書名:波止場日記
著者:エリック・ホッファー
訳者:田中淳
出版社:みすず書房
出版年:2014

一月二十八日
 アウトサイダーとなり、アウトサイダーであり続けるには、ある程度の物ぐささとある程度の臆病さが必要である。


 ニューヨーク生まれのドイツ移民二世、エリック・ホッファー(1902-1983)は、7歳で失明、15歳で突如回復、20代になるまでに天涯孤独の身、流浪の生活の末サンフランシスコで港湾労働者、いわゆる「沖仲士」となる、という激動の人生を送りました。しかし彼の人生が特異なのはそれだけではありません。失明していたため十分な教育を受けられなかったホッファー少年は視力を取り戻すと一転本の虫となるのですが、このことが彼の人生を大きく変えることとなります。30代後半で雑誌に投稿した論文がきっかけとなって、ホッファーはパートタイムの文筆家の一面を持つことになったのです。
港湾での肉体労働と、読書を通じての思索そして執筆を両立させながらホッファーは『大衆運動』などの著作を発表し、それがきっかけでカリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授を担当するなどユニークな生活を送っていたのですが、1967年CBSテレビで彼の対談番組がオンエアされたことによって遂に全米で「ホッファー・ブーム」が巻き起こります。こうして彼は「沖仲士の哲学者」として広く知られるようになりました。
 この『波止場日記』は、ホッファーが1958年から1959年にかけて知識人をテーマにした著作を構想していた時期につけていた日記をもとにしています。産みの苦しみを味わっているまっただ中に、何かヒントを求めて日記をつけ始めたホッファー。淡々とした日常の描写やクールな人間観察にも当時の彼の胸にあった焦燥が滲んでいます。本来、こうした日記に解説をつけるなど野暮なことかもしれませんが、一部抜粋して紹介していきながらホッファーという「人」に触れてもらおうと思います。

六月十三日
 ノルウェー船、ヒュー・シルヴァーストリーム号の仕事、七時間。麻や紙で包装されたゴム。パートナーは波止場一番の怠け者の一人。だが彼はよく働き、快活だった。しかし、彼はひどい嘘つき、病的な嘘つき、だから彼との会話は無意味である。観念についての話だけは正直なものかもしれない、という気もしたが、他の話はほぼ九割方嘘。


 いきなり辛辣なホッファー。業務をこなしながら仲間を冷静に観察している彼の姿は、どこか偉そうな印象があるかもしれません。しかし彼は決して仲間たちをバカにしたりはしていませんでした。むしろ彼は大衆というものを信頼していました。反知性主義からではなく、ある種の知的合理性を持った集団として。

七月二十日
 たった今組合の集会から帰ってきたところ。新たに制定された八時間交替制についての討論があったが、これまで聞いたどんな討論と比べても少しも遜色のない、知的で興味深いものであった。いく人かの発言者についていえば、彼らはただの沖仲士にすぎないが、国連代表、あるいは、どんな困難な交渉の代表にしてもひけをとらない人たちである。普通のアメリカ人は組織のこまかな問題に反応を示し、こまかな点に鋭い独創性を発揮する。


 ホッファーは大衆よりもむしろ知識人こそが社会における攪乱者だと考えていました。知識人への不信、そして底知れぬ憎しみが彼にはつきまといます。

十二月十四日
 ときどき考えるのだが、知識人に対する私の強迫観念は私をどこへ連れていこうとしているのだろうか。もしこの主題を小さな本にまとめることができれば、この強迫観念を追いはらってしまえるだろう。しかし、そんな本は書きそうにない。死ぬまでこの問題をつつき、むかむかし続けるだろう。


四月二十一日
 自分に他人を教え導く能力と権利があるという確信がもてないのは、私が非知識人であるしるしである。これが、重要なポイントである。というのは、知識人はなかんずく教師であり、無知な大衆に何をなすべきかを教えることを自己の神授の権利と考えるからである。


 知識人を憎み大衆を愛する彼は、自らのことを常々社会のアウトサイダー、「ミスフィット(社会不適応者)」だと考えていました。本を読み、働く。そのシンプルな生活を慎ましく送り続けようと考えていたホッファー。そんな彼の人生を変えたものが、執筆活動以外にもう一つありました。労働者仲間の妻リリーとその子供エリックとの交流です。エリック、そう、ホッファーと同じファーストネーム。彼自身がこの子の名付け親となり、ホッファーはこの子を「息子」と呼んで定期的に生活を共にするようになります。

六月十二日
 保育園のひけ時にエリックに会いに行きたいという衝動と午前中いっぱい闘っていた。孤独感によって、息子に対する愛着はいっそう強まっている。しなければならないことをしないとき、人間は、孤独を感じる。能力を十全に発揮――成長――するときのみ、人はこの世に根をおろし、くつろぐことができる。


十二月二十二日
 息子に対する愛着は生涯でもっとも強固なものである。しかし、彼が生まれた時には、私にはいつか誰かに愛着をもつようになると想定する理由はまったくなかった。なぜなら、私は三十五年間というものまったく一人ぼっちでやってきたから。

一月十七日
 私が一人暮しをしているのはいいことだ。というのは、私には、自分の内心の不満で周囲の人々に対する態度が彩られる傾向があるからである。また、他人に対する強い愛着は心を狭くし息がつまる、と感じているようだから。しかし、もしも私が年をとっても意地悪くなったりひからびたりしないとすれば、リリーと息子に対する愛着を祝福とみなさなければならない。


 小さいときに母親をなくし、育ての母同然だった女性がドイツに帰国した直後に今度は父もなくした彼はそれ以来ずっと孤独でした。彼は自らの境遇をそれほど悲観もせず、諦観のような心境でどこか飄々と生きてきました。リリー・オズボーンと息子エリックとの出会い、そしてその二人に対する家族同然の愛情は、それだけに彼にとって新鮮な驚きであり、恐らく彼の「ミスフィット」意識に大きな変化を与えていったことでしょう。
 ちなみに、本の虫ホッファーが書いたものですから、この日記が読書記録の一面を持つことは当然でした。一つの本を読み続けているとき日がたつにつれて彼の感想が少しずつ変わっていく様子が、嘘のない素直な形で描写されているところもまた本書の魅力です。

十一月二十五日
 午前十一時半。ボナンザ書店で『ドクトル・ジバコ』を買った。書店の女の子は私に会えてうれしそうだった。彼女は店に一部しかない『ドクトル・ジバコ』を渡してくれた。明らかに彼女が読んでいたものだった。
(中略)
  『ドクトル・ジバコ』を読み続けている。これまでのところはたいしておもしろくない。


十一月二十六日
 午後九時。思っていた以上に疲れている。『ドクトル・ジバコ』今読んでいる――これまでに百八十一ページ。おもしろいが、魂をゆさぶらない。


十一月二十七日
 午後六時半。『ドクトル・ジバコ』読了。この本は読みやすい。だらだらしておらず人の興味をそらさない。しかし、引きこまれるのは最後の百ページだけ。


十一月三十日
『ドクトル・ジバコ』は、ロシア人に対する同情をさそう。


 なんだかんだ言いながらも『ドクトル・ジバコ』を楽しんでいるホッファーがどこかおかしいですね。
 さて、このように異能の思想家ホッファーの生の息遣いが聞こえてくる本書は、知識人批判と深く結びついた彼のライフスタイルを通じて、知るとは何か、考えるとは何か、そして、生きるとは何かという根源的な問いを私たちに向けているように思います。彼のストイックな生き方は、ある種の理想であり極めて特殊なものには違いありません。私たちに簡単に真似できるものではないどころか、現代はひょっとすると当時より「ミスフィット」を社会が許容してはくれない時代なのではないでしょうか。しかし、だからこそホッファーにあこがれる者は後を絶ちません。そして、彼の思想に共感する者もそうでない者も彼の生き方に深い敬意を払い、一つの標石として自らの生き方を見つめ直す契機にしてきたのです。
 知的であることと素朴であること。孤独であることと愛情深くあること。堂々とすることと悩み続けること。ホッファーは今日もこの本の中で、船の積み荷を降ろしながら静かに思索を続けています。

(評者:中島 啓勝)

更新:2014/10/31