第6回京都アカデメイア読書会(『失敗の本質』)を開催しました。

百木です。
4月24日(日)にGACCOHさんを借りて第6回京都アカデメイア読書会を開催しました。
課題本は『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』。太平洋戦争における日本軍の組織的構造の問題点を詳しく研究した一冊です。経営学の分野での必読書としても知られています。

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参加者は6名とやや少なめでしたが、若手研究者、非常勤講師、大学院生、社会人、大学生(学部生)といろんなメンツが揃って議論は盛り上がりました。
あいまいな戦略目的、主観的で帰納的な戦略策定、空気の支配、進化のない戦略オプション、アンバランスな戦略技術体系など、現在の日本組織の構造にも通ずる問題が次々と列挙されていて、あの戦争のときと今とでは根本的なところは何も変わっていないよね、という感想がしきりに聞かれました。とくに会社や大学などの組織で働いたことがある人間にとっては、どれもこれも「あるある」なことばかりだったようです。某先生が大学のゼミでこの本を読ませたところ、学生たちから「これほんとバイトの現場で起こってることそのままっす」みたいな感想がたくさん出てきたとか。

そのうえで僕が個人的に気になったのは、このような日本組織の構造的欠陥が、日本が西洋近代に「遅れ」ていることから来るものなのか、あるいはそもそも日本が西洋近代とは根本的に異なった文化・価値観を抱えていることから来るものなのか、という問題です。前者は丸山眞男に代表される考え方で、この本の筆者たちも基本的にそのような考え方に立っているものと思われますが、しかしそのような図式でもはや不十分なのではないか、と最近は感じています。この本を読んでいると、戦後70年間のあいだの日本組織のあまりの変わらなさぶりに、むしろ西洋文明と日本文化は相当に異なった基盤のうえに立っていて、その違いは容易には埋まらない(少なくとも百年や二百年レベルでは埋まらない)と捉えておいたほうがよいのではないかと。こうした捉え方は、一歩間違えると、日本特殊論、あるいは歪んだ日本礼賛論になりかねないので気をつけねばならないのですが、150年程度の近代化の歴史(来年でちょうど明治維新150年ですね)では簡単に埋まらない西洋文明と日本文化の間の溝とは何なのか、それぞれの文明・文化がどのような基盤のうえに立脚しているのかを考えてみるというのも、なかなか面白い課題ではないでしょうか。

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ちょうど読書会の日の日経新聞に、『失敗の本質』で書かれているのとほぼおなじ内容の記事が掲載されていました。
検証なき国は廃れる 2016/4/24付日本経済新聞 朝刊
会員限定の記事なのですが、無料登録で読めるので関心ある方にはおすすめです。

この記事では、2003年以降のイラク戦争を米英日各国がどのように検証・総括したかが書かれています。この戦争は、イラクが大量破壊兵器を保有しているとして米国が中心となって攻撃を始めたものですが、結果的にそのような大量破壊兵器は見つからず、「大義なき戦争」であることが明らかになってしまった。当時のブッシュ大統領は、フセイン独裁体制の打倒と民主化の実現に戦争の目的をスライドさせようとしましたが、このような「大義なき戦争」に対して世界中から非難が集まりました。
これに対して、米政府はイラク戦争のみならずアフガニスタン戦争なども含めて911テロ後の対応について検証した600ページにもわたる報告書を約10年前に提出しています。また米政府に追従した英国でも、09年に設けた独立調査委員会が8年越しの検証を行い、今年6月にも結果を公表する予定とのこと。この検証作業ではブレア氏をはじめ、当時の要人や軍幹部など百数十人にのぼる関係者にインタビューが行われたということです。
それに比べて、日本ではどうか。英政府と同じく、当時の小泉政権も米国のイラク戦争を支持し、イラク特措法を成立させて、後方支援という名の兵站業務に自衛隊を派兵しました。しかしこれに対する本格的な検証作業はいまだ行われていない。支持を決めた経緯について、民主党政権の指示を受けた外務省が調査し、2012年12月に結果をまとめたそうですが、発表されたのはたった4ページの要約だけ。これではまともな「失敗の検証」作業になっていないのは明らかです。

これについてこの記事では次のようにまとめられています。

 日本はなぜか、失敗を深く分析し、次につなげるのが苦手だ。「小切手外交」とやゆされた1991年の湾岸戦争、安保理常任理事国入りに失敗した05年の国連外交、小泉純一郎首相による2度の北朝鮮訪問。外交だけでも、検証すべきできごとはたくさんある。
 だが、元幹部を含めた複数の外務省関係者によると、これらを正式に調べ、総括したことはないという。多くの人が原因にあげるのが次の2点だ。

 *日本人の性格上、失敗の責任者を特定し、批判するのを好まない。
 *これからも同じ組織で働く上司や同僚の責任を追及し、恨まれたくないという心理がみなに働く。

 同省にかぎらない。日本の組織には多かれ少なかれ、こうした「ムラ的」な風土がある。ならば、ときには第三者が必要な検証をしていくしかない。国家の場合、その役割をになうべきなのは立法府である。

失敗の責任を特定の個人に帰することを嫌い、「一億総懺悔」といった風に責任の所在を曖昧にしてしまう傾向、誰が最終決断をしたのか不明確なままに「空気の支配」によって重大な決断がなされてしまい、後からそれに対して誰も責任を取ろうとしない事態、こうした状況はどうやら容易に改まることはなさそうです。東日本大震災にともなう福島原発事故や、最近の原発再稼動においても、そのような問題の構造は引き継がれたままです。こうした組織的欠陥を改めていく地道な努力を続けると同時に、こうした体質が容易に変化することはないことを前提としてどのような社会・組織をデザインしていくのが望ましいのか、西洋文明と日本文化の根本的な差異を探りつつ、考えていく必要があるのかなといったことを、帰りの電車のなかでつらつらと考えていました。

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京都アカデメイア読書会では、今後も「(1)これまで読もうと思いつつなかなか読めていなかった古典・重要テキストを読む」「(2)課題本を通じて、現在の日本社会が置かれている状況を考える」という二つをテーマにして、月一ペースでいろんな本を読んでいければと考えています。皆様もご関心とご都合のあうタイミングがあれば、ぜひ読書会にご参加ください。よろしくお願いします。

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