大澤真幸、木村草太『憲法の条件』:なぜ憲法の話はつまらないのか?

大窪善人
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憲法の話は、ほんとうはとてもおもしろい!

昨年は集団的自衛権の解釈改憲をはじめ、いつになく憲法についての問題が取り沙汰されました。しかし、年末の総選挙の結果をみても、世間の反応はいまひとつ盛り上がりに欠けるものでした。憲法は重要な問題であるはずなのに、世論の関心を引きませんでした。

憲法の話はどこか上滑りしているような、つまらない印象を受けてしまう。何故なのでしょうか。この本では、憲法学者の木村草太さんと社会学者の大澤真幸さんが、その理由を明快に解き明かしてくれます。

大澤:日本人は、憲法について、大事なものかもしれないけれどあまりおもしろくないもの、優等生のような人が説教くさく語るもの、自分たちの実生活に直接には関わらないことだと思っています。しかし、憲法とは何かが本当にわかってくると、憲法は、私たちをワクワクさせるもの、心躍らせるもので、自分たちの人生に魂を与える力をもっていることに気付きます。

キーワードは「法の支配」

憲法についての最近の議論は「立憲主義」からはじまることが多いですが、この本は「法の支配」という、より基本的な言葉からスタートします。あまり馴染みのないこの言葉ですが、「法の支配」とは何なのでしょうか。端的に言えばそれは、「最も強い権力者も法に従わなければならない」ということです。「国王は何人の下にもあるべきではない。しかし、神と法の下にあるべきである。」という、中世イギリス国王の暴政を批判した際に引用された言葉は有名です。

しかし、なぜ「法の支配」に従うのでしょうか。それは、人間よりも法の方が偉いと考えるからです。たとえば、イスラム法はその理想型です。イスラム世界の法律の一番の根拠はコーランです。コーランは宗教的に絶対の聖典なので、人間は勝手に新しい法を作ったりはなかなかできません。つまり、人間が法に従う理由は、法が人々の意思を超える権威を持つからなのです。

ここに憲法を考えることのおもしろさがあると思います。もちろん日本の憲法は世俗的な近代法なので、イスラム法とは違って、内容を書き換えることができます。実際に安倍総理は改憲を掲げていますね。改憲は民主的な手続きに従って行うことができるわけです。ところが、「法の支配」を念頭におけば、憲法の重要な根拠は、政府や国民の意思決定とはじつは別のところにあるのです。これはちょっと考えてみるとおもしろい話ではないでしょうか。

日本で憲法の議論が盛り上がらない理由

集団的自衛権の問題は、間違いなく日本の憲法を考えるさいの試金石です。にもかかわらず、いまひとつ国民的議論は盛り上がらなかったようにみえます。その理由としては、議論が非常に細かな法律解釈の話になっているという事情もあるでしょう。しかし、大澤さんは、より根本的な理由を指摘しています。

大澤:「わが国の存立を脅かされたときにのみ、集団的自衛権を行使する」というのは、たいへん勝手なことを言っている気がします。「集団的に自衛しよう。一緒に自分たちを守ろう。ただし私が一緒に戦うのは、私が死活的に危ないときだけですよ」と言っているわけですから。


これはとても鋭い指摘ではないでしょうか。
それに対して、

木村:今回の一件に関して、どうしてこの政権は自国の利益ではなく、どうすれば世界がよくなるかという見方、つまり国際的な公共価値という視点がもてないのだろうと残念に思います。[…]安全保障は国際的な視野がなければ実現しませんから、単純に日本の利益だけを追求してはいけないはずです。国際社会が安定すれば、結果として日本にもメリットになる、そういう議論のはずです。


個人的なレベルで言えば、「戦争に行くのが嫌だから戦争に反対だ」というのは利己的な理由以上のものではないでしょう。だったら、もし自分が戦争に行かずにすむのなら賛成するのか、という話にもなってしまいます。いずれにしても、とても自己中心的な主張に聞こえます。

木村:集団的自衛権に関して、メディアの中でいちばん優勢だったのは、結局、アメリカに見捨てられていいのかという賛成派による議論と、戦争に巻き込まれていいのかという反対派による議論でした。
賛成派は、アメリカに見捨てられたら日本はやっていけないから、アメリカの51番目の州として認めてもらうために、集団的自衛権をもとうという。それに対して反対派は、集団的自衛権を認めたら戦争に巻き込まれるからだめだという。激しく対立しているようでいて、いずれの議論も利己的である点は同じです。どちらも国際公共価値には目を向けていないわけです。


憲法は、一方では、その国や国民がもつ固有の意思や物語が書き込まれたものです。しかし、憲法について考えるということはそれだけに尽きない、というところがポイントです。他方で、憲法は、国民が世界に対して発信する、普遍的な公共的価値の表明でもあるといいます。

それは、「いまここ」に生きている人だけではなく、ここにいない人たち、さらには、大澤さんが「未来の他者」と呼ぶような、まだ生まれていない人たちのことも含めて、わたしたちが考えようとする、ということです。「法の支配」の概念を持ち出せば、それは、憲法をいまここに生きている人だけの意見だけで決めてしまっていいのか、という感覚が重要だということです。そのときにはじめて、政治の世界においても、市民社会においても、ほんとうにワクワクするような憲法の話ができるのではないかと思いました。

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