幼いこどもの「とびぬけた才」「苦手、やりたくないこと」、また「心で感じとる世界」は、実にさまざまだ。もちろんそうだが、なにか深いところで「まわりの子と、ぼくだけ、ちがう」。「みんな、ちがう」のだが、もっと「手前の」「それ以前の」意味で(哲学でいえば、先験的に)「ちがっている子」。
Anderssein(【独(ドイツ語)】アンダーセイン;ちがっていること)は、このような、意識する以前の態様が人と「ちがっていること」にくるしむ人を理解しようとした精神病理学概念である。
「ぼくは、みんなから、はずれてる。それがぼくのじんせいだとしたら」。
ごくちいさな子が、人生の天分、ぼくの Anderssein に気づいてしまう。この子は、医学的、発育上の名づけができる場合もあるし、能力の高さ、ほかには「友だちの中に入れないおとなしさ」が指摘されることも多い。発達障害(傾向)の割合が上がり、「皆とちがう子」は、いま学級に何名もいる。発達障害など、診断学的な観点での知見は、すでに十分、交わされている。過熱化もしているほどだ。いま、私はこの議論から距離をおき、あえて抽象度の高い精神病理学概念 Anderssein をえらんで、「皆とちがう子」、その将来について、「根源的エッセイ」を試みようと思うのだ。
「幼くして孤高、孤独」「『苦手』の意味が、もっと深刻で」、また「なにかが」ちがうというより、そもそも「ぼく(自身)がちがう」違和、劣等の感じを有する子。早期から、こうやって自分の「天分を察知する」子は、この「知る力の高さ」がその後の人生で、有利に働いてくれるとはかぎらない。幼児、低学年児童ですでに持ちえた「自分とまわりのちがいの深さがわかる感受性、知性」は、はるか後、おとな年齢のいつになっても、その子に疎外を感じさせる能力、天分となる。
「ぼくはいつも、ずっと、皆とのんきに居ることができなかった」と。
不登校、ひきこもりの子。また私のように、小学2年で、担任教師に「この子は2年ではありません。小学4年です。まわりの子と合わないでしょう」と言われたこども。自分で「まわりとのちがい」に気づいたときから、いきなり「ひとりぼっちの幼少、こども時代」がはじまる。外面上は、どこか途中まで、皆に合わせることができたとしても。
私は不登校、ひきこもりのこども・若者と長く向き合ってきたが、「みんなの輪から、外れる」ことを余儀なくされた子は、抜きんでた能力、周囲に楽に染まらない考え方、皆に親しめない育ちの文化(たとえば、古風で生まじめ、教わったとおりの上品)であることが多い。いじめ、不登校、ひきこもりは増加の一途。この子たちの似通った貴重さを、私がみなさんにお伝えすることも、もうできなくなった現状だが。似通った特質など考えるひまもなく、どんな子も、いつ疎外となっておかしくない。
私は物心ついたときから、「皆とちがう」「独特の世界に棲む」自分を知っていたから、逆にみなさんが、どんなことを自分の天分だと悟るのか、想像するのがむずかしい。「天分」とはなんだろう。一般論や「天分の定義」からは、「天分の天分たる所以(ゆえん)」(天分と言われる理由。天分を成り立たせる、独自のなにか)はみえてこない。そこで、一個の実例として、私自身のことを話してみる。
私が天分なるものを知った端緒(はじまり)は、わかりやすい。
小学一年で、「人間は、平等であるのが不平等か、不平等であるのが平等か」。
私はこの命題を自分で立てて、考えた。高尚な思索をしようとしたのではなく、ただ自分の家とほかの家が、余りにちがう。不平等ではないか。これを、私は考えようとしただけなのだ。
「平等であることは、本来、不平等を内包する。そして、私が感じるように、(家と家の)大きな不平等(ほか、さまざまな不平等)が容認されているから、この社会は平等が成り立っているのだろう」。こういうことを私は考えようとしたのだと思う。
いまでも、平等教育に徹すれば、生徒の可能性や事情によっては不平等が生じ、不平等から出発する教育は、海外の実践から、有意義だとはいえるが、法の「平等」が内面化され、あらゆる前提だと考える日本人は、不平等教育に抵抗を感じる部分があるだろう。
時代をこえた普遍性、答えのでない矛盾構造にあるテーゼ(命題)を、小学一年にしてはかっこよく形にしたものだ。そう、私は就学時に、すでに習わずして哲学の素養をもった。
まわりの子たちと、「ことばが通じない」「考えていることがちがう」。小学校に入学し、私は同級生を見ておどろいた。こんな私であるから、もちろんのことだ。同級生に合わせてはいたが、皆との会話を私は心で「通訳」と呼んでいた(外国語を訳すようなものだったのだ)。
私がいちばんわからなかったのが、「何になったらいいのか」「こんな自分は、なんの仕事ができるのか」だ。みなさんはどうだろう、学業を終えるとき、自分の天分を職業とすることを考えただろうか。私のような「特殊」でなくても、多くの方が思うのではないかー 「自分の天分があったとして、実社会でそれを職業にするなんて。できることなのかもしれないが、ほどほどにすることだ」。
天分を、職業にはできないと感じる。至極まっとうな倫理だと思う。もしこの社会が、願えば門戸がひらかれる社会で、もし自分が、なんでもえらべるめぐまれた境遇にあったとしても、「自分の才能をえらびとる。自分が自分である所以(ゆえん)、天分を職業で表明し、それで堂々と食べていく」…そんなことはできないと、みなさんが考えるなら… それは社会の現実を、自分よりも大切にし、社会になんとか添おうと努めてやまない、まじめで素直な姿だ。なんの勇気の足りなさでもない。
天分と職業、天職について、小林秀雄の講演録の引用に与りたい(あずかりたい)。
この引用について、私の劣る解説、いえ紹介のことばは、以下のみにとどめたい。
みなさんには、小林秀雄の職業「書く」のありのまま― 真っ直ぐ正直で、機知に富んだ、魅惑の言葉どうしが引き合わされるさま。小林の文章を感じ、あなた自身の「職業、天職」を感じてみてほしい。あなたのいまの仕事が念願のものでなかったとしても、あなたの仕事は、このように表現されてよいのではないか。
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小林秀雄 講演「私の人生観」より
≪私は、書くのが職業だから、この職業に、自分の喜びも悲しみも託して、この職業に深入りしております。深入りしてみると、仕事の中に、自ら一種職業の秘密とでも言うべきものが現れてくるのを感じて来る。あらゆる専門家の特権であります。秘密と申しても、無論これは公開したくないという意味の秘密ではない、公開が不可能なのだ。人には全く通じ様もない或るものなのだ。それどころか、自分にもはっきりしたものではないかも知れぬ。ともかく、私は、自分の職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに、そのなかだけに、私の考え方、私の感じ方、要するに私の生きる流儀を感得している。かような意識が職業に対する愛着であります。
天職という言葉がある。若し天という言葉を、自分の職業に対していよいよ深まって行く意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。≫
(小林秀雄『人生について』中公文庫、1978年(2019年改版)、10頁)
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引用から、はっとした方は、ぜひ講演録の全体をお読みいただきたい。
【注】本文中の「ぼく」が話した言葉は、臨床例によるものではなく、内容を伝えるために筆者が用意した、架空の人物の言葉である。
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