いま、京大で起こっていること。part2 -国際高等教育院問題-

 先週,「国際高等教育院」問題(以下、教育院問題と省略)について書いた記事に対して,私的なものも含め,いくつかのコメントをいただきましたので,それに応答したいと思います。今回の記事も、百木の個人的な見解・解釈を含んでおり、これが京都アカデメイア全体の見解ではないことをあらかじめ断っておきます。
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1)経緯についてはよくわかったが,この問題は「教養とは何か」「大学の役割とは何か」といった理念論で語る前に,大学で新しい組織を立ち上げる際の正当な手続きを踏んでいないという手続き論で批判すべき問題ではないか。

正論です。実際に,この構想に反対している人環の先生方もそのような手続き論に則って,総長サイドに対して反対しています。具体的には,この計画の手続き上の不備をめぐる監査請求が行われています。その手続き上の不備については,人環教員有志のサイトに簡潔にまとめられています。念のため,以下に引用しておきます。

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「国際高等教育院」構想推進に関する問題点

1.大学規程違反
規程に定めのない総長裁定委員会の乱用
既存委員会と任務が重複する委員会を設置して既存委員会の権限を蔑ろに

2.共通教育検討段階での責任部局の排除
全学共通教育を担う総合人間学部と4学部(経済・農・教育・薬)を抜きにした構想推進

3.委員会議論の恣意的な解釈
委員会に提案された2案のうち支持の多かった案を説明も無く撤回
強い反対があっても了承と主張(反対意見が多く出た案を修正もせずに部局長会議に提案)

4.教養教育の中身の議論の欠如
人員確保と組織図作りに終始
教育院の中身とは関係ない資料(総長参考資料1、2、3、4)を示して、中身を十分議論したと偽装

5.欺瞞に満ちたメッセージ発信
構想の一部だけを強調したメール送信で学内世論を誤誘導

6.拙速・杜撰な構想推進
次年度4月に発足させる組織を前年末に強行決定することを画策
「専任教員」「再配当定員」等の定義不明ポストで構成された粗雑な組織設計

7.部局の人事権の強引な剥奪
法的根拠もなく教員を部局から移籍させて実質的な管理下に置く(1913年澤栁事件・1933年滝川事件以上の前代未聞の)暴挙

8.社会不安の誘引
未確定な構想内容の報道を許し、人間・環境学研究科・総合人間学部大幅縮小との誤解を社会(とりわけ受験生)に与えたこれらの問題は、以下の点で京都大学の基本理念に反している:

「高い倫理性」の欠如
「多様かつ調和のとれた教育体系」の破壊
「対話」の拒絶
「開かれた大学」の否定
「自由と調和に基づく知」の破壊
「学問の自由な発展」の阻害
「教育研究組織の自治」の破壊
「全学的な調和」の軽視
「社会的な説明責任」の放棄
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以上の指摘はいずれも的確なものだと思いますが,実際に監事側がどのような判断を下すのか,そしてその判断がどの程度,総長の方針に対して拘束力をもつのか,というのは今のところよく分かりません。おそらく,こういう風に総長の方針に対して教員から監査請求が行われるということが異例の事態なので(上記の指摘では,これは「1913年澤栁事件・1933年滝川事件以上の前代未聞の暴挙」だとされていますが),どのような判断が下されるのか,注視したいと思います。

また,このような手続き論でもって反対するのが正攻法だとして,それだけで本当にこの計画に待ったをかけられるのか?という疑問も残ります。なぜなら12月4日に開かれた部局長会議において,総長サイドは教員・学生から反対の声があがっていることを知りつつも,元の計画を修正することなく,それを強行採決しようとしたそうだからです。11月26日時点で全教員にたいして送られた総長メールと,全学生にたいして送られた副学長メールでは,いったん譲歩の構えを見せておきながら,12月4日の会議では,そのメールと全く異なる内容(つまり,元のままの計画)で採決を行おうとしたと聞いています。これに対してはさすがに,人環以外の研究科長からも反対の声があがり,その会議での結論は持ち越しということになったそうです。

つまり,総長サイドとしては,教員・学生から反対の声があがろうが(11月末時点で1255名の反対署名が集まってる),手続き上の監査請求がなされようが,そういった反対の声には構わず,また京大の教員や学生に対して正式な説明を行わないままに,この計画を元のままの案で通そうとしているということです。これを総長の権限を超えた横暴だとして批判することはもちろん真っ当なのですが,他方で,そうまでして強引にこの計画を通そうとする総長サイドの意図は何なのだろう?ということも気になります。学内で多少の反対意見があがろうとも,大学の正式な手続きを踏み越えてでも,この計画を今年度中に通して,来年度から実際に新組織を立ち上げようとする総長サイドには,何らかの後ろ盾なり,これを強引に突破しても大丈夫だという論理なりが存在するのでは,と勘繰りたくなってしまいます。

今後の予定としては,今週18日(火)の臨時部局長会議にてこの計画について何らかの決定が下される予定だということです。この会議においても,総長サイドは元の案を修正することなく強行突破の予定だ,という噂を聞いておりますので,もはやどんな反対があろうとこの計画は可決されることが決められているのかもしれません。この点についても,ひとまず18日の決定がどのようなものになるかを見守りたいと思います。

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2,今年3月に文科省から出された「予測困難な時代について~」という文書,および6月に発表された「グローバル人材育成について~」という文書にも言及してほしい。

前回の記事でも書いたように,この教育院計画は松本総長が単独で立案し,実行しようとしているものではありません。その背景には,文科省が推進している「大学改革実行プラン」があります(今年6月発表)。さらにこのプラン策定のための方針を示す答申として3月中教審から「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」という文書が発表されています。この大学改革実行プランとは「生涯学び続け主体的に考える力をもつ人材の育成、グローバルに活躍する人材の育成」などを目標とした大学改革プランです。そして今年度が「改革始動期」,来年度と再来年度が「改革実行期」と定められており,おそらくその計画に沿って今回の教育院構想も立ち上がったのであろう,ということです。注目すべきは,このプランが発表されたのと同じ6月に「グローバル人材育成推進会議の中間まとめ」が発表されているということです。この文書では,「グローバル化の加速する社会において活躍できる人材の育成の重要性が増していることは論を俟たない」とされています。おそらくこの二つの文書は互いに関連しあっており,「大学改革実行プラン」の具体的な実行路線が「グローバル人材育成」にあることは既定のもので,その既定路線に沿ったうえで教育院が構想されています。ちなみに京都大学が国際高等教育院構想についての基本方針が初めて示されたのが翌月の7月でした。また8月には中教審からこれらを総合した「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」という文書が示されています。

先ほど,総長サイドが反対の声があるにもかかわらず、強引にこの計画を進めようとしている背景には何か後ろ盾があるのでは…、と書いたのはこのことです。といっても,「裏で文科省役人がすべてを操っている!」という陰謀論的な話をしたいわけではありません。また「グローバル人材の育成」自体に反対しているのでもありません。ただ、個々の大学の教育現場の現状や特質を理解しないままに「グローバル人材の育成」だけが至上命題として掲げられ、総長が予算や権限を獲得するために文科省の定めたプログラムをそのまま受け入れて、これを教員と学生への説明なしに強引に実行しようとしていることに反対したいのです。せめて総長はこの計画について京都大学の教員と学生にその意図を正式に説明する場を設け、教員と学生の概ねの賛同を得たうえで、これを実行していく義務を負っているでしょう。

この教育院構想には今のところほとんど具体的な中身がありません。グローバル人材を育成するためにネイティヴスピーカーを多く雇い、英語授業を増やすという程度の情報が漏れ伝わってくる程度です。しかし、英語の授業を増やせばグローバルに活躍できる人材が育成される、というほど単純なものではないはずです。京大生ならば英語力は自力でもそれなりに身につけられるはずです。問題は、英語を使った授業の中でどのような内容の講義や議論がなされるかということです。そういった話を抜きにして、ただネイティヴスピーカーの講師を大量に雇えばいい、といった表面的な計画だけで教養教育改革が進もうとしているのであれば、これはかなり危険なことなのではないかと思います。

また、松本総長が今回の計画を焦って実現させようとする背景には、来年度に文科省から京都大学へ国立大学法人評価が入り、その結果いかんでは国からの予算が大幅に減らされてしまうかもしれない、という危機感があるそうです。聞くところによれば、数年前にある国立大学がこの評価査定の結果、約5億円の予算を減らされたとか。松本総長はそのことを非常に気にしており、文科省から良い評価を獲得するために、わかりやすい大型プロジェクトとして今回の国際高等教育院構想および思修館構想入試改革などを進めようとしているのでないか、との推測があるらしいです。この思修館構想や入試改革の内容も相当に問題含みなものですが、問題の本質は、文科省から予算を取ることが大学当局にとっての至上目的となり、根幹の研究現場や教育現場での意見や、教員・学生の意志がおざなりにされているということです。この問題は、そもそも2004年の大学独立行政法人化以降、大学に競争原理を持ち込んだ文科省の方針にその根源があると言わねばなりません。この問題も是々非々で議論すべき論点が多数存在しますが、ひとり総長の暴走を問題とするのではなく(それだけでも相当に問題はあるのですが)、文科省が90年代以降に進めてきた大学改革のあり方が正しいものであったのか、という大きなレベルで問題を考える必要があるのではないでしょうか。(続く)

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