堀内進之介 『感情で釣られる人々』:カモられないための戦略とは?

大窪善人


 
ポケモンGOと都知事選

先日日本でも配信が始まったスマートフォン・ゲームアプリ「ポケモンGO」。またたくまに社会現象を巻き起こしており、22日のニューヨーク・タイムズによると、配信初日だけで国内で1000万人の人がアプリをダウンロードしたといいます。東京に住んでいる人のほとんどがポケモンで遊んでいる、と喩えると規模の大きさがわかります。

都知事選の候補も、ポケモンGOの影響力を無視できなかったようです。ある候補者は街頭で、「ポケモンを探しに外に出たついでに(?)投票にも行ってほしい」と呼びかけたほど。完全に話題をポケモンに持って行かれた格好です。

なぜ理性が負け、感情が勝つのか?

都知事選の行方がどうなるのかはわかりませんが、ところで、一般的に、とくに若い人は選挙に行かないという傾向があります。なぜでしょうか? 若者全体の投票率が下がれば、若者向けの政策や予算が付けられなくなり、若者自身が不利益を受けるということが、メディアを通じて繰り返しアナウンスされているにもかかわらずです。
そのひとつの答えが書かれているのがこの本です。
ズバリその理由は、人間は理性ではなく感情で動く生き物だからです。「ポケモンGOは楽しいけど、政治に参加するのは楽しくない」。

科学的・学問的な議論を放り投げる反知性主義的傾向や共和党トランプ氏のように極端な感情、真理ではなくレトリックに訴える政治家の登場、そして、イギリスのEU離脱問題…。
なぜ人々は不合理な選択をしてしまうのか。あるいは、”開かれた理性的な話し合いによる決定こそがよりよい結論を導く”という、近代社会の基本原則が揺らいでいるとの声もあります。

本書では豊富な事例を紹介しながら、いかに人が感情を利用した”釣り”に引っかかりやすいのか、そして、それを利用した「感情のマーケティング」、「感情のポリティクス」がいかに社会の中に広く浸透しているのかを示しています。

15-23sannennreisuii衆議院議員総選挙年代別投票率の推移/明るい選挙推進協会web page より

その手綱は”繋がっていない”

現実の出来事を裏打ちするように、最新の心理研究や認知科学では、理性の働きに対して感情の優位を支持する研究が出てきています。ジョナサン・ハイトは感情を「象」に、理性を「乗り手」に喩えて説明します。

理性が感情をコントロールするというのは西洋の基本的な考え方ですが、ハイトによれば、人間が物事を判断する要素は、むしろ「直感」によるところが大きい。なので、理性という乗り手は、象がデタラメに向かう方向について、「そうそう、私ははじめからそっちに行こうと思ってたんだ」というように、事後的に根拠をこじつけているにすぎないと。

案外、人は自分で考えているよりも合理的に行動しているわけではないようです。そういえば、”ポケモノミクス”で一時高騰した任天堂の株価も、同社が開発元ではないという情報が広がるとあっという間に急落しました。そんなことは少し調べればわかったはずですが、やはり、”ポケモン=任天堂”という直感が合理的な判断を上回ったのでしょうか。

感情を設計する理性

しかし、そこでひとつの疑問が浮かび上がります。認知科学の業績が示すように、もし人が感情的な動物であることが不変的事実なら、ではどうして私たちは今まで、人が理性的な存在であると信じられたのでしょうか。

それは、宗教が人々を結びつけていたからです。19世紀にアメリカを視察したアレクシード・ド・トクヴィルは、民主主義を十全に働かせるためには草の根的なコミュティ、タウンを基礎とした人々の感情的な連帯が重要であると言いました。その際に、彼はキリスト教がアメリカの政治文化に与えた影響を見逃しませんでした。


 
はたして宗教が理性的なものかどうかは今となってはかなり怪しいでしょうが、少なくとも、感情(と理性の思い上がり)が暴走しないように”くびき”をするように機能しました。しかし、宗教やコミュニティは徐々に衰退し、かくして、赤裸々な感情が解放されたというわけです。

その意味でかつての宗教や共同体は、人間の不完全さを補って、合理的な営みを可能にするような”理性的”な役割を果たしていたと言えるかもしれません。

自分で自分を釣る

では宗教なきあと感情をコントロールする術はあるのでしょうか? はやり理性で押さえ込むしかないのか。しかし、フランクフルト学派の学者たちが示したように、理性に過大な期待を寄せるのも禁物です。存外、理性もあてにはなりません。では、感情に流されないためには、感情を餌に”カモられ”ないようにするにはどうすればよいのか。

著者の導き出す答えは、いわば”コロンブスの卵”的なものです。つまり、感情に流されないようにするには、流されやすい感情を利用するシステムを逆に私たちが利用してやればよいと。

具体的なアイデアとしては、「ナッジ(nudge)」を利用することだと言います。ナッジとは「注意をうながすために、肘で軽く突く」という意味の英語です。
身近な例で言えばこんな感じです。情報は日々溢れています。あまりに多すぎるのでついつい忘れてしまったりします。そのときに、いつも手元にメモ帳を置く習慣をつければ、大切なことを覚えていられるでしょう、と。

つまり、宗教ならぬ「環境」を自分で整えることで、感情に流されやすい自分を自分で釣ることが、カモられないための戦略だと言うのです。

あるいは、もう少しデリケートなケースもあります。

2009年、改正臓器移植法が成立したが、日本のドナー登録者の割合はとても低い。[…]統計からドナー移植の割合は国によって大きく違いがあることが分かっている。
[…]では、ほとんど、すべての人が登録する国と、登録する人が少ない国とでは何が違うのだろうか。実は答えは単純だ。最初から、基本的にすべての人が自動的に登録されているのか、それとも自分の意思で登録の手続きをするのかという違いである。

もちろん、だからといってすぐに自動登録の制度をつくることがよいとは言い切れないと言います。パターナリズム(温情主義)の問題があるからです(たとえば、発展途上国で臓器売買をしている人の生活のことが考慮されていない)。ある問題への対処は、別の問題を生み出したりもします。

しかし、さらにそこには「自分で自分を釣る」ということの、もう一つの課題があるような気がします。つまりそれは、環境を駆使して自分自身を上手くコントロールできたとして、ではその「自分」を一体どこへ向かわせるのかという課題が。

 
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