皆さんは「アジール」にどんなイメージをお持ちですか? 時の権力が及ばない場所? 世間の価値観とは違う場所? 網野善彦の中世史の縁切寺、楽市楽座、芸能民、無縁・非定住のイメージ?
京アカ以外に居場所妄想会という活動に参加している私は、最近、自分でアジールをつくりたいのかな、と思い始めました。そこで検索をかけると京アカ・舟木徹男理事長のアジールに関する著作も出てきました。まず、手始めに、
舟木徹男著 「第7章 精神の病とその治療の場をめぐる逆説――アジール/アサイラム論の観点から」(松本卓也・武本一美編著『メンタルヘルスの理解のために』ミネルヴァ書房、2020 所収)
を読んでみました。感想メモを記しておきます。
舟木氏は本稿でアジールの主な機能として「庇護」(不可侵の避難所)と「治癒」(聖なるものにふれて癒される場)をあげます。そして、狂気の庇護と治癒の場としての「精神科病院」が「アジール」の英訳語の「アサイラム」とも名付けられていることに着目し、そこに2つの逆説が隠されていることを示唆します。
1)自由で非権力的で平和な「アジール」が管理的・抑圧的な「アサイラム」に転化すること。
2)管理的な「アサイラム」(病院・監獄)が病者にとって現実社会からの庇護をもたらす「アジール」に転化すること。
この逆説を私たちはどう考えればよいのでしょうか。アジールづくりの実践のなかで、今後追求してみたい課題です。
本章には他に「刑法39条・医療観察法」「社会的入院と世間」の課題が、本書他章には「岩倉の精神医療」「スピリチュアルペイン」など他書ではあまりお目にかかれない視点が書かれていて、精神障がいにも関心のある私にはおもしろく読めました。
本章を導入にして、オルトヴィン・ヘンスラー 著 舟木徹男 訳・解題『アジール―その歴史と諸形態』 (国書刊行会)を読み解き、現代のアジールの実現の可能性/不可能性を考えてみたい、と思っています。(文責・古藤隆浩)