小熊英二『日本社会のしくみ』「ベテラン非正規と高校生の時給は同じでいいか」の考察

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上記リンク先の「ベテラン非正規と高校生の時給は同じでいいか」の記事を最初に読んだときにもやもやして、小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社、2019)を読んでからもう一度その部分を読んでもすっきりしませんでした。そこで以下で自分なりに考察して整理してみます。

 

小熊英二『日本社会のしくみ』で主に比較対照されている3つの国に当てはめるなら、回答①が日本、回答②がアメリカ、回答③がドイツということになるでしょう。もっとも、本書の第3章で述べられているドイツの姿からすれば、「賃金については、同じ仕事なら基本的に女子高生と同じなのが正しい。だが、同じ職種の中で職歴が長くて熟練度が高くなれば賃金も高くなる。また、早期から職種を意識した教育をすべきだ。」という回答になるはずです。

そのドイツ的な回答では、シングルマザーと女子高生が同じ仕事をしているのかどうかが問題となります。勤続10年であれば当然業務に習熟していると想定されますが、熟練度があまり求められない単純作業に従事しているのかもしれません。そして仮に単純作業に従事しているとしても、顔なじみの顧客がいるなどして売上に貢献しているといった可能性もあります。

本書の終章でこの「ベテラン非正規と高校生の時給は同じでいいか」問題が提起される直前で紹介されている、エスピン-アンデルセンの福祉レジーム論に当てはめるなら、福祉の担い手として、回答①が家族、回答②が市場、回答③が政府、をそれぞれ重視するという分類になります。この場合は、回答①が日本、回答②がアメリカ、回答③がスウェーデンといったところでしょうか。

いずれにしても、本書の著者も「戦後日本の多数派が選んだのは、回答①であった」(p.578)と述べているように、回答①がこれまでの日本のしくみだと読むべきなのでしょう。

しかし、これまでの日本のしくみで「年齢と家族数にみあった賃金」を得られるのは男性正社員(「大企業型」)だけであり、非正規のシングルマザーはそうではありませんでした。

この非正規のシングルマザーが「地元型」であれば、先祖から受け継いだ土地や持ち家があり、自分の親(子どもにとっての祖父母)や近所の人たちから有形無形の支援を受けられるので、女子高生と同じ賃金でよいという回答になりそうです。

この非正規のシングルマザーが「残余型」であれば、土地や持ち家、親族や近所の人たちからの支援などが期待できないため、女子高生と同じ賃金では苦しい、というのが現在日本が抱えている問題です。「大企業型」は過去数十年でほぼ一定であるのに対し、「地元型」が減ってその分「残余型」が増えたというのが本書の大きな見取り図でした。

「地元型」か「残余型」かという問いとも関連して、このスーパーが個人商店なのか大規模チェーン店なのかという要素もあります。後者であって本部だけが大儲けしているのであれば、対立軸はこのシングルマザーと女子高生との間にあるのではなく、末端の従業員と本部の従業員との間、あるいは労働者と資本家との間にあると考えるべきでしょう。個人商店であっても経営者が自分だけ楽をして大きな利益を得ているなら、やはり労働者と資本家との間の溝が大きいと言わざるを得ません。

ここから派生して、シングルマザーと女子高生の「同じ賃金」というのが、同じ時給800円なのか、同じ時給1600円なのかでは話が大きく違ってきます。時給800円といった生活していくのがやっとの賃金水準はマルクスが分析した労働者の賃金そのものです。

また、この非正規のシングルマザーが上から押し付けられる命令に従って業務をこなすだけなのか、それとも採用や経営方針の決定にも参与しているのかということでも話は違ってきます。もっとも、自分がこの女子高生の採用や賃金を決めたのであれば、なぜ同じ賃金なのかと質問することはないでしょうが。

このように整理してようやくすっきりしました。

本書の著者は、この問いを考えて周囲の人たちと話しあって自分の結論を作っていってほしいと読者に向けて書いています(p.580)。それを実践してみました。

浅野直樹

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