百木です。10月28日(水)に第4回京都アカデメイア読書会(課題本:藤原辰史『食べること 考えること』)を開催しました。著者の藤原辰史先生をゲストにお招きしての特別回でした。
藤原辰史先生は、「食」の歴史研究と「ナチス・ドイツ」の歴史研究を掛けあわせた、とてもユニークで面白い研究をされています。『食べること 考えること』はこれまで藤原先生がいろいろな媒体に書かれた文章を集めて作られた本で、さまざまな切り口から「食」や「農業」の問題が論じられています。どの文章も手頃な短さなので読みやすいですし、散文集なのでその時々で気が向いたページを開いて、ちょっとした空き時間に好きなところを読む、という楽しみ方が可能です。持ち運びやすいサイズで装丁も素敵です。
この本を読んでまず印象的なのは、「食」をめぐる生々しい、「生」の匂いに満ちた、ときに猥雑な描写が多くなされていることです。食べ物とはつまるところ生物の死骸の塊である、という冒頭の文章から始まって、現代の衛生化された食生活のなかでは隠されがちな、腐敗や殺傷や収奪の問題が次々と語られていきます。普段の私たちの食生活を支えているものの背後には何が隠されているのか、パッケージ化された食品はどういった経緯をたどって私たちの食卓に届いているのか、私たちが抱えている「食」の問題の本質とは何なのか、そういった問いに筆者は鋭く切り込んでいきます。
そこから炙りだされる資本主義や全体主義の問題、国民の食生活をすべて管理しようとする国家の問題、「健康」や「清潔」を過剰に意識してしまう現代社会の問題、などが次々に明らかにされていく。これはつまるところ、「食」と資本主義の問題、あるいは「食」と全体主義も問題なのではないかなというのが私(百木)なりの理解です。
そのことを考えるときに示唆的なのは、ナチス・ドイツが残虐な侵略行為や虐殺行為を行ったいっぽうで、国民の「健康」に対して過剰なまでに気を配る社会であったという事実です。「健康」と「清潔」こそがナチス・ドイツのキーワードであり、それはある意味で現代の「健康」ブームや「清潔」ブームを先取りするものでもあった。その意味では、現代社会もまた(潜在的に)「ナチス的」であると言うこともできる。藤原先生が『ナチスのキッチン』で示されたような、ナチスドイツ下において台所を極限まで「効率化」しようとする運動があったという事例は、そうした観点から見たときに非常にアクチュアルな意味合いをもってくる。この本にも収録された『ナチスのキッチン』のあとがきのなかで、ナチスドイツ下の台所における主婦と収容所における囚人がある種のアナロジーにおいて語られている箇所は、(大変ショッキングですが)印象的です。
以上はあくまで私(百木)なりの感想ですが、読書会ではそうした感想に対して藤原先生から「国家」と「食」の問題、あるいは「資本主義」と「食」の問題について、さまざまに具体的な例をあげながら応答がありました。食育基本法、TPP、農業問題などの時事ネタとともに、藤原先生の体験談、普段考えられていることなどがユーモラスに語られ、参加者一同それに興味深く耳を傾けました。質疑応答でも予定時間を大幅に超えて活発に議論がなされ、非常に充実した読書会になったのではないかと自負しています。
読書会のはじめに藤原先生が仲間の先生方とともに主宰されている自由と平和のための京大有志の会の宣伝があり、そちらのほうでも今度、さまざまな読書会や勉強会のイベントが企画されていることが紹介されていました。「鶴見俊輔を読む会」、京都大学11月祭でのシンポジウムなどが企画されているそうなので、関心ある方ははぜひ。京都アカデメイアでも引き続き、こうした読書会や勉強会など少しずつ企画していければと考えていますので、応援いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。