堀内進之介『人工知能時代を<善く生きる>技術』

大窪善人

 
スマートフォン、スマート家電、自動運転など、人工知能(AI)の発展が目覚ましい。だが、これらの新しい技術は、私たちの生き方にどのような影響を与えるのか、それが本書のテーマです。

たとえば、自動運転は、ドライバーが運転しなくても移動できる画期的な仕組みですが、これはほんの序の口に過ぎません。”本当の自動運転”では、AIが利用者の行動履歴を参照して、車に乗り込むだけで目的地へと走り出す…。

ここには、理性と意思でもって主体的に判断する「人間」という社会的前提に、根本的な変革を迫る可能性があるといいます(たとえば、自動運転による事故の責任は誰がとるのか)。

 
意欲させる技術

いつも新技術の登場には過度な期待や警戒というのが付きものですが、著者はそのどちらでもなく、技術と人間との関係性の刷新をこそ訴えます。

先日、日本でも発売された「Amazon Ecoh」や「Google Home」といったスマートスピーカーが画期的なのは、AIが人間の「秘書」ではなく、自律的な「代理人」であることです。

たとえば、「水分補給しませんか?」という会話をきっかけにして、AIがデータを分析、ユーザーが希望しそうな商品(ジュース)を提案する。 
このやり取りは、AIが人間の命令に従うのではなく、「意欲前領域」に働きかけて、ユーザーが何を意欲するべきなのかをアシストしているわけです。

技術は消費だけでなく、政治にも応用できます。
人は気分の落ち込みや高ストレスな状況だと、保守化する傾向があるそうです。もしインターネットと接続した計測機器を通じて、高ストレス時に保守的なメッセージを伝えれば、ヒットする確率は高まります。その一方で、「意欲させる技術」の活用は、政治に無関心になった人たちを動機づけられるかもしれません。

 
汝自身を知れ

このような、意欲させる技術が発達する一方、では、そもそも私たちは「何を意欲するべき」なのでしょうか? これは一義的には決められない問いです。

著者は、ハイデガーを引いて、技術の本質とは、「で、どうするんだ?」と、私たちを”挑発”することだと言います。古代ギリシャでは、知や技術は、徳(ヴァーチュー)によって補完する必要があるとされていました(技術の道徳化)。

しかし、現代では、何が徳に値する善きことかは人それぞれ。だからこそ、普遍的な真理や正義の追求には終わりがありません。
一方、著者は、「かっこよさ」や「おしゃれ」といった価値観が、ヒントになるかもしれないと言います。

ハイテク化が進んだ、未来のレストランを想像してみよう。椅子に座れば、注文する前に、その人の嗜好に合った料理がセンサリングされて提供され、客は「そうだ、これが食べたかったんだ」と、出てきた料理を受け入れる。[…]店で料理をつくったり、サービスを担当したりするのは、もちろんロボットだ。[…]

では、ハイテクレストランとは真逆の、次のようなレストランはどうだろうか。店にいるのはロボットではなく、最上級の技術を持つ人間のシェフ、そして、やはり最上級のサービスをする人間のスタッフである。客は、シェフが工夫をこらした多種多様なメニューの中から、あれこれ考えて、今日食べる料理を決め、サービススタッフに注文を口頭で伝える。[…]「人間が人間をもてなす」のは人件費がかかるので、もちろん値段は高くつく。しかし、自分で料理を選んだり、注文したり、スタッフと会話したりという「面倒」を引き受ける「価値」は、ハイテクレストランが普及すればするほど、希少価値として高められ、そうした店で食事をする人間は、ハイテクレストランにはない、リッチな気分を味わうことができるだろう。

 
はたして、私たちは何を望むのか…。晩年のフーコーやカントが問うたテーマです。

 
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