百木です。先日、久しぶりに大学の後輩の玉置沙由里さんとスカイプで話をしました。ご存知の方も多いかと思いますが、玉置沙由里さんはいわゆるノマドブロガーとして有名な方で、ブログ「女。MGの日記」やMG(X)プロジェクトなどを主宰し、ノマドとして新しい生き方を実践しておられます。僕は彼女が京都大学の総合人間学部にいた頃からの知り合いで今でも仲良くさせてもらっており、彼女には一昨年の11月祭で京都アカデメイアが主催した公開討論<大学と学問のこれから>にもパネリストの一人として参加してもらいました。
スカイプで議論した内容は「ノマドという生き方は誰にでも実践できるものなのか?」ということでした。これは以前から僕が気になっていたテーマだったので、最近のノマドブームに一役買い、自らがノマド的な生き方を実践してきた玉置さんがその点についてどう考えているのかを聞いてみたかったのです。すると彼女自身、この点についていろいろ思うところがあったらしく、なかなか話は盛り上がりました。そこで議論した内容と、その議論から僕なりに考えたことを簡単にまとめておきます。
そもそも「ノマド」という用語に馴染みのない人もいるかもしれません。ノマドとはもともと遊牧民を意味する英単語ですが、最近では「いつも決まった場所ではなく、カフェや公園、お客さんのオフィスなどでノートパソコン、スマートフォンなどを駆使しネットを介して場所を問わずに働くスタイル」が「ノマドワーキング」として知られるようになりました。その背景にはソーシャルメディアやクラウドなどのネットサービスの発達があります。最近では、ノマドワーカーの一人として人気のある安藤美冬さんが情熱大陸に取り上げられたり、日経新聞で連載特集記事が組まれるなど、ネット界隈やビジネス界を中心にしてその認知度が高まっています。
玉置沙由里さんは自身のブログで「露出社会」「創職時代」「パトロン制度」「合脳主義」「第八大陸」「没落エリート」など、様々にキャッチーな造語を作りながら、プロブロガーとしての生き方を実践してこられました。ノマドについては2年前の2010年時点で「都市ノマド」という概念を提唱し、こんなブログ記事を書いています。もともとはITジャーナリストの佐々木俊尚さんが2009年に『仕事するのにオフィスはいらない』という本の中で「ノマドワーキング」を提唱したのがきっかけだったと思います。
しかし、佐々木俊尚さんと80年代生まれの若者4人が対談したこの記事でも、佐々木さんが冒頭で述べておられますが、ノマドとは本当に誰でも実践できる生き方なのか?ノマドはノマドで結構厳しい生き方なのではないか?という疑問や批判も最近ではなされるようになってきているようです。数ヶ月前に、浅野さんが岡田斗司夫さんの講演会内容をまとめたブログ記事で彼の提唱する「3万円ビジネス」や「評価経済社会」について書いておられましたが、その記事を読んだ僕の正直な感想は「うーん、それって会社勤めよりも大変な生き方なのでは??」でした。(同じ疑問は「就活」をテーマに議論した第2回アカデメイアカフェでも出ていました)
例えば岡田さんは「就職のオワコン化」にたいして「3万円の仕事を10個、1万円の仕事を10個、無償の仕事を20個、マイナスの仕事を10個の計50個くらいの仕事をする」という3万円ビジネス的生き方を提案しておられるわけですが、はっきり言って3万円ぶんのビジネスを50個やるって相当なブラック企業並みの働きっぷりになるのではないでしょうか。浅野さんも自分自身それに近い生計の立て方をしていると言いつつ「50個というのは体力的にも時間的にも無理」と書いておられます。僕も同じ意見です。もちろん岡田さんが言いたいのは、すべての人に50個分の仕事をしろということではなく、それぞれの能力や希望所得に応じてできる範囲のことをやればいよい、ということなのでしょう。ただしそのことを考慮したとしても、やはり3万円ビジネスや評価経済社会的なワークスタイルで生計をずっと維持していける人はさほど多くないのが現状であると思います。(岡田さんが提案する50個の半分=25個の仕事→月収20万円を毎月継続的にこなしていくだけでも結構大変なのでは)
では、「ノマド的生き方がすべての人間に実践できるわけではない」とすると、それを実践できる人と実践できない人を分ける境界線は何でしょうか。ひとまず思いつくままに列挙すると、「コミュニケーション能力」「社交能力」「露出耐久力」「流動性への耐久性」といった能力・性格ではないでしょうか。
例えば玉置さんのユニークな造語のひとつに「露出社会」がありますが、ソーシャルメディアやスマートフォンを活用してノマド的生き方を実践していくためには、かなりの程度まで自分がどういった人間であり、普段何を考えている人間であるのかという個人情報をネット上に晒していくことが必要になります(ほとんど素性が知れないような人間にたいしては、ネット上でも仕事や寝る場所を提供しようという人は現れないでしょうから)。このような「露出耐久力」がある人にとっては、それはむしろ楽しいことなのかもしれませんが、そういった「露出」に抵抗を感じる人も多いはずです。「ダダ漏れ女子」で有名になったそらのさんがある日の放送をきっかけに叩かれまくった例などを見れば、露出への恐怖を感じる人も多いのではないでしょうか。
また「これからの時代は企業や組織に属さなくても、ソーシャルメディアなどの繋がりから仕事や居場所をGetできる!」という場合にも、見知らぬ人と積極的にネット上でやり取りをしたり、積極的に人脈を広げたり、人に会いに行ったりする社交性やフットワークの軽さが必要になります。企業や組織に属していれば、自由度は制限されるけれども、安定した人間関係のなかで仕事ができる(さほど社交能力がなくても仕事ができる)というメリットがあります。このあたりは人によってどちらを働きよいと感じるかが分かれるところでしょう。流動的な環境が好きか、固定化された環境が好きか、という違いかもしれません。
こういった「コミュニケーション能力」「社交能力」「露出耐久力」「流動性への耐久性」などの能力・性格を持っている人にとっては「ノマドワーキング」や「ノマド的生き方」は新しい可能性を切り開く希望に満ちた働き方・生き方かもしれませんが、そのような能力・性格を持たない人にとってはそれは今以上にしんどい・辛い働き方・生き方になるかもしれません。つまりは、「ノマドはごく一部の能力や性格をもつ特殊な人たちにしか実践できない生き方である」にもかかわらず、「これからの時代はノマド的な生き方が新しい!そうしないと生き残っていけないよ!」という規範意識(言説)が形成されてしまう現状があるのではないでしょうか。仮にこれを「タマキサユリ問題」と名づけておきます(笑)
僕はべつにノマド的-評価経済的な生き方を批判したいわけではありません。閉塞感ばかりが高まる昨今の日本社会において、そういった新しい自由な生き方が可能になったこと自体は良いことだと思いますし、そうした新しい生き方を実践する人たちがたくさん出てくることで、日本社会を良い・面白い方向に変えていってくれるのであればそれは歓迎すべきことだと考えています。ただし、僕が警戒的なのは「いまや会社や組織に依存した生き方はもう古い。そんなやり方ではもう生き残っていけない。これからはノマドの時代で、みんなノマド的な生き方・働き方を実践していくべきだ」という言説に対してです。あえて戦略的にやっておられるのかもしれませんが、例えばネットジャーナリストの佐々木俊尚さんや梅田望夫さんなどの発言からは、端々にそういった「べき論」を感じ取ってしまいます。最近はややスタンスを変えているようですが、少し前までの玉置さんの発言からも僕はそのような主張を読み取っていました。
そこで先日のスカイプではそのあたりの疑問をいろいろ玉置さんにぶつけて訊いていたのですが、予想以上に話が盛り上がったので、これは京都アカデメイア×玉置沙由里でust中継でラジオをしようよ!という話になりました。先日の記事でも書いたとおりですが、6月2日(土)の20時~ust中継をすることになりましたので、関心ある方はぜひご視聴ください。当日のコメント参加や事前の質問受付なども募集しております。よろしくお願いします。
<京都アカデメイア×玉置沙由里 ustream中継>
テーマ:ノマドと知のこれから~ブロガー玉置沙由里に聞く
日時:6月2日(土)20時~
URL:http://www.ustream.tv/channel/kyoaca
参考:玉置さんのブログ、twitter、faceboook、現代ビジネスでの連載、プロフィール