マックス・ヴェーバー、カール・シュミット『政治の本質』

大窪善人


政治の本質

中央公論新社(2017年11月13日)

 
本書は、古典的名著であるヴェーバー『職業としての政治』とシュミット『政治的なものの概念』を1冊にしたものです。

 
シュミットは、ウェーバーのゼミのメンバーだったこともあり、どの程度影響があったかどうかは、たびたび議論になります。

ヴェーバーが、「政治家には、心情倫理ならぬ冷徹な”責任倫理”が不可欠だ」と説く一方で、本質的には何が正しいかは決められないという「価値自由」の逡巡があったのに対し、シュミットは、それを「主権者による決断」によって突破します。

彼が編み出した「政治的なもの(”political”)」という概念の本質は、味方と敵を区別すること。そして、この対立がクライマックスに達したものが、暴力に訴える戦争であると。
一見かなり大胆な定義ですが、奇妙に説得力があるのは、なぜでしょうか。

彼は神学のたとえで説明します。
キリスト教の神学とは、すべての人を救うものではなく、”救われる者”と”救われざる者”を区別するためにあると。ようは、この救われない他者が”敵”です。シュミットに言わせれば、世俗的な政治の原型は宗教なのです

 
ところで、ヒースが言うような差別のなくし方とは、たとえば違う色のTシャツを着せることで、性別や人種の差を打ち消し、区別をより無害なものに落ち着かせるという方法です。

しかし、注目すべきは、たとえ形が変わっても”区別そのものはなくならない“ということです。シュミットは、そこに、人間が負うべき罪悪を見出しました。人が人であるかぎり、政治もまた終わらないのでしょうか。

 
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