<京都アカデメイア×玉置沙由里 ustream中継> ノマドと知のこれから~ブロガー玉置沙由里に聞く

百木です。
前回の玉置沙由里さんとのust中継動画はこちらです。

<京都アカデメイア×玉置沙由里 ustream中継> ノマドと知のこれから~ブロガー玉置沙由里に聞く
http://www.ustream.tv/recorded/23024032

まとまった文章を書こうとしていたのですが、うまくまとめてきれませんでした。すいません>
代わりにOくんが熱心に取ってくれたノートのデータをアップしておきますので、関心ある方はご参照下さい。
https://docs.google.com/file/d/0Bx7L-njNF6cJYzNvZkhibWR5Nm8/edit?pli=1

いちおう、箇条書きで当日に出た論点をまとめておきます。

・最近のノマドブームでは、ノマドワーキングという狭い意味でのみノマドが理解されているのが残念。ノマドにはミクロな意味(ノマドワーキング)だけでなく、人類史的なマクロの意味があり、そちらが見落とされている。たとえば、ジャック・アタリというフランスの哲学者は『21世紀の歴史』という本の中で、21世紀には人類全体がハイパーノマド、ヴァーチャルノマド、下層ノマドという三つのノマド層にわかれていくと予想した。このように「ノマド化」は一時的なブームに解消されるものではなく、人類史的な意義をもつ現象であるととらえるべき。(玉置さん)

・私は「第八大陸」という概念を提唱してきた。それは現実の七大陸に加えて、ネット上に新しい大陸=第八大陸が出現している、という意味。それは単に架空の空間ではなく、現実空間とリンクしたバーチャル空間。私たちは自分の意志でこの世界に生まれてきたわけではないし、自分の名前も親から与えられたもの。しかし、第八大陸には自分の意志で参入することができ、名前も新しく自分でつけ直すことができる。(玉置さん)

・しかし、玉置さんがいう「ノマド的な生き方」は一部の特殊な能力や性格(コミュニケーション能力、人間的魅力、社交性、露出耐久力など)をもつ人にだけ実践可能なものではないのか?(京アカ)

→たしかにそういう側面はあるが、もしノマド的な生き方が嫌ならば自分はそれを他人に強制するつもりは全くない。非ノマド的な生き方をしたい人はそのままでいいのでは。(玉置さん)

→それを単純に「人それぞれ」の問題で終わらせてよいのか。もしアタリが言うように、人類や社会全体が「ノマド化」の方向にむかっているのであれば、「ノマド的な生き方が嫌なら、それ以外の生き方をすすればいい」というだけでは済まないのではないか。むしろ、皆が好むと好まざるとにかかわらず、ノマド的な生き方・働き方にある程度は巻き込まれざるをえない状況が出現しているのでは?(京アカ)

→それは難しい問題。自分が「第八大陸」と呼ぶネット上の空間では、これまでの社会とは違った基準の価値観が生まれるようになるだろう。そこで新しい格差のような問題は生じてくるかもしれない。でも、「第八大陸」から生まれる新しい可能性や面白みもあるはずで、自分としてはそれを追求していきたい。(玉置さん)

・玉置さんは、第八大陸には自分の意志で生まれることができる、自分で新しく名前をつけることもできる、と言っているが、ソーシャルメディアなどに疎い人間からすれば、第八大陸においても自由意志で生まれるという感覚はない。むしろ第八大陸に強制的に参加させられているという印象すらある。そのような感覚をもってしまっている自分のような人間はこれからどうやって生きていけばよいのか?何かコツやノウハウがあれば教えてほしい。(京アカ)

→その感覚はとても面白い!とくにコツやノウハウなどというものはない。自分がやりたいことを追求し、自分に合ったライフスタイルを追求していたら、こういう生き方になった。何か努力して身に付けるという感覚ではない。自然に振る舞えばよいのでは?無意識なキャラ化。(玉置さん)

→努力して能力を身につけるのではなく、自然にあるがままに振る舞えば理想の自分が実現できる、という言い方は興味深い。それは例えば、就活問題に引きつけていえば、本田由紀さんの提唱する「ハイパー・メリトクラシー」問題に近い。努力によって身につけることができない、天性的な能力・性格だとしたら、それはなかなか残酷な問題なのでは。(京アカ)

・自分がMG(X)などで実践している活動は、「ビジネス」ではない新しい経済圏の創出というイメージ。同じ意志を共有する人たちが集まってきて、いろいろ新しいこと・興味あることを試してみる空間。いまや企業に頼らず、個々人がそれぞれの経済圏を創出できる時代になった。(参考:岡田斗司夫さんの「評価経済社会」)(玉置さん)

→それに関しても、自分独自の経済圏を創出できる人とできない人との間で新しく格差が生まれるのでは?また、そのような新しい経済圏が、最終的には資本主義に回収されていくものなのか、あるいは資本主義とは異なる新しい経済空間/コミュニティ空間を生み出すものなのかが気になる。(京アカ)

→その二つを区別する必要はあるのか?あまりそういった意識はしていない。ただし、単純に既存の資本主義経済に飲み込まれて一時的なブームで終わらせるつもりはない。(玉置さん)

いまの社会は「カネ余り」状態なのでは。これだけ物質的に豊かな社会で、ソーシャルメディアも発達していれば、そもそも暮らしていくのにあまりお金がかからない。お金を稼ぐために嫌な思いをしてまで働く必要はなく、もっとささやかな収入で豊かに暮らしていくこともできるのでは。京都アカデメイアもあまり「ビジネス化」することを意識しすぎないほうがいいかもしれない。お金に還元されない、物や知識の交換という道もあるのでは?(玉置さん)

他にももっと面白い話題がたくさんあったのですが、とりあえず思い出せる範囲で書いてみました!
余裕があればまた後日更新するかもしれません。

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