いま、京大で起こっていること。 -「国際高等教育院」問題について

百木です。いま、京都大学でちょっとした騒動になっている「国際高等教育院」問題についてまとめてみました。できるだけ客観的に・事実に基いて書いたつもりですが、いろいろと僕個人の意見が反映されている部分もあると思います。この記事はあくまで百木個人の意見であり、京都アカデメイア全体の見解ではないことをお断りしておきます(この問題についてはいろいろな意見・立場の人がいるので)。もし何かお気づきの点、反対意見、補足情報などあればコメント欄にお願いします。

1.現状のまとめ

最近の京大は、「国際高等教育院」問題で揺れています。
初耳だという方も多いでしょうが、朝日毎日などの大手新聞でも記事になっていたのでそちらをご覧になった方もいるかもしれません。いくつかリンクを貼っておきます。

朝日新聞: 京都大、教養教育を一元化へ 13年4月に新部門検討(2012年11月15日9時58分)

毎日新聞: 京都大:教養教育一元化へ 学力低下ストップ狙い、来年度にも新組織(2012年11月17日)

また京都大学新聞の特集記事にも詳しい経緯がまとめられています。なかなか良い記事です。
京都大学新聞:緊急特集 「教養共通教育再編」を考える(2012.10.16)

大まかにどういう事態になっているかを説明しますと、

1)来年度から一般教養科目(いわゆるパンキョー)の制度を大きく変えるという計画が浮上。
2)それに合わせて、一般教養科目担う「国際高等教育院」なる組織を設立する計画が浮上。
3)ところがこの「国際高等教育院」計画に対して教員・学生から異論が続出。
4)教員・学生有志による反対の署名活動集めや抗議書の提出監査請求の要請が行われる。
5)総長サイドは当初の計画案で強行突破を図る。 ←今ここ

という感じです。

特にこの計画に反発しているのは、これまで一般教養科目を主に担ってきた総合人間学部および人間・環境学研究科(総合人間学部の大学院に当たる組織)の教員や学生たちです。ちなみに人間・環境学研究科棟の入り口は現在こんな風になっています。(笑)

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夜間ライトアップまで。(笑)
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こちらは先生方による反対決起集会の様子。
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動画もあります。お二人の先生方が話されていますが、どちらもなかなか心に染みます。

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こちらは人環・総人の教員による説明会の様子。詳しい経緯を知りたい方はどうぞ。

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また人環教員有志による反対表明サイト学生有志による反対活動wikiなども立ち上がっています。とくに人環教員有志による反対サイトにはこれまでの経緯も詳しく書いてありますし、随時情報が更新されていますので、関心ある方はチェックなさってみてください。コメント書き込みも可能になっていて、それぞれのコメントにきちんと返答してくださる印象を持っています。web反対署名もできます。ちなみに11月末時点で集まった反対署名は1255件だったそうです。人環で学ぶ留学生からも抗議書が提出されています。

その他ネット上のまとめなど。
京都大の「国際高等教育院」構想に対する反応 – Togetter
京大【総人・人環】「国際高等教育院」構想反対決起会(11/12)
京大総長の「国際高等教育院」構想が、骨抜き過ぎて笑える件
「国際高等教育院(仮称)の設置について」というメールについて

2.これまでの経緯とか

ではどうしてこうした反対運動が(一部で)盛り上がっているのでしょうか。
まず、そもそもどのような教養教育改革がなされようとしているのか、を大学の公式資料を参照しながら確認してみます。

こちらの資料を見ると、「グローバルな知識基盤型社会において、我が国の学士課程教育が、未来の社会を支える優れた人材を育成するという公共的使命を果たし、社会からの信頼に応えていくために…改革を推し進めなければならない」という文言から始って、近年の京都大学では「研究活動や専門教育を重視する一方、教養・共通教育を軽んじる傾向も否めない」ために、抜本的な教養教育制度改革が必要だ、という結論になっています。具体的な改革内容としては、a.開講科目の精選と体系化、b.各学部による履修モデルの提示、c.初年次への専門基礎科目配当の見直し、d.ポケゼミの正規授業化、e.英語授業の強化、などが挙げられています。

さらにこちらの資料では、「各学部のニーズに合った共通・教養教育にかかる科目提供の在り方やその実施を、10 学部と全学共通教育実施責任部局および協力部局が対等に議論することが、本学の共通・教養教育の改善に向けた全うな道筋であろう」としたうえで、「全学共通教育の負担問題を、本学基本理念に部局自治の尊重と並んで謳われる「全学的な調和」的運営によって解決することが求められるが、そのような調和的な合意が不可能な場合には、旧教養部から総合人間学部への移行の際の議論に立ち返って、教員定員の配置の在り方から再度の抜本的な議論を行なうことも必要となるであろう」として、教養科目の学部ごとの負担割合をどうするか、という点に話が進みます。

ここから「本学の全学共通教育の一層の適正化を図るため」現行の組織体制を抜本的に見直し、「各研究科等の協力を得て、全学共通教育の企画、調整及び実施等を一元的に所掌する全学責任組織「国際高等教育院(仮称)」を設置する。」という組織案が浮上してきます。この組織では「全学共通教育をはじめとした国際高等教育院(仮称)の業務を主務とする専任教員を配置する」とされ、その「教員原資」に関しては人間・環境学研究科から90~135ポスト、理学研究科から27ポストなどを当てる、という人事異動の話が出てきます。

これに対して、人環の先生方から反対表明が出されています。この計画があまりに性急に進められていること、松本紘総長から教員・学生にたいしてほとんど何の説明もなく、一方的に総長のトップダウンで計画が構想されていること、どのような理念のもとに教養教育改革がなされるのかが不明瞭であること、計画されている人事異動案が到底了承できるものではないこと、などがその主な理由です。

大きくまとめると反対の理由は以下の三つに分けられそうです。
1)京都大学の教養教育が損なわれてしまうのではないかという危惧。
2)松本総長によるあまりに性急な計画の進め方への反発。
3)人環・総人が実質的に解体されてしまうのではないかという危惧。

こんな感じで、現在、京都大学では「国際高等教育院」計画をめぐって、これを来年度から実施しようとする総長サイドと、これに反発する教員・学生有志サイドで対立が起こっており、ちょっとした「例外状態」が出現しております。

ちなみに僕も人環に属する大学院生のひとりなので、ささやかながら反対署名をしたり、いろいろ情報を収集・整理などしているのですが、根があまり真面目な性格ではないもので、個人的には今回の騒動をある種の「非日常的体験」として楽しんでしまっているところがあります。僕は京都大学に在籍して通算でもう10年以上になりますが、こんな状況は初めてですから。こんなことを書くと、真面目に反対活動をしている先生や学生の皆さん、あるいは真剣にこの計画でもって「教養改革」をしようとしているお偉い先生方に怒られてしまいそうですが。もう少し真面目に書くと、僕は今回の騒動が、京都大学のこれからのあり方や、教養教育の意義、総人・人環という組織の立ち位置、大学自治の行く末、などについて先生と学生が一緒になって考え直す良い機会なのではないかと考えています。

今回の計画に賛成するか反対するかはともかくとして(僕個人は反対の立場ですが)、この計画について双方の議論を詰めていくならば、最終的には「大学の役割とは何か」「教養の意義とは何か」といった大きな話に行き着くはずで す。実際に、先日開かれた教員と学生の対話集会でもそのような議論が、教員と学生・OBの間で闘わされていました(先生方の認識は甘いのではないか、教養 とは何か?という本質的な議論・定義を避けて、今回の計画に本当の意味で反対など出来るのか、など)。この問いを突き詰めていくと、これまでの人環や総人 は本当に理想的な教養教育を行なってきたのか、そもそも人環の先生方はあるべき教養教育のあり方をどのように考えているのか、というツッコミがブーメランのように人環・総人の側に返ってくるはずです。この点については、教養部廃止から人環・総人の設立に至る経緯、人環・総人の理念と現実の差なども含めていろいろ言いたいことがあるのですが、長くなりそうなのでここでは割愛します。

3.背景にあるもの

そもそも今回の問題は、近年、「学生の基礎教養の低下が課題となっている」「教養・共通教育を軽んじる傾向がある」「学生を採用する企業側から学生の基礎教養の底上げを求める声が高まっている」「グローバルに活躍できる人材を育てることが求められている」という松本総長(大学当局)の認識から起こったものです。

またその背景には、日本の高等教育全体を取り巻く「改革圧力」があります(京都大学新聞)。今年6月に文科省が発表した「大学改革実行プラン」 によれば、「生涯学び続け主体的に考える力をもつ人材の育成、グローバルに活躍する人材の育成、我が国や地球規模の課題を解決する大学・研究拠点の形成、 地域課題の解決の中核となる大学の形成など、社会を変革するエンジンとしての大学の役割が国民に実感できること」を目指した大学改革を行うとされていま す。その具体的内容としては、「大学入試の改革」「産業構造の変化や新たな学修ニーズに対応した社会人の学び直しの推進」「グローバル化に対応した人材育成」などが挙げられています。

つまり、グローバル社会や経済界か らの要請にあわせて大学制度・教養教育の中身を「改革」していこうという大きな流れがあり、その流れのもとに松本総長が今回の「教養教育制度の改編」およ び「国際高等教育院計画」を構想したということのようです。今回の計画の進め方が性急にすぎる、教員・学生への説明がない、人員異動のやり方に問題があ る、といった点にももちろん問題はあるのですが、問題の本質は文科省・経済界・大学当局がスクラムを組んで進めようとしている上記のような「大学改革」の流れが本当に正しいものなのか、われわれは「大学の教養教育」に何を望むのか、という点にあるのではないかと思います。

「自由な校風」 によって知られ、「1人の天才と99人の馬鹿を生み出す」と言われてきた京都大学の教育のあり方を今後どのようなものにしていくべきなのか。そもそも「大 学」や「教養」の意義をどのようにとらえていくのか。今回の騒動が、大学人にとって根本的なこういった問題について、改めて考えなおす機会になればと思い ます。

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