大学の外で研究者として生きていくことは可能か? Part.3 を開催しました

 
4月16日、波勢邦生さんをお招きしイベントを開催しました。

波勢さんは現在キリスト新聞社・関西分室研究員でキリスト教社会運動家の賀川豊彦の研究をされる一方、キリスト教について解説する動画配信やイベントの開催などさまざまな活動をされています。

今回は、研究の内容とともに、「研究者として生きていく」とはどういうことなのかについてご自身の経験を軸にお話いただきました。
以下、内容を簡単にまとめました。



波勢さんは「大学の外で研究者として生きていくことは可能か?」という問いの前提には、そもそも「『研究者』として誰から認めてもらいたいのか」という「名」の問題があるのではないかと言います。

たとえば、世間的には、大学の先生は研究者だとみなされますが、退職すると”◯◯大学教授”のような肩書はなくなります。でも、だからといって、その分野の専門家からみれば、研究者であることに何ら変わりがないように。

あるいは、大学への就職がほんとうに研究できる環境の確保を保証するのかということも、残念ながら一概には言えない現状があります。

しかし、その一方で、学びの営みを”社会的なネットワーク”として捉えれば、必ずしも”研究者=大学教員”のように狭く限定する必然性もないでしょう。

キリスト教学の基礎知識について解説中

 

後半では、波勢さん自身の実存的な経験を交えてお話いただきました。

波勢さんにとって「研究者としてー」という問いは、結局のところ、「お金」や「時間」などの人生の優先順位をどのように設定し「自分自身がどう生きるのか」という問いであると言います。

お話を聞きながら、ふと、スタジオジブリの『借りぐらしのアリエッティ』を思い出しました。
主人公である小人の少女・アリエッティは借りぐらしの屋敷で少年の翔と出あいます。翔は心臓の手術を控えていて、おそらく自分は死ぬだろうと言います。そして「君達は滅び行く種族なんだ」とアリエッティにつげるのです。

さて、たしかに日本におけるキリスト教研究とはマイナーな分野なのかもしれません。他方、研究を続けることができた理由を、波勢さんは「惰性」「どうしようもなさ」だと表現します。でも、考えてみればそれは、人が生きるのとほとんど同じことだと気づきます。

今回のイベントでは、研究をすることと人生や実存とのかかわりについて深く考えることができたのではないかと思います。
ご参加いただいたみなさま、そして波勢さんには、ほんとうにありがとうございました。

文責:大窪

 

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