書名:温泉の平和と戦争 東西温泉文化の深層 著者:石川理夫 出版社:彩流社 出版年:2015 |
温泉評論家にして日本温泉地域学会会長でもある著者が、「アジールとしての温泉」について、日本と欧州の歴史を詳細に調べ上げてまとめた驚異の書。帯に「温泉は『避難所/アジール』なのだ」と書いてある。
温泉についての書物のなかで、温泉や公衆浴場がかつて敵味方なく平和を保証されるアジール(無縁所)だったことに言及したものはこれまでにもあった。また、アジールの歴史についての書物の中で同じことに触れているものもあった。しかし、いずれも温泉の特質の一つ、あるいはアジールの一例としてわずかな紙幅が割かれていたにすぎない。
しかし、本書の目次を一瞥してみよう(第一章:平和な「アジール」としての湯屋・温泉、第二章:温泉地の原風景を求めて―聖なる平和の場、第三章:平和な中立地帯としての温泉地、第四章:戦と温泉発見伝説、第五章:避難行と戦国実利の先に温泉、第六章:戦時の人々を受け入れた温泉地、終章:逆手に取られる〈温泉の平和〉」)。ここからも分かるように、本書は終始一貫「アジールとしての温泉」を軸としてその東西の歴史を描き出したという点で、温泉本としてもアジール本としても異色の作品である。
通読して印象に残った箇所を挙げれば、柴田勝家や豊臣秀吉などの戦国武将が、自らの領内や占領地において湯治場の平和を乱してはならないとする旨の禁令を出していたこと(第一章)、古代のケルト人が温泉を治癒の聖地としており、征服者のローマもそれを継受した例のあったこと(第二章)、ネイティヴ・アメリカンの諸部族も温泉を「グレート・スピリットの坐す」治癒の聖地としており、平和な中立地としていたこと(第三章)、民に開かれた公然たる湯治場・温泉地も、実利的・戦略的価値(温泉地はしばしば鉱産物の産地でもある)から戦国大名など上からの「公」権力に取り込まれる局面もあったこと(第五章)、明治以降も国家の戦争遂行体制のなかで傷病兵の療養所として、あるいは児童疎開の大規模な受け入れ先として温泉地がアジールの機能を果たしたこと(第六章)、第一次大戦中のベルギーのスパや第二次大戦中のフランスのヴィシー、米ソ冷戦期のウェストヴァージニア州グリーンブライアーなど、欧米においても戦時の大本営や臨時政府を置く場所として温泉地がしばしば利用されていたこと(終章)等々、枚挙にいとまがない。
しかし、現代にまで繋がる事象としてとりわけ強い関心を惹かれたのは、欧州の三十年戦争(一六一八‐四八)以後の温泉地の位置づけ、およびその国際赤十字との関係であった(第三章:平和な中立地帯としての温泉地)。宗教対立と政治的利害が一体化した三十年戦争は神聖ローマ帝国の人口を三分の一にするほどの凄惨な戦争だったが、著者によれば、グリンメルスハウゼンの『阿呆物語』にも記されているように、戦火にあっても温泉・湯治場が平和な中立地帯であり続けた。シュレジエンの温泉地バート・ランデックが「保護状」(一帯を支配しているか軍事的に優勢な勢力が特定の地への通行の安全を保証する通知)を受け取ったのはその一例である。
この戦争がウェストファリア条約以後にまで残した火種は、ハプスブルク家のオーストリアと新興国プロイセンの対立、すなわちオーストリア継承戦争および七年戦争として再燃する。戦闘では膨大な死傷者が出たため、双方において兵士の補充と負傷兵のリハビリが重要課題となった。そこから、七年戦争の最中の一七九五年、戦闘を重ねていたプロイセン・オーストリア両国は「温泉地中立化協定」というべき画期的国際協定を結ぶこととなった。これにより、相対峙する軍隊の構成員が、双方の戦争指揮官が信任を与えた保護状・通行免状を持参していれば、あらかじめ指定された両国のそれぞれ二カ所の湯治場へ妨害されずに平和に行き来できることになった(上記のランデックもその一つ)。
こうした温泉地中立化はその後も各地で継承され歴史的蓄積を重ねてゆく。その意義が評価されたことは、国際的な赤十字の発足を理論と実績の両面から後押しした。赤十字設立の目的は、戦争時に敵味方を問わず戦傷病者を救護すること、そのために、戦闘が続く領域内に治療・療養に役立つ中立平和な避難所を確保することであった。まさにこの目的に沿うのが温泉地であり、一八六九年四月にベルリンで開かれた赤十字の会議では「戦争中に国を問わず傷病者が訪れる温泉療養施設に備わるべき中立性、ひいては戦時に必要な戦傷兵を手当てするアジールとなる場の中立を宣言するよう各国政府の関与を要請する」という旨の提案がなされた。
著者はこれを評して「湯治・療養の機能や施設を備えた温泉地はその重要な要件、特性として「中立性」と「アジール」性を備えていることを、一九世紀半ばになって結成された赤十字が十分に認識し、評価を与えたのだった」とし、「戦場と化した大海に浮かぶ孤島のようなアジール(癒しの避難所)空間。その特性を際立って現出させた温泉地中立化協定は、赤十字が誕生する一世紀以上前のエポックだった。多くの人にとって歴史の中に埋もれていた事実が持つこの栄誉をもっと世にしらしめてよいのではないだろうか。」という言葉でこの章を結んでいる。
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すでに明らかなように、アジール関連書籍としての本書の最大の特徴は、テーマを「温泉」に特化していることである。そのことによって、アジール論全般において意外にも見過ごされがちな「アジール」と「治癒」の関係に焦点があてられることになる。
通常、アジール論では「避難所」としての機能が主に取り上げられるが、元来アジールは治癒とも関係が深い。アジール論の古典であるオルトヴィン・ヘンスラーの『アジール その歴史と諸形態』(国書刊行会)によれば、古ゲルマン世界におけるアジールは、神的な力としてのハイルHeilに満ちた聖なるheilig場であった。ハイルが治癒Heilungの語源であることからも分かるように、アジールは、そこに漲るハイルが分有されることによって、衰弱し病んだ心身に回復をもたらす場でもあった。中井久夫も言うように、心身の「治癒」とは広い意味での「平和の回復」の一つのヴァリエーションである。それゆえ、平和の場としてのアジールは本質的に治癒の場でもあるのはある意味で必然的であった。温泉・湯治場が中心テーマである本書は、そのことを改めて想起させてくれる。
しかしながら、本書にも弱点がないわけではない。というのも、著者は温泉が「治癒の場」であることの理由を、その含有成分による生理学的・薬理学的な効果に帰しすぎていると思われるからである。むろんそれは重要な要素であるには違いないが、そもそも温泉が治癒をもたらすアジールとされたのは、元来は宗教的コスモロジーに根差すところが多いはずであり、治癒のアジールとしての温泉をそうした側面からも併せて分析することが求められると思われる。
このことは同時に、温泉とともにかつてアジールとされたその他の場との共通点や関係性がいかなるものであったか、つまり、アジール一般の中での温泉アジールの位置づけがどのようなものであったかが、本書ではいまひとつはっきりしないという点にも通じている。ここで言う「アジール一般」とは、避難所のような「空間的アジール」に限定されない。ヘンスラーによればアジールには空間的アジール(森、墓地、家、教会など)、時間的アジール(祝祭期間や犯罪者の逃亡期間、恩赦など)、人的アジール(王や女性に触れること、共食、客人歓待など)があり、庇護を享受できる場一般を意味する。元来こうした広がりを持つアジール概念のうち、本書では「空間的」なアジールとしての温泉だけが他のアジール形態との関連ぬきに論じられているところがやや物足りないのである。
もっとも、本書はそもそも温泉研究家による温泉についての研究書である以上、上記のようなことまで求めるのは「ない物ねだり」というものであろう。それはむしろ、評者を含めた他のアジール研究者が引き受けるべきテーマである。アジール論の領域に「温泉アジール研究」という貴重なモノグラフを提供してくれた著者には、まずもって衷心からの感謝の意を表したい。
奥書によれば、著者の石川理夫(いしかわ・みちお)氏は一九四七年生まれ。今年で古稀を迎えられた筈である。昨年NHKの「視点・論点」に出演し温泉について熱く語っておられた著者の映像を観なおしてみると、日本と世界の温泉を知り尽くした方だけに、七〇歳とは思えないツヤツヤの肌であった。ますますのご活躍を祈りたい。
※本書をご教示くださった民俗学者の岡安裕介氏に、この場を借りて御礼申し上げます。
※この書評は雑誌『宗教と社会』24号掲載の研究ノート「アジール研究の現状と今後の方向性―網野善彦から自然法と公共性へ」(舟木徹男)において既に公表した内容と部分的に重なっています
(評者:舟木徹男)
更新:2018/06/11