小林正弥・藤丸智雄『本願寺白熱教室-お坊さんは社会で何をするのか?』:公共圏に対する宗教の力

大窪善人
 


本願寺白熱教室

法藏館(2015-06-10)

 
“お寺版” 白熱教室

お寺や仏教のポピュラーなイメージといえば、お葬式や年末の除夜の鐘、あるいは仏像などの美術品なのではないでしょうか。

他方で、社会や政治のような公共的な問題にはあまりタッチしないという印象もあります。

この本は、2013年に京都 本願寺で開催されたイベントとテーマごとの論考をまとめたものです。他の白熱教室と違う特徴は、議論の参加者のほとんどが僧侶だということです。

白熱教室の部では、サンデル教授の授業の解説でおなじみの小林正弥さんの司会のもと、集まった真宗のお坊さんが議論を繰り広げます。

テーマは「11のジレンマ」と題され、「お寺を離れて被災地の終焉活動に行くべきか」とか「どこまで宗教色を出してもいいのか」といった宗教者の実際の活動にかかわる問題から、「原発再稼働に反対声明を出すべきか」、「地域の集会やイベントに寺の施設を使っていいのか」といった、政治的・公共的な問題などが議論されています。

仏教やお寺にあまりなじみがない人でも、宗教者たちが何に悩んでいるのか、何に向きあおうとしているのかが垣間見られて、楽しめるのではないかと思います。

nishihonganji2

僧侶”として”発言するということ

個人的に興味深かったのは、3章の「原発の是非を問う宗教界」(島薗進)や、内容的にはやや難しいですが、4章の「宗教と公共性」(川村覚文)についての論考です。

ところで、公共的な議論に、僧侶が宗教者として参加することは何を意味するのでしょうか。少し整理してみましょう。

一般的に、公共的な議論は、政府や国会でのフォーマルになされるもの以外に、職場や学校、家庭や任意の団体の中で行われるものがあります。とくに後者は市民的公共圏と呼ばれ、公共的な議論に市民が参加するための重要なチャンスになります。

ときどき、政治家の参拝とか宗教的な発言が問題になることがありますが、それは公共機関や公務員には「政教分離」の原則からの中立性が課せられているからです。他方、市民的公共圏にはそこまでの縛りはありません。なぜなら、そこは、それぞれの市民が、平等の立場から自分が善いと思う考え方をお互いにぶつけ合う空間だからです。

それでは、宗教者が”市民”ではなく、他でもない”宗教者”として現れるのはどのような場合でしょうか。市民的公共圏の基本的なアイデアは、”平等な市民“による理性的な討議にあります。つまり、そこでは年齢や地位や性別、所属などはいったん横において、たとえどんな人であっても議論される問題に関して平等な発言権を持つようにあつかわれます。

とはいえ、「餅は餅屋」と言うように、まずは問題に精通した専門家の意見を聞くというのがありそうな気はします。そのとき専門家は、その問題に関して優先的に発言できる地位を与えられることになります。つまり、彼/彼女は、事実上、”市民”としてではなく、”専門家”として公共圏に現れることになるでしょう。

大切なのは「理由」

それでは、僧侶のような宗教者の場合はどうでしょうか。一般の市民とどこが違うのでしょうか。

公共圏で自分の意見を説得したり同意してもらうには、主張を支える「理由」が重要になってきます。たとえば、憲法の専門家が憲法の問題に関して優先して発言できるのは、一般の市民よりも、傾聴に値する合理的な理由をより深く、より多く持っている、と思われているからです。

僧侶の場合、もちろん僧侶は法律の専門家でもなければ、政治や経済のエキスパートでもありません。しかし、現にそれぞれの問題に対して”僧侶として”発言したり、発言を求められたりしています。
島薗さんの論文では、その答えは倫理にあると言います。

「法律に従う」ことと「倫理に従う」ことの違い

東日本大震災と原発事故のあと、「原子力発電によらない生き方を求めて」という声明が仏教の主要な団体から出されました。そして、僧侶・宗教者が被災地での支援活動を行うケースも数多くありました。こうした活動の背景には、宗教的な倫理があります。

倫理とは人の行為を規制する一つの規範ですが、内面的な動機が重要になってくるという点で法律とは違います。たとえば、法律を守って赤信号で横断歩道を渡らないのは、見つかって罰金を取られるのが嫌だからかもしれません。その場合これは損得が行為の動機になっています。

倫理の観点から見れば、たんに見かけ上法律を守っているだけでは不十分で、損得勘定を超えた動機を持っていなければなりません。宗教は、そうした倫理的な動機の開示を通じて、公共的な議論に貢献することができるのです。

倫理的な問いが関わる重要な問題に、宗教的な次元を踏まえた声が聞こないということは、市民社会にとって大きな欠落である。[…]市民社会が直面する倫理的な問いについて、宗教的な観点を踏まえた考え方が提示されることは、豊かな公論の展開に大いに貢献するはずである。(島薗進)

 

仏教系団体の声明・意見をいくつか紹介
 

日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願う「正義と悪の対立を超えて」/真宗大谷派
「特定秘密保護法案」の廃案に関する要望書/真宗大谷派
原子力発電によらない生き方を求めて/全日本仏教会
脳死及び臓器移植について/天台宗

 

小林正弥・藤丸智雄『本願寺白熱教室-お坊さんは社会で何をするのか?』:公共圏に対する宗教の力」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 末木文美士『反・仏教学―仏教VS.倫理』:仏教から社会倫理は導けない? | 京都アカデメイア blog

  2. ピンバック: お盆なので宗教について考えてみた | 京都アカデメイア blog

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です