大澤真幸『社会学史』:残念な失敗作なのか? 〈奇想としての社会学〉

社会学の歴史を解説した『社会学史』の内容が間違いだらけ。専門家からそんなつっこみがあり話題になりました。
では、本書は読む価値のない失敗作なのでしょうか。

この本の特徴

本書は、社会学の歴史を学者ごとに解説したもので、大きな特徴は、ウェーバー、デュルケム、ジンメルから現代までのメジャーな社会学者を網羅的におさえられていることです。類書では、複数の研究者が分担して書かれることが多いのですが、本書は一人ですべて書かれています。

2つ目の特徴は、一人で書いているので、全体としてのまとまりが良いことです。そして、一つ一つの章にかならずひとつ「おっ!」と思わせるポイントがあることです。
あとがきで著者が言うように、社会学史の本は通読に耐えないことがよくあります。淡々と学者のプロフィールと概念の説明だけされても、どこがおもしろいのかがよくわからず退屈だからです。

社会学の生成を追体験

本書が読ませるのは、その学者がなぜそのように考えたのかが、かれらの経験を追体験することで、概念や理論の核心に迫ることができるからです。

例えば、ジンメル(1858-918)という社会学者は『橋と扉』というエッセイで、境界のふしぎな作用に注目します。
両方とも、分離と結合にかかわっていて、橋がこちらと対岸を結ぶのは、分かたれた両岸をつなげたいと望むから、つまり、結合に対してまず分離が先にくるという構造になっていると。
その発想の背景には、都市化により個人と社会のあいだに微妙な緊張関係が生じてきた19世紀ヨーロッパ(ベルリン)での経験があったと。 

批判的レビュー

本書に対して、社会学者の佐藤俊樹氏がかなり批判的な書評を発表しています。★1 
ポイントはいくつかありますが、ひとつは事実誤認の問題です。

例えば、マックス・ウェーバーの経歴について、本書では、病気のため大学教授を辞めて、在野の知識人だったかのように書かれていますが、実際には彼は大学には在籍しており、生涯大学人として活動していたと。

そんなの初歩的なミスじゃなかと思われるかもしれませんが、社会学史の著作でこの間違いは痛いと思います。
なぜなら、学説と学者の経歴とを結びつけて論じるのが社会学史だからです。 この他にもいろいろと間違いや曖昧な部分があるようで、社会学史の教科書としては、残念ながら非常におすすめしづらい出来になっています。

神さま視点が原因?

その原因として、佐藤氏は、著者が自分の考えたストーリーありきで解釈してしまったからではないかと指摘します。

例えば、本書の最後では、これからの社会学の展望について予言的に書かれているのですが、なぜそんなことがわかるのかと。
要するに、”世の中のことはすべて大澤理論で説明できるぞ”という、超越的な視点を取っているのが根本的な問題ではないかという批判です。★2

未来展望の学としての社会学

ではこの本は、読む価値のない残念な失敗作なのでしょうか。
前述の意味ではそうかもしれませんが、でも別の意味では違うのではないかと思います。 というのは、べつに神さま視点を取らなくても予言は可能だからです。
社会学の命名者・オーギュスト・コントが、社会学の使命とは未来を予見することだという名言を残しています。でもそれは、神としてではなく、あくまでも人の立場からみた未来です。
つまり、あくまでも有限である人の目から見て、まだここにない未来を考えるのが社会学だということです。

しかし、どうしたらそんなことが可能なのでしょうか。たしかに、見ようによっては胡散臭い法螺話とも受け取られかねません。
ところで、社会学の方法について、アクセル・ホネットが、奇想なまなざしこそが重要だと指摘しています。
奇想とは、”風変わり”とか”特異な”という意味ですが、そうした感性が未来=ここではないどこかを展望する鍵だというわけです。 ★3

「かのように」の視点

では、奇想にもとづいた議論の妥当性は、どのように判断すればよいのでしょうか。答えは、最終的には、そうした奇想なストーリーに、読者が説得力を感じるかどうかにかかっているのだと思います。

私たちは神さまの視点は取れませんが、あたかも取れた”かのように”(as if)考えるということが、創造的でおもしろいのではないかと思います。
それが、かのようにであることをよく踏まえた上で、奇想な物語を仮説として利用したり、読者を含めて批判的に議論していくことが大切ではないでしょうか。★4 
その意味でなら本書はとてもおすすめです。

 

★1 佐藤俊樹「書評 160:神と天使と人間と 大澤真幸『社会学史』(1)」UP、東京大学出版会、2019,06、「書評161:神と天使と人間と 大澤真幸『社会学史』(2)」2019,07。

★2 佐藤氏は、大澤理論が社会学一元論に陥っていると批判する。また、これは氏のかねてからの批判点だと思われる。cf.佐藤俊樹「社会の批評 サブカルチャー/社会学の非対称性と批評のゆくえ」東浩紀・北田暁大編『思想地図』Vol.5、日本放送出版協会、2010。

★3 ちなみに、ホネットは社会学というより社会哲学という言い方を好むかもしれないが。「社会批判がめざすのは[…]既存の実践モデルあるいは欲望の図式が実際(私たちにとって)適切なのかどうか、という疑念が徐々に大きくなっていくことがもたらす遠隔作用なのである。」cf.A.ホネット、出口剛司・宮本真也・日暮雅夫・片上平二郎・長澤麻子訳『理性の病理』法政大学出版局、2019年、284頁。

★4 このような観点は、盛山氏のロールズ解釈から学んだ。cf.盛山和夫『リベラリズムとは何か』勁草書房、2006年。

Text:Yoshio Okubo


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