「シルバー民主主義時代のポスト福祉国家」読書会の感想:12頭目のラクダの返還をめぐって

大窪善人

 
昨日は、大阪で「シルバー民主主義時代のポスト福祉国家」読書会に参加しました。
読書会では、以前、京アカの読書会にお呼びしたこともある 吉良貴之さん(法哲学)が話題提供者となり、お互いほぼ初対面の10名の方々と、充実した議論を交わしました。

 
世代間格差をどうするか

話のとっかかりは、今年5月に出て話題となった経産省のペーパー「不安な個人、立ちすくむ国家(リンクはPDF)」。
このプレゼン資料には、日本の現状・将来への危機感について率直に書かれており、「炎上」的な賛否両論の議論を巻き起こしました。

論点のひとつは、世代間の経済格差です。

読書会でも、「人口分布が高齢者に偏る『シルバー民主主義』的な状況では、若者や将来にたいする投資や再配分が通りにくいのではないか」、あるいは、「むしろ世代間対立を煽ることで議論を盛り上げた方がよいのでは」「責任を世代で一括りにできるか」などの意見がありました。

 
「名誉」による年金辞退?

個人的におもしろかったのは、細野豪志議員の「『名誉』による年金辞退」という話題です。

細野議員は、社会保障制度の改革案として、余裕のある高齢者にたいし、年金を辞退すれば、天皇陛下への拝謁やディズニーランドの特別チケットなどの形で、「名誉」を与えようと主張しています。

これに対しては、やはり懐疑的な意見が多いようですが、「再配分をお金ではない別の方法で埋め合わせよう」というアイデア自体は、興味深いと思いました。
 

12頭目のラクダがいない

そこでふと思い出したのが、アラブに伝わるという、たとえ話です。

< あるとき、ラクダを飼っている男が、息子たちに遺言を残しました。「長男には、所有する半分のラクダを、次男には4分の1を、そして三男には6分の1を、それぞれ与える」と。

ところが、ラクダの数は11頭だったので割り切れない。すると、そこに賢者が通りかかって、ならば私のラクダを1頭貸してやると言う。これでラクダの数は12頭となり、それぞれ6頭、3頭、2頭で分けることができた。そして、賢者は余った1頭を返してもらったのでした・・・。>

 
法社会学者のニクラス・ルーマンが言うように、この寓話はパラドックスです。
たしかに、11では分けるのは無理でも、12ならうまく割り切れます。しかし、結局、1頭は持ち主に返しているのだから、じつは、12頭目のラクダは、最初から”いなくてもよかった”はずです。

さて、細野議員のアイデアは、どこがダメなのでしょうか。それは、「名誉」に値する具体的内容に、多くの人が納得できないことです。
逆に言えば、納得できる”何か”さえ見つかれば、問題は解決します。では、それは何なのか・・・?

この不可能なものを、さながら可能である”かのように”なす存在。私たちには「12頭目のラクダ」が欠けているのです。
 

追記:吉良貴之さんが読書会のまとめを書かれています。
http://tkira26.hateblo.jp/entry/2017/09/11/232639

 

おすすめの本


問いかける法哲学

法律文化社(2016年10月03日)

 

 

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