京アカUstream” カピバクさんに聞いてみよう!”第3回の収録・生配信を行いました。

テーマ:「文学と社会思想のあいだ~『多崎つくる』から『なめ敵』まで~」

話題一覧:

○前半:『なめらかな社会とその敵』
・『構造と力』以来の衝撃!? 学術書としては異例の売れ行き、その理由とは?
・『なめ敵』はSF小説? /想像力を掻き立てるユニークな本
・カピバクさんの『なめ敵』解説―PICSY、分人民主主義、構成的社会契約論
・イチローのラーメンは一杯100万円!? 伝播投資貨幣PICSYとは?
・なめらかな社会は「人類補完計画」!? エヴァンゲリオンから考える、『なめ敵』
・なめらかな社会はコミュニケーションが不要な社会か?
・なめらかな社会は全体主義の再現か?
…etc

○後半:『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
・カピバクさんによる『多崎つくる』あらすじ
・なぜこれほど村上春樹の小説は人気があるのか?
・3.11と『多崎つくる』
・村上春樹の社会性/時代感覚との奇妙なリンク
・悪の絶対性と善/悪の相対的境界性というモチーフ
・成長物語としての『多崎つくる』
・なぜ文学を読むのか?/「物語」を楽しむ、ということ
・文学的寓意(メタファー)の力/文学の魅力は「嘘」にある
・不完全な私、の回復の物語
・文学と思想の境界はどこにあるのか?
…etc

文学と思想とは通常は遠いところにあると思われています。もちろん、ジャンルが異なるということもあります。しかし、より根本的な違い、それは、それぞれがもつ価値の規準が異なっているということです。文学が芸術性とか審美性にその規準を求めるとすれば、他方にとっての規準は、真理性にあると考えられています。では、両者はまったく隔たっていて、決して交わることはないのでしょうか。
今回取り上げた2つの書物はそれぞれ対極的な位置にありながら、しかし、奇妙に交叉しているのを感じました。文学にせよ思想にせよ、すぐれた作品というのは、単に思弁的なおしゃべりとか、作家が考えたに過ぎないフィクションにとどまるのではなく、読者のイマジネーションをも掻き立ててくれる力を持っているのではないでしょうか。文学音痴の私も、これからは文学作品にもっと触れてみたいと思いました。(お)

次回の配信は、7月配信予定です。
お楽しみに!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です