戦後70年安倍首相談話とマイケル・サンデルの「正義」の話

京都アカデメイアの浅野直樹です。これから述べることは私個人の見解で、京都アカデメイアの公式見解ではないことを最初にお断りしておきます。

 

京都アカデメイア塾の授業準備の一環で、遅まきながらマイケル・サンデル著、鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(早川書房、2010)を読みました。

 

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この本を読んだ直後に戦後70年安倍首相談話のニュースに触れて、日本のマスコミがこの談話に曖昧なスタンスを取っているように見える理由が自分なりにわかった気がしたので、ここにまとめます。

 

上に挙げた『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』の第9章「たがいに負うものは何か?――忠誠のジレンマ」の内容がそのまま使えます。そこでは、先祖の罪を償うべきかといった問いに対して、以下の2つの立場があるとされます。

 

 

道徳的個人主義 共同体主義
(物語的な考え方)
主な提唱者 カント、ロールズ アリストテレス、マッキンタイア
先祖の罪を償うべきか 償う必要はない 償うべき
長所 私の責任は私が引き受けたものに限られるという解放感 物語的説明により道徳を考えることができる
短所 一般に認められている道徳的・政治的責務の意義がわからなくなる コミュニティの負荷は抑圧となりがち

 

戦後70年安倍首相談話は、この2つの立場が入り交じっているので、それに対する反応が曖昧になってしまうと考えられます。

 

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 

これが道徳的個人主義の典型です。

 

その直後の

 

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 

は共同体主義(物語的な考え方)です。

 

もし前者の道徳的個人主義を貫くなら、戦後の焼け野原を生きた人はもう人口の二割程度ですし、次の世代は次の世代で生きていくので、2つ目の引用のような発想をしないでしょうし、後者の共同体主義(物語的な考え方)を貫くなら、あの戦争に直接関わっていない子や孫も自分が直接関わっていないという理由だけで謝罪をしなくてもよいということにはなりません。

 

どちらの立場がよいかはともかく、こうした2つの立場があると考えれば議論の土台になると思いまして、紹介させていただきました。

 

(戦後70年安倍首相談話は、平成27年8月14日 内閣総理大臣談話 | 平成27年 | 総理指示・談話など | 総理大臣 | 首相官邸ホームページに全文があるので、そこから引用させてもらいました)

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