浅野です。
京都アカデメイア塾の提供サービスの一つであるレンタル・ブレーンの依頼を最近受けました。パソコン関係で悩んでいることをいっしょに考えました。本質的にどういうことを行っているのかを考えつつ、英語のエラーログを読んで、検索して、試行錯誤することで解決に至りました。
解決する保証はございませんが、このようにいっしょに考えることはできますので、お気軽にお問い合わせください。
京都アカデメイア会員 小林哲也さんの新著 『ベンヤミンにおける「純化」の思考』の出版を記念してニコニコ生放送にて特別イベントを開催します。
芸術批評、都市論、言語論、歴史哲学、法と暴力の理論など多様な作品を残し、現在の思想・哲学に多大な影響を与えてきた思想家 ヴァルター・ベンヤミン。一つの理論体系に収斂することを拒絶するかのような彼の作品群は今もって様々な謎や魅力的な輝きに満ちています。
『ベンヤミンにおける「純化」の思考』は、「純粋さ」と「純化」をキーワードにしてベンヤミンの新たな解釈を呈示する思想史研究です。
放送ではベンヤミンの思想や同時代の社会や思想家との応答について掘り下げながら、現代社会を考えるヒントについても探ります。/大窪善人
日時:2015年12月13日(日)16:00~17:30
出演:小林哲也氏、大窪善人(司会)
ゲスト・プロフィール:こばやし てつや 1981年、北海道札幌市に生まれる。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。専攻、ドイツ文学・思想。現在、京都大学非常勤講師(著者紹介より)
放送はニコニコ生放送 京アカチャンネルにて行います。
ぜひご覧ください。
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百木です。次回読書会のお知らせです。
今回は、宇都宮大学専任講師の吉良貴之さんをゲストにお招きして、井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』の読書会を行います。
挑発的なタイトルで話題になっていたこの本ですが、中身は結構本格的で、法哲学者・井上達夫氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)のこれまでの研究を振り返りつつ、リベラリズムが現在置かれている状況についての包括的な議論がなされています。「憲法9条削除論」や「徴兵制賛成論」などの大胆な提案もなされているので、この本の読書会という形式をとりながら、今年話題になった安保法制や立憲主義や憲法9条の問題についても議論できればと思っています。
ゲストの吉良貴之さんは法哲学がご専門であり、とりわけ法哲学における「世代間正義」の問題について詳しく研究をされています。この本の専門的な部分についての解説などもお願いしつつ、吉良さんが現在関心を持たれている「法と科学と立憲主義」についてもご報告をいただけるとお聞きしています。吉良さんは今年出版された、シーラ・ジャサノフ『法廷に立つ科学ーー「法と科学」入門』(勁草書房)の監訳者のひとりでもあり、最近では「法と科学」の関係についていろいろ考えを深めておられるとのことです。
できれば課題本を読了してきてもらうのが望ましいのですが、今回の読書会については、本の内容を細かく議論するというよりも、この本を叩き台としながら、「リベラリズム」「立憲主義」「法の支配」などについて広く参加者で議論をできればと考えていますので、必ずしも課題本読了を参加条件とはしません。こういったテーマに関心ある方であれば、どなたでもお気軽にご参加いただければと思います。この機会に吉良さんとお話ししてみたいという方の参加も歓迎です。
<第5回京都アカデメイア読書会>
日時:12月6日(日)14時~17時
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
課題本:井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムのことは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版、2015年)
参加費:場所代としてひとり数百円程度のカンパを頂きます。
当日飛び込み参加も歓迎ですが、できれば参加予定の方は事前にkyotoacademeia[@]gmail.comまでご連絡いただければ幸いです(レジュメ準備など人数把握のため)。問い合わせ・ご質問もこちらのアドレスまでお願いします。
※参考リンク
緊急提言 憲法から9条を削除せよ(BLOGOS) – 井上達夫(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
井上達夫・東大教授(1)安保法案議論の不毛、その原因は? (毎日新聞)
井上達夫・東大教授(2)リベラリズムとは「他者に対する公正さ」(毎日新聞)
井上達夫・東大教授(3止)ハーバード白熱教室、その先に……(毎日新聞)
百木です。10月28日(水)に第4回京都アカデメイア読書会(課題本:藤原辰史『食べること 考えること』)を開催しました。著者の藤原辰史先生をゲストにお招きしての特別回でした。
藤原辰史先生は、「食」の歴史研究と「ナチス・ドイツ」の歴史研究を掛けあわせた、とてもユニークで面白い研究をされています。『食べること 考えること』はこれまで藤原先生がいろいろな媒体に書かれた文章を集めて作られた本で、さまざまな切り口から「食」や「農業」の問題が論じられています。どの文章も手頃な短さなので読みやすいですし、散文集なのでその時々で気が向いたページを開いて、ちょっとした空き時間に好きなところを読む、という楽しみ方が可能です。持ち運びやすいサイズで装丁も素敵です。
この本を読んでまず印象的なのは、「食」をめぐる生々しい、「生」の匂いに満ちた、ときに猥雑な描写が多くなされていることです。食べ物とはつまるところ生物の死骸の塊である、という冒頭の文章から始まって、現代の衛生化された食生活のなかでは隠されがちな、腐敗や殺傷や収奪の問題が次々と語られていきます。普段の私たちの食生活を支えているものの背後には何が隠されているのか、パッケージ化された食品はどういった経緯をたどって私たちの食卓に届いているのか、私たちが抱えている「食」の問題の本質とは何なのか、そういった問いに筆者は鋭く切り込んでいきます。
そこから炙りだされる資本主義や全体主義の問題、国民の食生活をすべて管理しようとする国家の問題、「健康」や「清潔」を過剰に意識してしまう現代社会の問題、などが次々に明らかにされていく。これはつまるところ、「食」と資本主義の問題、あるいは「食」と全体主義も問題なのではないかなというのが私(百木)なりの理解です。
そのことを考えるときに示唆的なのは、ナチス・ドイツが残虐な侵略行為や虐殺行為を行ったいっぽうで、国民の「健康」に対して過剰なまでに気を配る社会であったという事実です。「健康」と「清潔」こそがナチス・ドイツのキーワードであり、それはある意味で現代の「健康」ブームや「清潔」ブームを先取りするものでもあった。その意味では、現代社会もまた(潜在的に)「ナチス的」であると言うこともできる。藤原先生が『ナチスのキッチン』で示されたような、ナチスドイツ下において台所を極限まで「効率化」しようとする運動があったという事例は、そうした観点から見たときに非常にアクチュアルな意味合いをもってくる。この本にも収録された『ナチスのキッチン』のあとがきのなかで、ナチスドイツ下の台所における主婦と収容所における囚人がある種のアナロジーにおいて語られている箇所は、(大変ショッキングですが)印象的です。
以上はあくまで私(百木)なりの感想ですが、読書会ではそうした感想に対して藤原先生から「国家」と「食」の問題、あるいは「資本主義」と「食」の問題について、さまざまに具体的な例をあげながら応答がありました。食育基本法、TPP、農業問題などの時事ネタとともに、藤原先生の体験談、普段考えられていることなどがユーモラスに語られ、参加者一同それに興味深く耳を傾けました。質疑応答でも予定時間を大幅に超えて活発に議論がなされ、非常に充実した読書会になったのではないかと自負しています。
読書会のはじめに藤原先生が仲間の先生方とともに主宰されている自由と平和のための京大有志の会の宣伝があり、そちらのほうでも今度、さまざまな読書会や勉強会のイベントが企画されていることが紹介されていました。「鶴見俊輔を読む会」、京都大学11月祭でのシンポジウムなどが企画されているそうなので、関心ある方ははぜひ。京都アカデメイアでも引き続き、こうした読書会や勉強会など少しずつ企画していければと考えていますので、応援いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
浅野です。
新倉先生の「初級経済学」への新規問い合わせがあり、初回体験授業に同席してきました。専門の先生が受講生の希望や状況に応じてミクロ・マクロ経済学の全体像を教えてくれます。
私も経済学はそれなりに勉強しましたが、「均衡点が2つあれば量的緩和の効果があるかもしれない」といった難しいけれども現状とも関わることはよくわからず、わかるようになりたいと思いました。