から派(体系型学習)
・そもそも「ゆとり教育」って何?
・ゆとり教育の狙いと誤解
・週休2日制は子どものためではなかった
・学力低下論背後には役所間の縄張り争いがあった
・脱ゆとり教育へ
・ゆとり/脱ゆとり教育に共通する前提
・ゆとり教育と教育格差
・教育における左翼的な傾向へのアレルギー
・教育にある複数の機能。社会の再生産と革新

◯幻想1 教育は子どものためにある
・教育の目的とは何か
・子供中心主義教育vs社会中心主義教育
・公教育の起源
・アーレントの教育論
・複数性と権威。アーレント思想の両義性
・日本社会での公教育の位置づけ―教育の公的支出の国際比較

◯幻想2 みんな頑張ればできる
・親が頑張れば子どもが育つ?
・メリトクラシーからペアレントクラシーへ
・教育格差論。文化資本論
・フランスや北欧で学校の宿題が出ない理由

◯教育と政治との関係
・学校に対する親や社会の過剰な期待とその背景
・公教育が直面する困難な問題
・学校外での社会の中での教育の可能性
・教育における「権威」の衰退と必要性
・「公共性」の意味の日本/西洋での捉え方の違い

【今回の鍋】
鱈と鰆の味噌鍋
f:id:kyotoacademeia:20140201200058j:image:w360

【参考資料】
公財政教育支出の対GDP比
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/11/07/1327455_5.pdf
(文部科学省,2012年)