【京都アカデメイア聖書読書会(第Ⅲ期)】

今日は新規参加の方2人を含め6人参加でした。新しくいらして下さった方には専門知識をお持ちの方もおられ、いろいろと勉強になった。驚いたのは、カトリックのなかには、世俗と区別された信仰に固有の領域などない、なぜならこの世界に住む人々はすべて救済の可能性の対象であり、その意味で信仰に関係ない領域など定義上存在しないから、という考えや、別の宗教の信者であっても(本人にはその自覚がなくとも)潜在的なキリスト者として終末において救われるよう神が定めている、という考えなどがあるらしいということ。普遍宗教ならではの責任感がそのような教義を産むのだろうか、と思った。また、カルヴァンの予定説は、少なくとも信者に対しては「もう救いが予定されているから大丈夫だよ」という慰めのために用いられたのであり、ウェーバーのように予定説がもたらした不安の側面を強調して資本主義の精神に結びつける議論は間違っているという説も聞けた。その他、前回に引き続きbelieve とbelieve in 、種子の比喩、回心体験、宗教体験と恋愛、信仰の有無とは何ぞ、聖霊と自由意志、遠藤周作、親鸞、鈴木大拙、臨済禅と曹洞禅、エリート凡夫など、話題は多岐に及ぶ。古代語に詳しい面子もそろってきて、京アカ聖書読書会はなかなか盛り上がって参りました。あと1回か2回ぐらいでルターは終わりそうです。次回は6月25日(土)10:00~@京大本部時計台下サロン。

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