書名:アジールと国家
著者:伊藤正敏
出版社:筑摩選書
出版年:2020

■はじめに

 本書の著者である伊藤正敏氏(1955-)は、黒田俊雄の権門体制論を批判的に継承して「境内都市」という新概念を打ち出すことにより、日本史における寺社勢力の重要性を明らかにしたことで知られる日本中世史家である。その論旨は『寺社勢力の中世━有縁・無縁・移民』(ちくま新書2008)『無縁所の中世』(同2010)に詳しい。この二書の刊行後、伊藤氏はドイツの法制史家オルトヴィン・ヘンスラ―の著書『アジール その歴史と諸形態』(舟木徹男訳・解題国書刊行会2010)に刺激を受け、自らの寺社勢力論をアジール論の観点から全面的に補完・刷新した。その成果が、本書『アジールと国家 中世日本の政治と宗教』である。



■本書の目標と構成

 序章において、伊藤氏は「従来の歴史事象の見方を、アジール論から再解釈すること」を第一の目的とし、「逆に、歴史学から従来のアジール論を修正し、あるいは精密化すること」を第二の目的としている。この二つを通じて「アジール論の世界標準」を打ち立てることが、著者が本書の先に見据える長期的目標である。なお、本書の構成は、ヘンスラ―を参照しつつアジールの「概念」を整理する第Ⅰ部(第一章~第三章)、「日本アジールの通史」を具体的な資料に基づいて描写する第Ⅱ部(第四章~第六章)、そこまでの叙述を踏まえて「アジールの諸問題」について考察する第Ⅲ部(第七章~第八章)という、三部からなる。



■本書の主要論点

 なお、評者は日本の歴史について実に貧弱な知識しか持たないため、伊藤氏の挙げる幾多の史料に関しては一方的に啓蒙されるのみで、その扱いに関しては論評する資格を欠く。したがって、伊藤氏の主要論点を、以前の著作での主張と重なる部分も含めつつ紹介し、評者の若干の意見を主に理論的な観点から添える形としたい。

 順序としては、1.日本史における寺社勢力論の先駆者である黒田俊雄と伊藤氏の寺社勢力論との差異、2.ヘンスラ―を経由した著者の寺社勢力論の変化 3.網野善彦の無縁論と伊藤氏のアジール論との対立点、の順にまとめることとしよう。



1.寺社勢力論における黒田と伊藤

 そもそも「寺社勢力」という語は、「権門体制論」を唱えた黒田俊雄に由来する(『寺社勢力 もう一つの中世社会』岩波新書1980)。黒田は日本中世の支配権力の実体的組織である国家を、「公家」「武家」「寺社勢力(国家を鎮護する寺院)」という三種類の「権門勢家」が、相互に対立の契機を持ちながらも補完関係を結んで民衆を統治する体制をとっていたと捉え、これを「権門体制」と名付けた。それは戦後中世史学で一般的だった「貴族の世から武士の世へ」という考えにおいては抜け落ちていた「寺社勢力」の重要性を明らかにした功績がある 。この業績を踏まえつつ、寺社勢力の領域的な基盤として「境内都市」の概念を打ち出したのが伊藤氏である。これは境内・門前を寺社そのものと一体化した「都市」とみなす著者独自の視点であり 、祇園社、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、高野山、石清水八幡宮寺、などがその代表的な例である。詳細は前の二著作を参照されたい。

 その一方で、黒田説は寺社勢力を当時の社会の「支配者」として位置づける点で修正を要すると伊藤氏は考える。その際に伊藤氏が前提しているのは、人間の社会の全体は元来、国家の権力が及ぶ範囲よりも広い━国家の権力が生活の隅々にまで浸透した現代からはイメージしがたいとしても━という考えである 。そのうえで、武家や公家の国家的支配に収まりきらない民衆的次元の社会領域はとりわけ中世に大きく存在し、ほかならぬ寺社勢力こそが、この国家に回収されない領域を代表し、公家や武家の国家的支配に対して「不入」の権を生命線として (207)抗していたと伊藤氏は考える。つまり寺社勢力は当時の国家の「支配層」ではなく、社会のより広い領域の「民衆」を代表するものだった。

 その証拠として伊藤氏が力説するのは、中世寺社勢力は民衆身分である行人(ぎょうにん)・聖(ひじり)などの下僧を中核的構成員としており、検断権(=警察権)も彼らが掌握していた という事実である。以上をまとめると、公家・武家に加えて寺社勢力という概念によって中世日本社会像を多角化した点では黒田を評価するものの、それをあくまで支配勢力の一角としか見なさなかった点を批判し、寺社勢力こそは国家に対抗する民衆的次元に根差した勢力であったとする点が、著者の寺社勢力論の特徴である。



2.ヘンスラ―の影響による寺社勢力論の変化

 上記のようなものとして明確化された寺社勢力の「境内都市」は、国家の権力が及ばない「無縁所」であったが、それを可能にしていた要因として伊藤氏がこれまでの著書で重視していたのは、この勢力が政治権力に対抗できるだけの僧兵など武力やそれを維持するための経済力を具えていたという点であった。つまり、寺社の第一の特質である「宗教性」の部分を「意図的に除去し、まずはこれを物資的側面からとらえようとする」「一面的アプローチ」(64)をとっていた。

 しかし、ヘンスラ―著作に登場する多くのアジール法の実例において中核をなすのはその「魔術的・宗教的」要素であることに感銘をうけ、「墓所の法理」など「中世の奇怪な法理がアジール、オレンダ〔霊力〕の転移説により次々解けていく」(318)ことを実感した著者は、「正直言って筆者の歴史観は180度変わった」(302)とまで言う。

 伊藤氏は宗教の魔術性、非合理的なものの力がいかに中世の人々にとって大きい影響を及ぼしたかについて、これまでの歴史学が閑却しがちであったことを自身の反省をこめつつ指摘し、「中世は宗教の時代である。私説の不足な点は、意図的に捨象した宗教部分であり、そこに含まれるアジール的性格である本書は筆者の基本的立場を保持しつつ、アジール部分に焦点を当てる」(65)としている。つまり、本書は寺社勢力を、本来の宗教性の角度からあらためてアジールとして理解する試みであると言える。



3.網野善彦の「無縁」論への批判

 さて、「無縁所」としての中世の寺社をアジールとして理解するとき、日本史におけるアジール論の代表的な論者である網野善彦との関係が問われるのは当然であろう。網野は著書『無縁・公界・楽』(1978)においてヘンスラーを参照しつつ日本の歴史における各種のアジールを倒叙法で描き出したことは知られており、伊藤氏は本書で黒田とともに網野の説を批判的に継承する、としている。

 まず継承すべき点としては、寺社勢力論をとる立場から見ると、寺社勢力の下層構成員について一次資料による実例を黒田よりもはるかに豊富に多く盛り込んでいる点で、網野は高く評価できるという(71)。

 その一方で、網野が『結城氏法度』『塵芥集』などの戦国法に登場する寺院に「無縁」すなわち自由と平和の場を見出していることに関して、これらは当時の権力者に嫌悪されてはいても一応その承認下にある寺院で、しかも小規模なものばかりであり、権力が実力でこれを侵犯しようとすれば容易に破られうるもの―著者はこれを「相対アジールと表現する―であることを指摘する。そして、そうした侵犯を許さないだけの対抗的軍事力・経済力をそなえ不入権を持つ南都北嶺などの大規模な「寺社勢力」━著者の謂う絶対アジール━が網野無縁論において言及されていないのはおかしいと批判している(73)。また、寺社勢力の「境内都市」という明白な例を取り上げないにもかかわらず、「都市的な場」を漠然とアジールと関連付けていることも批判している。

 さらに、別の点でも著者は網野と立場を異にする。網野において、アジールは人類史を通底する自由・平和・平等の原理である「無縁の原理」が宗教的な外皮をとって発現した一つの形態にすぎない。しかし、そうした実証困難な原理を設定すること自体に、伊藤氏はあまり意義を見出していない。「日本は中世に入った途端、休息に魔術に支配されるようになった」(102)と見る伊藤氏の関心の中心は、もっぱら中世500年間における寺社勢力の一味・強訴などによる宗教的・呪術的なアジール―伊藤氏の謂うところのマクロ・アジール―に置かれる。そして、網野が扱う遊行民・境界領域・山林・街道・宿駅・峠・岬・津・墓所・商人・職人などの主題━伊藤氏のいうミクロ・アジール(19)━は、周縁的な位置づけを与えられるにとどまる。

 

■考察━網野と伊藤の齟齬の根源

 前節では三点に分けて本書における著者の主要論点を整理したが、これを踏まえて、本節では、とくに上記の三点目、すなわち伊藤氏による網野善彦への批判点に関して、そもそも両者の基本的な立場の違いがどこにあるかを見定めることで、この批判を私なりに整理してみたい。

 結論から先に言えば、伊藤氏の関心の中心はアジール(宗教的な避難所)そのものにあるのに対して、網野の関心の中心はそこにはないことが重要である。網野にとって重要なのは、アジールの背後にある人類史的な原理としての「無縁の原理」であり、その中世的な発現形態である限りにおいて、アジールが関心の対象となる。逆に言えば、何らかの避難所として機能している場であっても、それが「無縁の原理」の発現形態とみなし得ない場合には、網野の議論の射程には入らないのである。

 では、アジールの背後にある「無縁の原理」とは何か?これを考えるときに重要なのは、網野の「無縁」は「無関係」一般を意味しているわけではないということである。網野はしばしば、この原理を「無縁・無主の原理」と呼んでいる。「無主」とは「有主」の対義語であり、「所有」の論理への対抗原理を意味する。つまり、「無縁」とは「所有」の論理とそれに基づく支配・被支配関係から「無縁」であるという、限定的な意味をもつ。

 網野が山野河海を遍歴する「非農業民」を「無縁」の原理を体現する人々だとするのは、彼らが農地という「所有」物とは「無縁」に、いわば「自然そのものの論理」に即して生きていた人類の始原―吉本隆明ならば「アフリカ的段階」と呼んだであろう―につながる存在であるからだ。「有縁・有主」の原理に抗する「無縁・無主」の原理の発現の徴候を、アジールなどの歴史上の諸現象のうちに探ろうとするのが『無縁・公界・楽』における網野の仕事であった。

 以上の点を抑えた上で伊藤の網野批判を振り返るとき、個別に指摘されていた伊藤の網野批判の各論点が、一本の線となってつながることが分かる。まず、網野が「無縁所」として国家に対抗する実力を備えた大寺社を取り上げなかったことについて、伊藤は網野が寺社勢力を「支配層」とみていたためであろう、と推測している。しかし、これをより正確に言い直すならば、広大な荘園という土地を「所有」し、それを基礎にした経済力・軍事力を振るう大寺社は、すでに「有縁・有主」の原理に沿うものと見なされるがゆえに、網野はこれを「無縁所」の例として扱わなかったのだと考えられよう。逆に、伊藤氏がミクロ・アジールと名付ける遍歴民の世界こそが、「無縁・無主」に重点を置く網野の関心からすれば本源的な対象であると言える。

 また、網野の都市論に対する伊藤の批判も、上記の観点から考察することができる。伊藤は網野が「都市的な場」という茫漠とした「マジック・ワード」を用いており、それによって網野の議論が曖昧なものとなっていることを批判している(289)。そして網野が敢えて正面から扱わない寺社勢力の「境内都市」こそは、中世日本における無縁所(宗教的避難所)の典型であるとしている。

 確かに「都市的な場」という語の曖昧さは、網野が阿部・樺山・石井と行った対談『中世の風景(上)』(中公新書1981)においてもつとに指摘されている点である。しかし、おそらく「都市的な場」という語を使ったとき、その対義語として網野の頭にあったのは「農村的な場」である。したがって「都市的な場」という一見茫漠とした語で網野が言おうとしていたのは「無主」の原理が支配する「非農業的な場」であったと言い変えることができよう。

 つまり国家権力への対抗という点に重点を置いてアジールを論じる伊藤からすれば中心的な位置を占めることになる「寺社勢力」や「境内都市」は、それ自体が「有主」の原理に従う荘園領主でもあるがゆえに、あくまで「無主」の原理に重点を置いてアジールを論じようとする網野にとって二次的なものとして位置づけられてしまうのは、ある意味で当然なのである。伊藤氏による網野への個々の批判点が両者の問題意識の前提の差異に由来するものであり、その意味で、人類史を通底する原理の想定、寺社勢力の軽視、都市概念の曖昧さ、という各批判点は一本の線の上にある。このことが伊藤氏自身によって必ずしも明確に自覚されていないことにより、氏の網野批判はやや「ないものねだり」の色合いを帯びたところがあるかと思われる。

 もっとも、ある宗教的なアジールに関して、何を以て「有縁・有主」の原理に従っており、何を以て「無縁・無主」の原理に従っていると判断するのか、その指標は網野において必ずしも明確でないのも事実であり、その意味では伊藤氏の批判にもっともな点はあろう。これは、網野が「無縁」を原始共産制に結びつけているかと思えば、後には中沢新一の示唆をうけて資本主義にも結び付けているという両面性とも関連するが、この点については別の機会に論じたい。

 伊藤氏を弁護するために一言しておけば、日本中世史の専門家である網野が人類史に通底する「無縁・無主」の原理という抽象概念を打ち出すことは、歴史家の仕事としてはよく言えば大胆、悪く言えば乱暴な試みであるのは事実である。このことが網野の魅力の一つであると同時に、しばしば批判される点でもある。その点、中世500年に時代を限定し、公家・武家へのより明確な対抗権力であった寺社勢力に主題を限定する禁欲的な伊藤氏のほうが、歴史家の仕事としては堅実であり、かつアジール論としてもオーソドックスであろう。



■おわりに━アジール論の二つの途 

 なお、ヘンスラ―著作の翻訳者として、評者の現在の関心の方向性を記しておきたい。

 伊藤氏は、人類史を通底する「無縁の原理」を想定する網野の立場とは一線を画し、あくまでヘンスラ―が強調する宗教的聖性を軸としたアジール論の観点から、日本史学を即物的・実証的に再構築されておられる。

 それとは対照的に、ヘンスラ―翻訳後の評者は、網野の言う「無縁・無主の原理」を西洋の社会思想史における「自然法」に類比しうるものとみて、この原理の現代的な発現の可能性を探るかたちで新たなアジール論を模索している(拙稿「アジール論の現状と今後の方向性━網野善彦から自然法と公共性へ━」「宗教と社会」第24号2018年)。ヘンスラ―を介して日本史学をアジール論の観点から再構築する途と、網野史学を介してアジール論を社会思想史へと開く途。二つの途における新たな認識を分かち合いつつ、著者と評者がそれぞれの途をより遠くまで開拓してゆけることを評者は祈念している。

 なお、評論家の柄谷行人氏は近年、「狩猟採集的遊動民」としての「山人」をめぐる柳田国男の思想などとの連関から、網野の「非農業民」や「無縁」の概念について再考しており、評者と関心の方向性と重なるところがあることを付記しておく(『遊動論 柳田國男と山人』文春新書2014年、「網野善彦のコミュニズム」『現代思想 総特集 網野善彦』青土社2014年)。

 最後に、著者の伊藤氏について。日本中世史の分野で多くの業績を残してきた著者が、歴史学の門外漢である評者の拙い訳業から受けた刺激を赤裸々に吐露され、あまつさえ、従来の自説をも大胆に更新し発展させてゆく姿勢を拝見し、伊藤氏の学問的誠実と情熱に首を垂れる他はない。伊藤氏の変わらぬご健在とご活躍を祈りつつ、評者としての筆を擱くこととしたい。 (了)

(評者: 舟木 徹男)

更新:2020/04/05