梶村啓二『「東京物語」と小津安二郎』:家族とは何か? 現実と理想のあいだ

大窪善人


 
家族とは何か?

優れた芸術作品は、その時代を知るのにとても参考になります。
日本を代表する映画監督 小津安二郎の「東京物語」(1953年)は”家族”をテーマにした映画です。最近、山田洋次監督によってリメイクされたので、そちらを見て知った人も多いかもしれません。
本書はその「東京物語」を丁寧に分析したものです。

まずは映画のあらすじを紹介しておきましょう。

物語の舞台は東京。広島から久しぶりに会いにやって来た両親(”周吉”と”とめ”)を、子供たちや孫、友人たちが迎えます。今では飛行機や新幹線で数時間の道のりも、当時(1950年代)は汽車で一日かかる長旅でした。老夫婦にとっては決して楽な旅路ではなかったでしょう。

二人はまず東京で開業医をしている長男の家を訪ねます。両親を東京見物に案内しようとしますが、急患が入り連れて行くことができません。他の子供たちも日々の生活に追われて、なかなかもてなす余裕がありません。そんななかで両親をもてなしたのは、戦死した次男の妻 紀子でした。

この映画では、戦後の都市化や核家族化によって、社会や家族のかたちが大きく移り変わる中での生活が、細やかに描写されています。その中でもとりわけ注意をひくのは原節子演じる紀子の存在です。

紀子:家族以上に家族的な存在

本書も紀子に注目して書いています。

できすぎた嫁である。

周吉 「云わば他人のあんたの方が、よつぽどわしらにようしてくれた」

と、義父の周吉(笠智衆)に感謝される理想の嫁として紀子は振る舞い続ける。実の娘(志げ=杉村春子)、息子(幸一=山村聡)が悪玉で、義理の娘が善玉という単純な図式ですんなり受け取ってしまうほど、原節子の美貌は善良で曇がない。

紀子は、息子・娘たちと対照的に描かれます。ひとつエピソードを紹介しましょう。東京に来て数日経った頃、息子たちは、厄介払い同然に、両親に金を持たせて熱海の旅館にやります。旅館ではあまりくつろげず疲れて帰ってきた二人を、「なんだ、もう帰ってきたの? もっとゆっくりしてくればいいのに。」となじる始末。

それに対して、紀子は、東京見物の帰りに一人暮らしの質素なアパートに案内し、つましいながらも精一杯のもてなしをするのでした。先の周吉のセリフは、そのときを振り返って語られたものです。

普通に考えれば、映画の図式としては、利己的な息子・娘に象徴される”戦後核家族”に対する、親を敬う”伝統的家族”、という対比が成り立ちそうです。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

完璧はかえってぼんやりとした不安を引き寄せるものだ。[…]このできすぎはどこか不自然ではないだろうか? と。

夫と死別してから8年が経ち親族関係は続いているとはいえ、義理の両親の東京観光を仕事を休んでまで引き受けたり、あつくもてなした上お小遣いまで渡すのはどこかやりすぎな感じもします。かえって、何か別の意図があるのではと深読みしてしまいます。

紀子は、客観的に見れば、戦争で人生を中断させられ、未来の設計図を失い、確かな居場所を持たず、宙ぶらりんのまま大都市にひとり被雇用労働者として浮遊する、寄る辺なき、確信なき、孤独な生活者でしかない。[…]紀子は、受け入れがたい現実を前にして、どうやって自分の人生を肯定すればよいのか? どうやって尊厳を維持していけばよいのか? という問いを常に胸に抱えていたはずだ。彼女は無意識のうちに「完璧な嫁」という架空のストーリーを演じることを選んだのではないだろうか?

家族のゆくえ

この見方は、映画のクライマックスの、紀子の周吉へのある告白のシーンと考えあわせればより説得的なものに映るでしょう(このシーンのために2時間以上の映画が撮られたとすら感じます)。

ところで、ここでおもしろいのは、映画の中では、”理想的な家族”の関係が、”演技”という、いわば一種のフィクションとして示されているということです。これは、人間の生活の中でおよそもっとも身近で確かなものだと思っている家族関係が、現実には”ありそうもないもの”だということを暗示しているのではないでしょうか。

また、理想的な家族関係が、実の親子ではなく、義理の親子関係において実現されるというのも、もう一段ひねりが効いているところです。

「東京物語」はたびたび家族の映画だと言われます。それも、「家族の崩壊」を描いていると。しかし、なぜ小津監督はそんな映画を撮ったのでしょう?

これ以上は憶測するしかありませんが、その理由は、“戦後日本で理想とされた家族”というものが、じつはフィクションの上に成り立っているものだった、ということを写し取ろうとしたからではないでしょうか。

現代では、少子化、離婚率の上昇、介護ケアの問題など、家族のあり方はさまざまな問題に直面しています。それに対してどんな分析や解決策を示すにせよ、理想の家族とは何なのか、ということへの敏感な感受性が必要なのではないかと、この映画を通じて思いました。
 

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