日本一若者が集まる寺:「應典院」がおもしろい

大窪善人

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葬式をしない寺

先日、應典院(おうてんいん)が主催するイベント、1995-2015ニッポン宗教、死と再生の20年~お寺Meeting特別編~に行ってきました。じつは以前から気になっていたのですが、今回はじめて訪ねました。

大蓮寺 應典院は大阪の天王寺にある浄土宗のお寺です。
近鉄・日本橋駅を降りてすぐのところ、大きなガラスと鉄とコンクリートの建物で、第一印象はまるで美術館のようです。あまりにオシャレなので、そこがお寺だと知らずに来る人もいるみたいです。

エントランスを通って本堂に入ると、まず客席に肘掛けの椅子が並べてあって(畳とか正座ではないんですね)、奥には舞台と阿弥陀如来の本尊が、静かに照明の光に照らされていて、その中をモダンにアレンジされた仏教の音楽が流れている。そんな劇場のような雰囲気でした。

変わっているのは外観だけではありません。じつはこの應典院は葬式をしない寺なのです。ではどうやって運営が成り立っているのかと、NPO法人としての会費が主な収入だそうです。

お寺というと、若者にはあまり縁がないイメージがありますが、ここには若い人をはじめ、年間約3万人もの人が訪れるそうです。境内では日々演劇公演など様々なイベントが開催されていて、「寺イコール葬式、墓」という固定観念からすると、すごくカルチャー・ショックを受けるのではないかと思います。住職の秋田光彦さんもSNSを自在に使いこなす、とても若々しい感性をお持ちの方で驚きました。

1995年→2015年

今回のイベントは、今からちょうど20年前の1995年を、宗教的な立場からふり返って考えるという企画で、秋田住職と相愛大学の釈徹宗さん、浄土宗綜合研究所の今岡達雄さん、大阪大学の稲場圭信さんがゲストでコメント&討論がされました。

1995年は歴史的に重要な年でした。1月には阪神淡路大震災が、そして、3月には東京で新興宗教団体による地下鉄サリン事件が発生しました。とくにオウムの一連の事件は、それまで性善説的に捉えられてきた、宗教に対する社会の信頼を大きく揺るがす出来事でした。この95年の出来事に衝撃を受けた経験というのが、今の應典院がつくられる大きなきっかけになったそうです。どうしてオウムの若者たちは、まず既存の寺院の門を叩かなかったのか、否、それは、いまや寺に「宗教」がないからだ、と。

リアルタイムに貼りだされたキーワード群
IMG_0089討論では、それぞれのゲストから、生命倫理、グリーフ・ケアや無縁死の問題、社会と宗教はどのようにかかわっていけばいいのか、科学と宗教の役割の違いとは、など、興味深いテーマが縦横に語られました。個人的には、「宗教者が社会のニーズばかりを過剰に追いかけるような『職業化』はいけない」という批判が、いまの大学業界にも当てはまる話だなと思いながら聞いていました。

なかなか普段の生活の中では、わたしたちは宗教や倫理や道徳の問題について考えたり、お互いに話し合ったりする機会は少ないように思います。既存の宗教団体の中ですらそうかもしれません。應典院という新しいスタイルの寺が、そうした話題について、あかるく対話する空間をつくる試みを続けてきているというのは、非常におもしろいなという印象を持ちました。お寺に対するイメージが大きく変わりました。

 

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