月別アーカイブ: 2015年8月

カール・シュミット『パルチザンの理論』:「正しい戦争」はあるのか?

大窪善人
 


パルチザンの理論

筑摩書房(1996年03月27日)

 

人類の歴史は、戦争の歴史であるとも言われます。では、「戦争」とは何なのか。どんな戦争もそれ自体”悪”なのか。それとも、戦争には”正しい戦争”と”間違った戦争”とがあるのか…。

本書は、ドイツの憲法学者・政治学者であるシュミットの書(1963年)です。パルチザンという新しい戦闘形態の考察を通じて、戦争観の歴史的な変遷が浮かび上がってきます。

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新装開店した丸善 京都本店に行ってきました

大窪善人
 

先日21日に、10年ぶりにオープンした丸善 京都本店に行ってきました。

京都における丸善は、1872年(明治5年)に「京都支店(丸屋善吉店)」として開設され、その後一度閉店した後、1907年(明治40年)に三条通麩屋町に再開設されました。

http://www.junkudo.co.jp/mj/news/detail.php?news_id=77

丸善は、梶井基次郎の小説にも登場することで有名で、2005年に閉店した時には、小説の内容にちなんでお客さんが”レモン”を置いていったそうです。

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リポート: 「やっぱり知りたい!京都学派」 第2回「京都学派と哲学」を開催しました

 
大好評の「やっぱり知りたい!京都学派」/中島啓勝 (京都アカデメイア塾×GACCOH)の第2回を開催しました。

告知エントリ

第2回のテーマは”京都学派と哲学”。西田幾多郎や「京都学派」のメンバーが、現実政治の変容とどのように関わって行ってしまうのか、というのが今回の話です。

講師は中島啓勝さん。西田の難解な哲学も、ユーモアを交えながら解説します。

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ナビゲーター:中島啓勝 氏

 

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末木文美士『反・仏教学―仏教VS.倫理』:仏教から社会倫理は導けない?

大窪善人
 


反・仏教学 : 仏教vs.倫理

筑摩書房(2013年04月03日)

 

先日の記事でも紹介しましたが、宗教者や宗教団体が、原発や憲法などの、公共的な問題について発言する機会が増えてきているような印象を受けます。

たとえば、
九州電力川内原子力発電所の再稼動に関する声明-いのちは生きる場所を失っては生きられない/東本願寺

公明党の支持母体である創価学会でも政治的な声が高まっているということで大きなニュースになりました。

公明党“板挟み” 首相の70年談話で創価学会「安保反対」が加速/日刊ゲンダイ

さて、さしあたりこのエントリで考えたいことは、それぞれの政治的な争点の中身ではなくて(それぞれの立場からさまざまな意見があると思います)、宗教者や団体が公共的な意見を表明することの意味についてです。

宗教者はときとして、市民というよりむしろ”宗教者”として公共圏に現れることがあります。その場合、彼(女)は、自分が持っている宗教心や信仰にもとづいた意見を求められることになります。そこでポイントになるのは、宗教的な信仰から、それぞれのテーマに対する”主張”と”理由”を提示できるかどうか、です。

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小林正弥・藤丸智雄『本願寺白熱教室-お坊さんは社会で何をするのか?』:公共圏に対する宗教の力

大窪善人
 


 
“お寺版” 白熱教室

お寺や仏教のポピュラーなイメージといえば、お葬式や年末の除夜の鐘、あるいは仏像などの美術品なのではないでしょうか。

他方で、社会や政治のような公共的な問題にはあまりタッチしないという印象もあります。

この本は、2013年に京都 本願寺で開催されたイベントとテーマごとの論考をまとめたものです。他の白熱教室と違う特徴は、議論の参加者のほとんどが僧侶だということです。

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第3回京都アカデメイア古典読書会のお知らせ

みなさま

京都アカデメイアの百木です。
第3回京都アカデメイア古典読書会のお知らせです。
今回の課題本はカール・シュミットの『現代議会主義の精神史的状況 』です。

1923年時点で議会制民主主義の問題を鋭く指摘し、独裁制再考への道を開いた本書は、現代においてもなお、議会政治の正当性を考察するうえで重要な思考の手がかりを与えてくれる一冊です。現代の議会政治や立憲主義の空転状況と引き比べながら、皆さんとあれこれ議論できればと思っています。

翻訳としては最近、岩波文庫で出版されたばかりのものが入手しやすいかと思いますが、みすず書房新装版カール・シュミット著作集収録のものなど他の形態のもので読んできていただいても構いません。
関心ある方はどなたでもお気軽にご参加ください。

<第3回京都アカデメイア古典読書会>
課題本: カール・シュミット『現代議会主義の精神史的状況』
日時: 9月5日(土)14時〜17時
場所: GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
※参加費は無料ですが、場所代をひとり数百円程度のカンパいただきます。

当日の飛び込み参加も可ですが、参加人数を把握するため、参加希望の方は事前にkyotoacademeia[@]gmail.comまたは百木までご連絡いただけると助かります。
たくさんのご参加お待ちしております。

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8月22日 「やっぱり知りたい!京都学派」 第2回「京都学派と哲学」

 

京都アカデメイア×GACCOH コラボ企画 「やっぱり知りたい!京都学派」(全3回)

第2回 「京都学派と哲学」
 

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第2回は、西田が展開した「無の哲学」がどのような影響を与えていったかを、田辺元の「種の論理」や、「京都学派」が戦後大きな批判に遭うきっかけとなる「世界史の哲学」などを中心に解説していきます。
知識人と戦争、哲学と政治という普遍的な問題がここでも問い直されます。
 

日時:2015年8月22日(土) 19:00-21:00
場所:場所:京都出町柳 GACCOH/参加費1000円
ナビゲーター:中島啓勝(なかじま・よしかつ)

お申し込みはこちら(GACCOH申し込みフォーム)
 

<講座第1回の様子はこちら>
「やっぱり知りたい!京都学派」 第1回「京都学派MAP」を開催しました
 

戦後70年安倍首相談話とマイケル・サンデルの「正義」の話

京都アカデメイアの浅野直樹です。これから述べることは私個人の見解で、京都アカデメイアの公式見解ではないことを最初にお断りしておきます。

 

京都アカデメイア塾の授業準備の一環で、遅まきながらマイケル・サンデル著、鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(早川書房、2010)を読みました。

 

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この本を読んだ直後に戦後70年安倍首相談話のニュースに触れて、日本のマスコミがこの談話に曖昧なスタンスを取っているように見える理由が自分なりにわかった気がしたので、ここにまとめます。

 

上に挙げた『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』の第9章「たがいに負うものは何か?――忠誠のジレンマ」の内容がそのまま使えます。そこでは、先祖の罪を償うべきかといった問いに対して、以下の2つの立場があるとされます。

 

 

道徳的個人主義 共同体主義
(物語的な考え方)
主な提唱者 カント、ロールズ アリストテレス、マッキンタイア
先祖の罪を償うべきか 償う必要はない 償うべき
長所 私の責任は私が引き受けたものに限られるという解放感 物語的説明により道徳を考えることができる
短所 一般に認められている道徳的・政治的責務の意義がわからなくなる コミュニティの負荷は抑圧となりがち

 

戦後70年安倍首相談話は、この2つの立場が入り交じっているので、それに対する反応が曖昧になってしまうと考えられます。

 

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 

これが道徳的個人主義の典型です。

 

その直後の

 

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 

は共同体主義(物語的な考え方)です。

 

もし前者の道徳的個人主義を貫くなら、戦後の焼け野原を生きた人はもう人口の二割程度ですし、次の世代は次の世代で生きていくので、2つ目の引用のような発想をしないでしょうし、後者の共同体主義(物語的な考え方)を貫くなら、あの戦争に直接関わっていない子や孫も自分が直接関わっていないという理由だけで謝罪をしなくてもよいということにはなりません。

 

どちらの立場がよいかはともかく、こうした2つの立場があると考えれば議論の土台になると思いまして、紹介させていただきました。

 

(戦後70年安倍首相談話は、平成27年8月14日 内閣総理大臣談話 | 平成27年 | 総理指示・談話など | 総理大臣 | 首相官邸ホームページに全文があるので、そこから引用させてもらいました)

佐藤卓己『八月十五日の神話』:お盆とラジオと玉音放送

大窪善人


 
ある友人がこんなことを言いました。

「8月15日の終戦の日がお盆の日と一致してるって出来過ぎじゃないか。」

たしかに、あらためて言われてみると不思議な感じもします。
本書はメディア史研究の視点からその謎を解き明かしています。
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伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第6章演習問題答案例

京都アカデメイア塾「論文の読み書き」クラスのために作成した、伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第6章演習問題答案例です。

第6章 国際化の戦略
(演習問題)

1.
アメリカでの現地生産は、日本車の輸入に対するアメリカの保護政策に対応するために始まったのに対し、中国での現地生産は圧倒的に安い人件費を求めて始まった。前者は市場を求めて国際化する摩擦回避型投資であり、後者は資源を求めて国際化するコスト優位型投資である。

2.
情報的経営資源の移転には、機械などのハードの移転、生産システムといったソフトの移転、それらの相互作用であるヒューマンウェアの移転がある。これらを直接移転する方法もあれば、大まかな基本思想だけを移転して現地で調整をする、マニュアル化を徹底してそのマニュアルのみを移転する(モノやヒトは移転しない)、ヒト自体を移転するといった方法がある。とくにヒューマンウェアの移転のためには、移転先で本当にうまく機能するように、実践と試行錯誤を繰り返す必要がある。

3.
アメリカではロビー活動が盛んなこともあり、特定の経済団体が自分たちに有利な政策を求める圧力が強いので、自動車産業を保護するために関税を高くするといったことがよくなされる。日本では経済的な利害関係よりも人間関係のしがらみやメディアでのイメージにより投票行動が決定されることが多いので、アメリカほど経済が政治に直接反映されることは少ない。