真山仁講演会報告(1) 

 

百木です。
先週の土曜日に開催したNF特別企画・真山仁講演会にはたくさんの方にご来場いただき、ありがとうございました。立ち見がでるほどの盛況で、窮屈な思いをさせてしまった方々には申し訳なかったのですが、今後の反省材料にしたいと思います。お忙しい中、京都までお越しいただき、素晴らしい講演をしていただいた真山さんにも改めてお礼を申し上げます。

当日の講演内容を簡単にまとめて報告させていただきます。ただ、僕自身の記憶も頼りないものですので、もし不十分な点がありましたらコメントなどで指摘していただけるとありがたいです。一部、僕(百木)の個人的な感想やコメントなども付け加えさせていただきますが、この点についてもなにかお気づきの点や反論などありましたら、遠慮なくコメント下さい。

講演の前半は「なぜ・いかにして私は小説家になったのか」というお話でした。小説家の方から直に小説家になった動機やその経緯などを詳しくお聞きできる機会はなかなかないので、とても面白く聞かせていただきました。真山さんは子どもの頃から何かにつけ、周囲の大人や友人の考えや行動に疑問をもち、その疑問を周囲にぶつけていくような天邪鬼な性格だったそうです。世間や学校で決められたルールとしてみんなが従っていることにも疑問や反発を覚えることが多く、そのような性格が小説家を志すことの大きな動機になったとのこと。

興味深かったのは、真山さんが「小説家になりたいから小説家を志した」のではなく、「世間や周囲の人びとにたいして自分の考えや疑問を伝えたい」という思いがまず先にあり、そのための手段として小説家という職業を選んだ、というお話でした。最近の新卒が「3年以内に3割がやめる」ことが社会問題として話題になったことがありましたが、そのような状況にたいしても、自分が就職したい会社や就きたい職種から志望動機を考えるのではなく、自分が何をしたいのか・将来どのような到達点に達したいのか、という目標から逆算して、希望する会社や職種を考えていくほうが良いのでは、というアドバイスがありました。ちょうど就職活動解禁が数日前のニュースになっていましたが、就職活動を控えた学生や今後のキャリアを考える若者にとっては将来を考えるヒントになるアドバイスだったのではないでしょうか。

また、真山さんは小説家を志すにあたって、いろいろな小説家の経歴を調べてみた結果、多くの小説家がまず新聞記者のキャリアを経てから小説家に転身していることに気づき、自分自身もまず新聞記者を10年続けてから小説家を目指そう、と決意されたそうです。このあたりも自分が抱いていた小説家志望者のイメージとは違い、ユニークかつ実践的な考え方だなぁと感心しました。そして就職活動の結果、実際に中部読売新聞社に入社し、警察取材などを中心に精力的にお仕事をされていたそうです。真山さんは新聞記者としても非常に優秀だったそうですが、いろいろと考えるところがあり、当初10年続けるつもりだった新聞記者を2年7ヶ月で退職し、その後はフリーライターとして仕事をしつつ、小説を書き続けておられたとのこと。このあたりの詳しい経緯はこちらのインタビューでも答えられているので、関心ある方はご覧になってみてください。その後『ハゲタカ』シリーズでの大ヒットを皮切りに、原発問題を扱った『ベイジン』や地熱発電を扱った『マグマ』、初の政治小説にチャレンジされた『コラプティオ』など、現代日本の政治経済問題に鋭く斬り込む作品を発表され続けています。

講演の後半は、3月11日の東日本大震災および福島の原発事故に関するお話が中心でした。真山さんは震災後、twitterやブログなどを通じて、菅内閣の政治対応を厳しく批判するとともに、安易な脱原発運動と原発推進の主張の双方にたいして問題提起を行なっておられます。この点についての真山さんの主張をまとめれば以下のようになります。震災後の菅元総理は自身の政権延命のためだけに場当たり的な政策対応を繰り返し、日本の政治にたいする信頼を決定的に失わせてしまった。さらに現在の脱原発運動は、具体的な代替エネルギー案を考えることなしに、ただ「原発が怖い」という理由だけで感情的に脱原発を唱えるだけで有効性を持ちえない。また、太陽光発電や風力発電は天候や時間帯によって発電量が左右されるがゆえに到底ベースエネルギーにはなりえない。真山さんが考える唯一有効な代替エネルギーは地熱発電だが、その有効性は社会的にまだ十分に理解されているとはいえず、道のりは遠い。そうであるとすれば、現状では(明確な代替エネルギーが見つかるまでは)原発の存続を認めざるをえないのではないか。

真山さんは3年前にリーマン・ショックが起こったときに、これで「経済が社会の主導権を握る時代」は終わりを迎え、「政治が社会の主導権を握る時代」がやってくると直感的に感じられたそうです。経済の論理ではなく、政治の論理が社会の進むべき方向性を決定し、議論の中心となる時代がこれからはやってくる(或いはもう訪れている)。しかし現在の民主党政権はその「政治の時代」に対応できているとは到底言えない。多くの国民が政治にたいしての信頼や興味を失っている。本来は政治家が、日本が長期的に目指すべきヴィジョンを掲げ、その目標に向けた現実的な政策運営を行なっていかなければいけないのだが、誰もそのようなことができず、つまらない政局闘争にばかり時間を奪われている。このような状況をいかにして打開できるか。明快な答えはないけれども、まずは我々ひとりひとりが政治的な関心を高め、誤った政治判断を行わないよう意識を高めていくしかない。自分の小説がそのような思考のきっかけになればこれほど嬉しいことはない。

以上がおおまかな講演内容のまとめです。不十分な点が多々あるかと思いますが、僕個人ではこれが限界なので許してください。コメントなどで補足いただければ幸いです。個人的な感想としては、後半部の原発問題や日本の政治状況についてのお話にはいろいろ考えさせられるところが多く、大いに共感させられる点と、いくつか疑問に感じられる点がありました。その点について、人文系の院生である僕が素人ながらに感じた疑問点について書いてみます。(つづく)

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