平成とはどういう時代だったのか?

大窪善人


中央公論 2018年 01 月号 [雑誌]

中央公論新社(2017-12-08)

 
平成が終る。今月、政府は平成31年4月に天皇の譲位と改元を行うことを決定しました。
それに伴い、メディアでは平成を振り返る特集を組んでいます。ところで、その年表を見て感じたのは、「平成」という時代が、ひとつのまとまりとしてイメージできにくいということです。30年間のさまざまな事件、出来事を並べても、たんなる羅列というか、なんとなくフラットな印象があるのです。

そもそも、元号で時代を区切って考えること自体が日本特殊的な捉え方ではあります。少なくとも、明治以降、統治者たる天皇の生命と時間支配とが同一化されていました。つまり、グローバル・スタンダードな西暦ではなく、元号の時間感覚にしっくりくるということは、日本という国にとてもコミットしているということになるでしょう。

昭和という時代がわりとはっきりとしたイメージを持たれるのに対して、平成はふわふわとした印象です。
政治思想家の片山杜秀氏は、平成を「ホラーの時代」だったと言います。現代ホラーの特徴は、因果応報的な祟りではなく、無差別に降りかかってくる不条理な祟り。突然襲いかかるテロや災害、ある種の病気は、物語化できない不条理なできごとです。

文脈を失って、ある意味で何でもありであるかのような時代。しかし、そんな中でひとつ、この国の物語を保持している存在があるといいます。今上天皇です。
政治的権能をもたないがゆえに、平時には”あってもなくてもよい”存在が、災害や戦争のような非常事態において突如呼び出されるのは、そのためでしょう。

かつて左、リベラルといえば天皇制に反対でした。ところが、いまや、かれらこそ天皇の礼賛者になってしまっています。
結局、自分たちの普遍的な理想や理念を信じられなければ、この国では誰もが「天皇」という磁場に吸い込まれてしまうのでしょう。

 

 

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