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第2回 アカデメイア・カフェ<就活の「くだらなさ」を超えて>のまとめ

 

先日行われた第2回アカデメイア・カフェ<就活の「くだらなさ」を超えて>のまとめです。例によって浅野個人による主観的なまとめですので、補足や修正があればお願いします。

*今回はUstream中継動画の録画を公開しておりません。どうしてもその録画を見たいという方がもしもいらっしゃいましたらお問い合わせください。

就活の「くだらなさ」

前半は自己紹介から就活の「くだらなさ」へと自然に話が移行しました。振り返ってみれば、就活にうまく乗ってきましたという人が参加者の中にはいなかったように思います。まぁそれもこのようなテーマを掲げたのだから仕方ないかもしれません。

就活の「くだらなさ」とは、今就活を経験している人や少し前に経験した人に言わせると、大学3回生のある時から「就活ヨーイ、ドン」と号砲が切られて、スーツを買え、就活サイトに登録しろ、どのような仕事をしたいか考えろ、と一斉に急き立てられることです。そしてその流れに乗って企業にエントリーシートを送ったり面接を受けたりしても、よくわからない基準で落とされ続けると嫌になります。就活の「くだらなさ」とは画一的な競争を煽られることであり、しかもその競争の勝敗の基準がはっきりとしないことです。受験競争も画一的な競争ではありますが、まだ勝敗の基準ははっきりとしています。

この就活の「くだらなさ」を採用する側から見たらどうなるのでしょうか。今回の場では企業の採用に携わるなど様々な経験をされてきた方が採用活動の裏側を惜しげもなく披露してくださいました。それによると、不動産の物件と同じで、そもそも好条件の仕事は関係者のコネなどですぐに埋まってしまい、就活サイトに出されているものはその残りだということです。積極的に人を集めようとする企業は従業員が定着せずに辞めていくからいつも募集をかけているわけであり、就活サイトにお金を払って自社を美しく飾ってもらって人を集めているのです。虚飾が少ないという意味では、労働条件を明示することなどを法律で義務付けられている職業安定所(ハローワーク)のほうがよほどマシです。

このような状況ではあっても、就活サイトで募集をかければ履歴書の束が数センチにもなるほどに応募があるそうです。その内容を全て吟味することなど到底不可能で、採用担当者の目に留まりたければ履歴書を芸術作品にするくらいのことをしなければならない、と採用担当を経験した参加者は言っていました。しかも採用担当者にはバカな人もいるわけだから、なぜわざわざそのような枠に入ろうとするのか理解できないとも付け加えられました。採用の現状がこれなのですから、「こうすれば就活で採用される」などという一般的な解などないのです。

その代わりに、研究室の先生に推薦してもらう、製品の展示会などで役員と意気投合する、などして個人的なつながりをつくるとスムーズに事が運ぶとのことです。いきなりそのような形で関係を作るのが難しければ、どこでもいいからいったんアルバイトとしてでも関連企業に入り込み、技術を磨きながらお目当ての企業役員や採用担当と知り合う機会を探ればよいのです。これだけ就職が難しいと言われている時代であっても、特に中小企業の社長の中には後継者を探しても見つからずに困っていて、日夜出歩いている人も多いそうです。

あるいは人に雇われる道ではなく、自分で独立して仕事をするという道もあります。そして仕事がなければ創り出せばよいのです。最近の言葉では創職やノマド、3万円ビジネスと呼ばれている路線です。岡田斗司夫講演「私たちは生涯、働かないかもしれない」@同志社大学のまとめと感想も参考にしてください。昔からの言葉で広く含めるならフリーランスですね。

ここまで話が進んで私はふと疑問に思いました。就活に乗れず、かといって会社の偉い人と仲良くなるような要領のよさもなく、独立して仕事ができるほどの能力も創職するほどのガッツもない人はどうすればいいのかと。この議論の場では仮に「草食」や「まったり」と呼んでいた人たちです。

就活の「くだらなさ」を超えた先は創職なのかそれとも草食なのか。休憩をはさんで後半に入りました。

「くだらなさ」を超えて

前半では、大学の3回生くらいから一斉にスーツを着て専用のサイトに登録し、企業の選考を受けることを就活(就職活動の略で「シューカツ」とカタカナ表記されることもある)と呼んで、その「くだらなさ」を指摘してきました。そうすることによって今まさに就活で苦しんでいる人の心の救いになることが考えられます。しかしそこに留まっていては生産的ではないので、就活の「くだらなさ」を超えてさらに進もうというのが今回のアカデメイア・カフェの目標でした。

就活の「くだらなさ」を超えて進むのだといくら力を入れても、就活の存在を前提にしていてはなかなか話が進みません。こういうときは歴史の力を借りて就活を相対的に眺めてみましょう。

大雑把に言って、江戸時代以前の封建的な中世の社会では、原則的に職業は世襲でした。職業選択の自由がない反面、親の跡を継げば仕事はありました。そこでは大多数の人が農民で、職人や商人、武士が少数いました。明治以降の近代社会では工場や事務所などで働く賃金労働者が増加しました。この傾向は現在でも続いていると言えそうです。

そうした賃金労働者がどのようにして集められたのかと言えば、中学や高校を通して新卒者が企業に紹介されることが多かったと推測されます。私の世代(1980年代前半生まれ)でも、高校に来ている求人から選んで応募するという光景は思い浮かべることができます。大学でも、特に実験系の研究室では、学校推薦で就職するという形が残っています。

そのような状況から現在の就活へと移行するのにはインターネットが大きな役割を果たしました。それまでは高校や大学によって応募できる企業が限定されていたのですが、就活サイトを通すとたくさんの企業に応募できるようになりました。そうは言っても大学生が企業のことを詳しく知っていることは少ないでしょうから、有名さやイメージで応募する企業を決めるということになりがちです。毎年人気企業ランキングが発表されますが、そこに登場する顔ぶれは大体同じです。このようにして前半で指摘した雇用のミスマッチが起こったと考えられます。

就活に関係したもう一つの最近の変化はグローバル化にともなう雇用環境の変化です。その筋には有名な、日経連が1995年に出した「新時代の『日本的経営』」を参考にすると、企業が正社員として雇用するのはごく一握りの管理職だけにして(「長期蓄積能力活用型グループ」)、残りは非正規雇用にする(「高度専門能力活用型グループ」と「雇用柔軟型グループ」)という方針がはっきりと見て取れます。非正規雇用の人たちはずっと雇うわけではないのですから、日本人に限定せずその都度人件費の安い人を採用すればよいということです。この路線で考えると正社員の新卒一括採用を前提とした就活は前時代の遺物に過ぎません。

このような変化の末路を幾分誇張するなら、一方には正社員で待遇が保障されているけれども過労死するほど働かされる人がいて、もう一方には仕事がなかなか見つからず見つかっても待遇の悪い非正規雇用だという人がいることになります。過労死か失業か——というどちらを選んでも悲惨な状況です。

思い起こせば日本でバブルが崩壊した1990年代以降は、多少の浮き沈みはあってもずっと就職の難しい状態が続いてきました。バブルの頃は企業が応募者の交通費を負担するのは当たり前で海外旅行などの接待までして採用しようとしていたと聞くのに、現在では応募者が涙ぐましいまでの努力をしてもなかなか採用されない有様です。いくら学力低下だと言われていても、たったの10年や20年でそこまで若者の学力が落ちることはさすがにないでしょう。コミュニケーション能力にしても、最近の若者はソーシャルメディアなどで熱心にコミュニケーションを図っているのですから、昔と比べて大幅にコミュニケーション能力が落ちたとも思えません。そもそもこの「コミュニケーション能力」という言葉は何を指しているのか曖昧ですけれどね。

現状を嘆いてばかりいても始まらないので、そろそろ就活の「くだらなさ」を超えた先を考えましょう。一つには前半にも話が出ていた創職(ノマド)路線です。良くも悪くもグローバル化は進行しているのですから、日本で仕事がなければ海外で仕事を見つけるか創るかすればよいのです。これまで日本国内で培われた知識や技術を必要としているところはきっとあるでしょう。物価にしても日本と比べて大幅に安い国がたくさんあるので、日本国内でいくらか資金を貯めていけば十分に事業を始めることができるでしょう。

そうは言っても草食(まったり)路線の人たちは海外に出ることを選ばないでしょう。日本で生まれ育ったという事実は消せないのですから、その経緯を無視して海外に行けと強制するのは乱暴です。こうした人たちの最後の希望の綱は生活保護です。仕事がなければ生活保護を受給すればよいのです。生活保護と言うと抵抗があるなら、今時風にベーシックインカムと言ってもよいでしょう。

海外で創職するか日本で生活保護を受給するかというだけでは両極端なので、もう少し中間的なあり方を考えましょう。生活保護の前には失業給付などがあります。しかし日本の生活保護以外の福祉的制度はかなり貧弱ではあります。非正規雇用であれ働いているのなら、労働組合に入って待遇をよくすることも可能です。よくよく調べてみれば非正規雇用でも有給休暇は当然に発生しますし、期限の定めのない雇用なら簡単に解雇することはできません。そして何より2人以上が集まれば労働組合を作ることができ、労働組合が団体交渉を申し入れると使用者が断ることはできず、使用者が無茶な応対をするなら、労働組合は刑事上も民事上も免責される団体行動に打って出ることができます。ただし労働組合と一口に言っても内実は様々で、特に非正規雇用であれば企業内組合よりも地域のユニオンに相談したほうが親身に対応してもらえる可能性が高いと思われます。

もっと別の道を探るなら、自分たちで共同体を作ることも可能かもしれません。何も企業に雇用されて賃金を得るだけが生きる道ではないのですから。衣食住さえ確保すればどうにかなるかもしれません。日本の地方部では過疎化が深刻だと聞きます。住むところを見つけて、農作物を作りながら、必要に応じてお互いに助け合ったり物々交換をすれば立派な共同体になります。しかしそうした生活を捨てて都会に出てきた人たちが過去にたくさんいたわけで、ましてや今の時代にそうした生活が本当に可能なのかという疑問は残ります。そこまで厳密に考えずにできるところから始めれば案外できるものなのかもしれませんが。

このように就活の「くだらなさ」を超えて大きな展望を描こうとすると政治の領域に踏み込まないわけにはいきません。雇用環境や福祉などの社会制度を決めるのは政治ですし、地方と都市の問題にも政治が大きく関わっています。決められた枠の中でいかに立ち回るかを考えるだけでなく、その枠そのものを疑うことがあってもよいと思います。

教育という観点を導入しても面白いでしょう。現在ですと、高校や大学でフリーターはいかに損かということが教えられ、就活サイトや企業の合同説明会に参加することが勧められます。しかし今回の議論を踏まえるなら、創職(ノマド)の基本的な技術が教えられてもよいはずですし、生活保護の受給の仕方や労働組合の使い方が教えられてもよいはずです。共同性を育むということも重要な課題です。

ということで少し強引ですが、教育について考える場として、3月10日(土)の13:00〜15:30に山の学校で行われる次回の第3回アカデメイア・カフェ「今、教育を考える」をよろしくお願いいたします。Ustream中継は行いませんので、ご都合が許されましたらぜひ直接足をお運びください。

「多分野学生ワークショップ in 大阪」のお知らせ

こんにちは、百木です。
京都アカデメイアの活動に関心ありと連絡を頂いた生塩様から
京都アカデメイアの活動と同趣旨のイベントを開催するとの情報を
頂いたので、こちらに転送させていただきます。

添付資料もご覧のうえ、関心ある方はぜひご参加ください。
26日(日)のアカデメイアカフェもまだ参加者募集していますので、
関心ある方はご連絡ください。よろしくお願いします。

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大学や理系文系の枠を超えて学生が交流し、知見を広げ、
アウトリーチ活動などをすることを目的とした会を企画
致しました。気楽な会です。是非、ご参加ください!

「多分野学生ワークショップ in 大阪」
日時:3月3日(土)午後2時ー4時半
場所:大阪市西区民センター 第4会議室
参加費:300円(会場費などの充当)
定員:30名(先着順)
申込方法:下記WEBサイトより(締切:3月1日正午)
http://kokucheese.com/event/index/27341/

主催者:生塩研一

<開催趣旨>

多分野にわたる大学院生や学部学生が集まって、大学の枠や文系理系の枠を超えた交流を通して「知の友」を作り、知見を広げ、自身を客観的に捉え直したり、他分野のアイデアを自身の研究に活かしたり、多分野の仲間でアウトリーチ活動をしたりすることを目的として交流するワークショップを行います。

私は、理学・工学・医学と多分野に渡って研究・教育の現場を経験しました。その中で、学部や専門分野にかかわらず、学部教育では受動的な講義に出て卒論で専門的な研究を少しする程度、大学院では狭い専門に安寧として他分野の研究はあまり気にしないといった状況が改善されないのを残念に感じてきました。そもそも、米国では大学で、欧州では中等教育で教養教育をしっかりと受けるのに対して、日本では高校から文系理系に分けられるため、自ら求めない限りバランスが欠けがちです。変化の激しい時代を生きるには、幅広い教養を身に付け、自ら考えて動き、多様な人脈をもって仕事に取り組むべきだと考えます。

そこで、 大学院生らが大学や文系理系といった枠を超えた「知の友」を作る交流の場を企画してみようと思い立ちました。「知の友」で人的ネットワークを構築し、知見を広めたりアウトリーチ活動などを経験したりすることは、自身の研究を相対化できるだけでなく、思わぬヒントを得ることも少なくないでしょう。多様な人脈は研究や仕事のいろいろな面で活きてくるはずです。

 ★ ともに学び高め合う異分野の仲間が欲しい
 ★ 将来が何となく不安だ
 ★ いろいろなアイデアを吸収したい
 ★ 就職や就活、将来の転職に備えて人脈作っておきたい
 ★ 専門バカになりたくない
 ★ 自分とは異なる研究分野に興味がある
 ★ 他分野のアイデアを自分の専門に活かしたい
 ★ 自分の専門を俯瞰的に捉え直し相対化したい
 ★ 境界領域の研究に興味がある
 ★ 文系理系を分けることに違和感を感じる

そんな大学院生・学部学生の皆さん、似た意識をもつ者同士の交流の場に参加してみませんか?

会では、各自の研究内容を紹介して、具体的なアウトリーチ活動(セミナー、電子書籍、メルマガ、アプリ開発など)を考えましょう。他にも、各分野の名著を読んだりする読書会や、周辺領域の学会や展覧会など最新情報の交換も検討しています。本会は以後も継続的に企画しく予定です。

当日の流れ(予定)
 1. 趣旨説明
 2. 参加者自己紹介
 3. 研究紹介(数名)
 4. フリートーク
 5. アウトリーチ活動へのブレインストーミング

※ できれば、自己紹介用にレジュメ(A4版1枚)やパワーポイント等のファイル
  をお持ちください。
※ できれば、最近の面白いネタをご用意ください。(専門分野に限りません)
※ 研究紹介では10-20分程度でご自身の研究内容の紹介をしていただけます。
  希望される方は申込のコメント欄にその旨をお書きください。

近畿大学医学部
生塩研一

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以上です。
このように京都アカデメイアと同趣旨の活動をしておられる方と知り合えると元気がでます。同じ志をもつ人達どうしで情報を共有しあって、学問の垣根をこえた活動の波を広げていけると良いなと思います。

アカデメイア・カフェ「最近の大学ってどーなん!?」のまとめ

浅野です。

第1回アカデメイア・カフェ「最近の大学ってどーなん!?」のまとめです。これはあくまでも浅野個人が記憶に基づき当日の話には出なかったことなども盛り込みながら再構成したものです。補足やご批判があればぜひコメントを書き残していってください。途中からになりますが、当日の模様の録画も残してあります。

アカデメイア・カフェ第1回「最近の大学ってどーなん!?」(USTREAM中継動画の録画)

1.学生運動、自治について
今回の最大のテーマは「大学の自治」だったように思います。事前にテーマを細かく設定せず、その場の流れに任せた結果そうなりました。

その背景にはキャンパス内での喫煙・飲酒の禁止や夜間の出入り禁止など、大学によるキャンパス規制が厳しくなってきている状況があります。このあたりのことは府大キャンパスフォーラムで詳しく話されることでしょう。

「大学の自治」と言えば学生運動と切り離せません。この場には学生運動に否定的な人もいれば肯定的な人もいて、主張には共感するけれども手段が有効的でないと感じている人もいました。ここではその議論の詳細には立ち入りませんが、こういう議論ができるということ自体が大切だと思います。

大学のもう一方の当事者は教職員です。最近では各地の大学でFD(Faculty Development)と呼ばれる教育開発の取り組みがなされています。こうした流れが加速すると、大学ごとに独自の教育観を打ち出すまでに至るかもしれません。教職員にせよ学生にせよ、大学教育への意気込みは人によって大きく異なるのが実情ではありますが。

他方でユニオンエクスタシーなどが取り組んでいるように、大学の非正規職員は現行の法律や判例を根拠にして3年や5年で雇い止めされるという問題があります。かなりの部分の仕事を非正規職員に頼っているにもかかわらずです。このような状況ですと職員が主体的に大学を運営するのは難しいですし、そもそも職員の雇用を法的な形式論でしか扱えないということ自体が大学の自治の低下を示しています。

大学の自治といえば大学寮もはずせません。少なくとも京大の寮にはまだ自治がかなり残っているように思われますが、寮の自治をやめて大学が管理しようとする動きもありますし、寮生の間でも面倒な自治には関わりたくないという人もいます。学生一般にしても大学に強い帰属意識を持っている人もいれば帰属意識をまったく持っていないような人もいます。学生は大学の構成員なのでしょうか、それとも消費者なのでしょうか。次に学費を軸にしてそのことを考えてみます。

2.学費は高い? それとも安い?
現在の国公立大学の授業料は原則的に年間535,800円です。これを高いと見るか安いと見るかは究極的にその人の価値観によるでしょうが、いくつか考慮すべき材料があります。

まず、実際の教育・研究活動で必要な費用を考えに入れなければなりません。大雑把に文系的なところでは図書館の本と論文やレジュメの印刷が費用のほとんどを占めます。教員が学生に関わる度合いは様々なので、その人件費をどう計上すればよいかはわかりません。それでも一人当たり年額535,800円は高いように感じます。ましてや大学にはそれなりの税金も投入されているのですから。しかし工学系や医学系となると話は大きく変わります。数億円もするような機械を使うことも日常茶飯事です。そう考えると535,800円は安く見えます。

今度は得られる見返りから検討します。4年で卒業するとしたら合計二百数十万円かかります。大学を卒業することにより生涯年収がそれ以上に上がればお得な投資であり、そうでなければ損な投資になります。これも分野によって様相は大きく異なります。極端な例としては、文系の学部から大学院に進学すると、交通事故などの際に算定される生涯年収がむしろ低くなるという話を聞いたことがあります。これが本当だとすれば学費を払って大学院に進学すると金銭的にプラスがないどころか投資した額以上の損失があることになります。

それでも大まかに言えば大学に行けば(少なくともこれまでのところは)生涯年収が上がってお得だから、多くの人が大学に行くようになった(日本の多くの場合でより正確に言えば親が子どもを大学に通わすようになった)のでしょう。それでは生涯年収の上昇をもたらす大学とは何なのかを次に考えます。

3.大学が就職にもたらす価値
現在では大学卒業を見込んで就職活動をすることが一般的になっていることもあり、大学を論じるにあたって就職を避けることはできません。卒業見込みの一年半ほど前から就職活動が始まるので、四年制の大学でも約半分、短大や大学院の修士課程では約4分の3の期間を就職活動をして過ごすことになります。せっかく年間50万円以上も払って大学に通っているのに、これはどういうことでしょうか。

答えは簡単です。一つの割り切った考え方では、就職の際に評価されるのは大学に入ることができたことから想定される基礎学力のようなものです。大学で何を身に着けたかということではありません。ユニクロが大学一年生から採用活動をする方針にしたのも、この考えを裏付ける一つの証拠になり得ます。だからこそドライに戦略を考えて就職活動する人が内定を得て、まじめに大学で勉強しようとする人が苦労するのかもしれません。このあたりのことはもはや人ごとじゃない!就活をめぐるタブーなき大”論”闘でも話されました。

もちろんこれは一つの割り切り方であり、分野によっても異なります。医学系や工学系なら数億円の機械を用いて練習してきたという能力そのものを買われることも多いでしょう。だからこそ研究室での活動を妨げないように自由市場での就職活動ではなく教授推薦での就職があったりするのだと思います。法学系なら法律の知識や複雑な論理を考える力を生かして資格を取るという道もあります。

この分析が正しいとすれば、そして大学新卒の就職活動を通じた就職が難しくなってきているのだとしたら、中途半端に大学に行くよりも手に職をつけられるような専門学校に行くほうが賢い選択になります。実際、ここ数年は専門学校人気が高まりつつあるとの報道を目にします。本田由紀さんがドイツを参考にしながら提唱しているあり方ですね。

経済合理的に考えれば考えるほど実学系以外の大学には魅力がないことになります。特に悲惨なのが文系大学院の博士課程で、水月昭道さんの著書のタイトルから「高学歴ワーキングプア」という言葉が普及するほどになりました。京都アカデメイアは最初は文系大学院生が中心となって始まりましたし、他にも近いところでは佛大・社会学研究ゼミがあります。研究職という視点から大学を捉えることもできますが、今回はその話は脇に置いて、もう少し広く社会という視点から大学について考えます。

4.社会の中の大学
大学は社会の中に存在しており、大学と緊密な関係を保っている社会組織が教会→国民国家→私企業(資本主義)と移り変わってきたということを吉見俊哉さんの『大学とは何か』で学びました(吉見俊哉『大学とは何か』(岩波書店、2011)を読んだを参照)。先に見たような就職に関する大学の位置づけは国民国家から私企業へと移行する際の過渡期的な現象であると考えると、今後は実学系以外の大学は衰退すると予測されます。実際、大阪の知事から市長になった橋下徹さんは「私は大学は私立がやるものと思っている」と言い、その線での政策を推し進めるつもりのようです。こうなると実学系を中心とした経営体としての大学が中心になりそうです。

この路線にはいくつかの疑問があります。第一に、教育は企業モデルになじまないということが挙げられます。企業モデルでは合理的に計算して利益が最大になるように投資します。しかし教育では計算通りにいかないことがたくさんあり、そちらのほうが本質だとも言えます。また、仮に教育の効果をある程度計算できるにしても、その期間は長くて短期的な投資にはなじみません。内田樹さんが言っていることですね。研究についても同じことが言え、遊びから生まれる発見などもあり成果を完全に計算することはできず、仮に計算できたとしてもその期間は非常に長くなることもあります。

第二に企業モデルだとお金が払えないと大学に行くことができません。それは大学に行きたいけれども行けない人にとって不幸であるだけでなく、社会の損失にもなります。優秀で熱意もあるがお金がない人が大学に行けないのは合理的ではありません。優秀で熱意がある人には奨学金を出せばよいではないかと言われるかもしれませんが、優秀さを測定するのは困難であり、先ほど述べたように思いがけない成果が生まれるのが教育・研究です。

第三に、企業モデルで行われる研究に内在的な疑問や批判が生じるのかという問題があります。これはおそらく実際に起こっていたことなのですが、例えば原子力発電所を作るための研究をしていてこのままでは危険だと思っても、批判をしたりコストのかかる安全装置の設置を提案したりするのが経済的な関係から難しくなってしまうということです。

ここまで三点に渡って個人的な意見を硬い言葉で表現しましたが、要は、何をやりたいかなど高校生までではわからないし、大学に入ってからいろいろな人に会う中で価値観が変わることもあるし、大学では自由に物が言えたほうがいいし、大学って楽しいところだから来たい人が来られるようになったほうがいいというだけのことです。

このように考えると、大学には少なくとも企業の論理だけではない何かが存在するはずです。教養教育が必要だというのもその一つです。XmajorCollege Caféでやられているように専門分野を越えて出会った人同士が議論するのもそうです。こうした企業の論理だけではない別の何かを名指すとするなら「市民」でしょうか。それなら大学という枠にこだわることもないわけで、scienthroughや各地で行われているサイエンスカフェ、哲学カフェのように大学の外で活動することもできます。京都アカデメイアでも地域の寺子屋とも言うべき山の学校と共同イベントをしたことがあります。そして今回のアカデメイア・カフェの場そのものもそうです。

アカデメイア・カフェをまとめようと思って書き始めたのに自分の意見を前面に出してしまう結果になりました。修正や補足をぜひともお願いいたします。

アカデメイア・カフェ

こんにちは、京アカです。

京アカではこれまで、月一回の定例イベントとして「模擬授業」をやってきましたが、今月より新たに、「アカデメイア・カフェ」企画を始めます。
月にひとつテーマを決めて、皆でわいわいディスカッションをしようという企画です。
第一回のテーマと日時は以下の通りです。

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テーマ:「最近の大学ってどーなん!?」

USTREAM:kyoacaで生中継をします(予定)
日時:1月22日(日)14:00-17:00
場所:京都大学 附属図書館 共同研究室 (googleマップ) 
定員:20名程度
※附属図書館前に13時50分に集合ください。
※参加費無料(身分、所属を問わずどなたさまでもご参加いただけます)

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趣旨など詳細につきましては、以下のページをご覧ください。
http://www.kyoto-academeia.sakura.ne.jp/seminar.html
興味をもたれたら、どなたでもお気軽にお越しください。

カフェと言いつつ、場所は図書館ですが(笑)

真山仁講演会報告(2)

 

(承前)
以下は、僕(百木)の個人的な感想ですので、そのつもりでお読みください。

まず、具体的な代替エネルギーが見つからない限りは安易に脱原発を唱えるべきではない、という真山さんの主張について、確かにそれは一理ある考え方だけれども、その主張が必ずしも正しいとは限らないだろう、と感じました。多くの地震研究者によって、現在の日本が地震活発期に入ったことが指摘されておりこの30年のうちに東海大地震が87%の確率で、東京直下型地震が70%の確率で起こると予測されている状況のなかで「代替エネルギーが見つかるまでは原発存続せざるをえない」という消極的な選択は果たして合理的なのでしょうか。代替エネルギーが見つかる前にもう一度、東日本大震災なみの大地震が起き、福島のような原発事故が起こる可能性は決して低くないように思われます。そのようなリスクを考慮すれば、真山さんが仰るような消極的原発存続という選択が決して唯一の解答ではないし、すべての原発を一日も早く止めよという要請も、「原発が怖い」という非合理的な不安に基づくというよりは、現実的なリスク算定に基づくものだと考えることができるのではないか。

また、真山さんは「もし代替エネルギーが見つからないままに原発を止めるとしたら、我々は毎日階段を何十段も登るような生活をしなければならない、それでいいのか」という言い方をされていましたが、すべての原発を止めることになった際に、本当に真山さんが想定するような過酷な生活が待っているのかという点についても疑問を感じました。確かに代替エネルギーが見つからないまま今すぐ原発をすべて止めれば、今までのように使いたいときに使いたいだけ電気を使う、という生活は諦めなければならないのかもしれません。しかしそのことが直ちに、悲惨な貧しい生活状況をもたらすという強迫観念的な予測には「本当にそうなのかなぁ」と思ってしまいます。

今年の夏はたしかに例年よりは涼しい日が多かったものの、結局、事前に電力会社に脅されていたように強制的な大規模停電が起こるということはありませんでした。もちろん多くの場面での節電努力あってこその結果なのでしょうが、とはいえ日本人は(多少の不便さはあったものの)先進国レベルで見ても相当に豊かな経済レベルの生活を維持できたというのが実際のところではないのか。むしろ原発推進を今後も続けていきたい電力会社によって、事前の電力不足予想が高めに見積もられていたのではないか、という疑念も払拭しきれません。実際に先日、東電は来年夏の電力供給を原発ゼロで賄いきれるという試算を出していますし、それなら一体あの計画停電騒ぎは何だったのか、と感じてしまいます。

10月の原発稼働率が20%を切ったというニュースもありましたが、過ごしやすい季節とはいえ、原発がその程度の稼働率でもほとんど以前と変わらないレベルの経済生活ができてしまっているという現実をどう考えるのか。原発なしでも、日本の電力需給はきちんと賄っていけるという専門家の意見もいろんな所で耳にします。その他に、原発は他の電力供給よりもコストが安いから経済効率的には原発存続しかありえない、という意見についても、それは地元への莫大な補助金や放射性廃棄物の処理にかかる費用を入れていない金額だし、万が一事故が起きた際のコスト計算も含められていない。最大で10万年かかると言われている放射性廃棄物の処理方法についてもいまだに解決策や廃棄場所が見つかっていないし、もんじゅなどの再処理施設についてはまともな稼働の見込みが立たないまま無駄な研究開発費を垂れ流している。などなど、最近次々と問題点が指摘され、議論が活発化している原発存続のリスクを鑑みれば、「代替エネルギーが見つかるまでは原発存続」という選択を行うほうが日本の政治経済、国民の安全保障にとって損害を招きうる、ゆえに一日でも早く脱原発を進めよ、という主張にも十分に理はあるのではないか。

ただし、以上のような脱原発派からの反論・主張が絶対に正しい、と言い切る自信も素人の僕にはありません。どちらかといえば、個人的には上記のような脱原発派の主張のほうに理があるように感じますが、当然その主張に対する再反論もあるでしょうし、原発存続の主張にも一理あることを認めるにはやぶさかではありません。それにそもそも、真山さん自身がいわゆる「原発推進派」なのではなく、地熱発電の利用可能性を含めた「長期的には脱原発依存、短中期的には原発依存やむなし」という考え(現在の野田首相の方針と同じですが)であることも理解しています。そのような状況をふまえた上で、今後はさらに原発存続派と脱原発派のあいだをつなぐ議論を深めていく必要があるし、真山さんにももっとそのような疑問をぶつけてみたかったなぁ、ということを感じました。本当は質疑応答の時間内にそのような議論を深められればよかったのですが、その場ではうまく考えをまとめることができず、筋道を立てて反論をするまでには至りませんでした。

また講演が終わってからお聞きしたお話ですが、京大ではいたる所で脱原発に関するイベントや展示会が行われていたのに対し、真山さんが関わっておられる東大の勉強会では、圧倒的に原発推進派の意見が強いそうです。東大と京大ではそれほど原発にたいする雰囲気が異なるのだなぁということにもびっくりしましたし、機会があればいちど東大の学生さんたちと原発についての討論会などを企画してみるのも面白いかもしれないなぁと思いました。原発にせよ震災復興にせよ日本の政治状況にせよ、絶対的にこれが正しい、という満場一致の答えを導き出すのが難しい問題については、とにかく前提となる情報や知識を共有し、それをベースとして議論を戦わせていくしか方法がないし、そのような学びと議論の場を今後も京都アカデメイアが作っていきたいな、というのが今後に向けた抱負です。学生や一般人の側から、そのような機会を作っていくことこそが、真山さんのいう「新しい政治への道筋」ではないかと個人的には考えていますし、そのような機会を経てさらに政治についての関心を深めていくことができれば少しずつ社会を良い方向へ変えていくことも可能ではないか、という楽観的展望をもっています。

素人ながら、いろいろと勝手な疑問や反論も述べさせていただきましたが、いずれにせよ、このような思考のきっかけを与えてくださった真山さんの講演に改めて感謝をしたいですし、今後もこのような思考や議論を次に繋げていくことが我々の課題だと考えています。長々と書きましたが、このブログを読んでくださった方にも、これらの問題についてさらに思考を深めるきっかけとさせて頂ければ幸いですし、もし思うところがあればコメント欄で意見・反論などいただければありがたいです

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生け花男子の積田くん。素敵ですな。

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積田くんが生けた花。オレンジの薔薇がきれい。講演中もいい味出してました。

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当日は暖かいくらいの良い天気で、紅葉もきれいでした。

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真山仁講演会報告(1) 

 

百木です。
先週の土曜日に開催したNF特別企画・真山仁講演会にはたくさんの方にご来場いただき、ありがとうございました。立ち見がでるほどの盛況で、窮屈な思いをさせてしまった方々には申し訳なかったのですが、今後の反省材料にしたいと思います。お忙しい中、京都までお越しいただき、素晴らしい講演をしていただいた真山さんにも改めてお礼を申し上げます。

当日の講演内容を簡単にまとめて報告させていただきます。ただ、僕自身の記憶も頼りないものですので、もし不十分な点がありましたらコメントなどで指摘していただけるとありがたいです。一部、僕(百木)の個人的な感想やコメントなども付け加えさせていただきますが、この点についてもなにかお気づきの点や反論などありましたら、遠慮なくコメント下さい。

講演の前半は「なぜ・いかにして私は小説家になったのか」というお話でした。小説家の方から直に小説家になった動機やその経緯などを詳しくお聞きできる機会はなかなかないので、とても面白く聞かせていただきました。真山さんは子どもの頃から何かにつけ、周囲の大人や友人の考えや行動に疑問をもち、その疑問を周囲にぶつけていくような天邪鬼な性格だったそうです。世間や学校で決められたルールとしてみんなが従っていることにも疑問や反発を覚えることが多く、そのような性格が小説家を志すことの大きな動機になったとのこと。

興味深かったのは、真山さんが「小説家になりたいから小説家を志した」のではなく、「世間や周囲の人びとにたいして自分の考えや疑問を伝えたい」という思いがまず先にあり、そのための手段として小説家という職業を選んだ、というお話でした。最近の新卒が「3年以内に3割がやめる」ことが社会問題として話題になったことがありましたが、そのような状況にたいしても、自分が就職したい会社や就きたい職種から志望動機を考えるのではなく、自分が何をしたいのか・将来どのような到達点に達したいのか、という目標から逆算して、希望する会社や職種を考えていくほうが良いのでは、というアドバイスがありました。ちょうど就職活動解禁が数日前のニュースになっていましたが、就職活動を控えた学生や今後のキャリアを考える若者にとっては将来を考えるヒントになるアドバイスだったのではないでしょうか。

また、真山さんは小説家を志すにあたって、いろいろな小説家の経歴を調べてみた結果、多くの小説家がまず新聞記者のキャリアを経てから小説家に転身していることに気づき、自分自身もまず新聞記者を10年続けてから小説家を目指そう、と決意されたそうです。このあたりも自分が抱いていた小説家志望者のイメージとは違い、ユニークかつ実践的な考え方だなぁと感心しました。そして就職活動の結果、実際に中部読売新聞社に入社し、警察取材などを中心に精力的にお仕事をされていたそうです。真山さんは新聞記者としても非常に優秀だったそうですが、いろいろと考えるところがあり、当初10年続けるつもりだった新聞記者を2年7ヶ月で退職し、その後はフリーライターとして仕事をしつつ、小説を書き続けておられたとのこと。このあたりの詳しい経緯はこちらのインタビューでも答えられているので、関心ある方はご覧になってみてください。その後『ハゲタカ』シリーズでの大ヒットを皮切りに、原発問題を扱った『ベイジン』や地熱発電を扱った『マグマ』、初の政治小説にチャレンジされた『コラプティオ』など、現代日本の政治経済問題に鋭く斬り込む作品を発表され続けています。

講演の後半は、3月11日の東日本大震災および福島の原発事故に関するお話が中心でした。真山さんは震災後、twitterやブログなどを通じて、菅内閣の政治対応を厳しく批判するとともに、安易な脱原発運動と原発推進の主張の双方にたいして問題提起を行なっておられます。この点についての真山さんの主張をまとめれば以下のようになります。震災後の菅元総理は自身の政権延命のためだけに場当たり的な政策対応を繰り返し、日本の政治にたいする信頼を決定的に失わせてしまった。さらに現在の脱原発運動は、具体的な代替エネルギー案を考えることなしに、ただ「原発が怖い」という理由だけで感情的に脱原発を唱えるだけで有効性を持ちえない。また、太陽光発電や風力発電は天候や時間帯によって発電量が左右されるがゆえに到底ベースエネルギーにはなりえない。真山さんが考える唯一有効な代替エネルギーは地熱発電だが、その有効性は社会的にまだ十分に理解されているとはいえず、道のりは遠い。そうであるとすれば、現状では(明確な代替エネルギーが見つかるまでは)原発の存続を認めざるをえないのではないか。

真山さんは3年前にリーマン・ショックが起こったときに、これで「経済が社会の主導権を握る時代」は終わりを迎え、「政治が社会の主導権を握る時代」がやってくると直感的に感じられたそうです。経済の論理ではなく、政治の論理が社会の進むべき方向性を決定し、議論の中心となる時代がこれからはやってくる(或いはもう訪れている)。しかし現在の民主党政権はその「政治の時代」に対応できているとは到底言えない。多くの国民が政治にたいしての信頼や興味を失っている。本来は政治家が、日本が長期的に目指すべきヴィジョンを掲げ、その目標に向けた現実的な政策運営を行なっていかなければいけないのだが、誰もそのようなことができず、つまらない政局闘争にばかり時間を奪われている。このような状況をいかにして打開できるか。明快な答えはないけれども、まずは我々ひとりひとりが政治的な関心を高め、誤った政治判断を行わないよう意識を高めていくしかない。自分の小説がそのような思考のきっかけになればこれほど嬉しいことはない。

以上がおおまかな講演内容のまとめです。不十分な点が多々あるかと思いますが、僕個人ではこれが限界なので許してください。コメントなどで補足いただければ幸いです。個人的な感想としては、後半部の原発問題や日本の政治状況についてのお話にはいろいろ考えさせられるところが多く、大いに共感させられる点と、いくつか疑問に感じられる点がありました。その点について、人文系の院生である僕が素人ながらに感じた疑問点について書いてみます。(つづく)

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満員御礼@NF真山仁講演企画

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すてきなみなさまこんにちは。(む)です。

先だってより告知させていただいておりました11月祭・真山仁講演企画は、盛況のうちに終了しました。サイン会も大盛況でした。
席が足りず、立ち見も出てしまい、窮屈な思いをさせてしまった皆様には、お詫び申し上げます。
もう少し広い教室でもよかったですね……われわれが真山さん人気を見くびっておったようでした!(すみません。)

(京都と京大の混雑の中を)ご来場くださった皆様、ありがとうございます。
そして、お忙しい中ご講演くださった真山さんに改めて感謝申し上げます。

講演の概要につきましては、またおいおい、このブログかサイトにて、お伝えできると思いますので、もうしばらくお待ちください☆

京大NF!真山仁講演企画を再告知

 

こんにちは。ついにNFが始まりましたね。いろいろな企画が催され、盛り上がっているようです。
わが京アカの講演企画も、もう一度告知させていただきますね。26日、お時間のある方はぜひお越しください。
詳しくは特設ページもご覧ください。
↓↓

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京都アカデメイア講演企画(第53回京都大学11月祭)
「だから私は小説家になった― 真山仁が語る、震災後の日本」
web特設ページhttp://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/nf_mayama.html

講師:真山仁(小説家)
日時:11月26日(土)14時~16時
場所:京都大学 吉田南総合館 共南21教室
主催:京都アカデメイア
※入場無料、事前予約不要、著書持参の方にはサイン会もあります。

真山仁講演企画@京大11月祭11/26

毎年NFが近づくと、京都は赤や黄色に色づきじわじわ寒うなりますな。
というわけで、NFまでまもなくとなったので、改めて講演企画の告知をばさせていただきます。↓↓

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京都アカデメイア講演企画(第53回京都大学11月祭)
「だから私は小説家になった― 真山仁が語る、震災後の日本」
web特設ページhttp://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/nf_mayama.html

講師:真山仁(小説家)
日時:11月26日(土)14時~16時
場所:京都大学 吉田南総合館 共南21教室
主催:京都アカデメイア
※入場無料、事前予約不要、著書持参の方にはサイン会もあります。

東一条(正門横)と百万遍(旧石垣カフェあたり)にタテカンも立てております。よろしくね!

書店に宣伝用POPを置いてもらいました!

今日は(も)さんと京都の書店巡りをしました。京都の大きな書店に講演会企画の宣伝用POPをお願いして来ました。

当初はいきなりお願いしに行っても断られるものなんだろうなーと思っていましたが、そんなことはない、すべての書店で快く受け取っていただきました。書店員の皆様、どうもありがとうございました!

やっぱり、真山氏が人気があるのでしょうね。『コラプティオ』も発売から三か月以上たちましたが、まだまだ平積みで置いてありました。その状況も相まって、快くPOPを受け取ってもらえたのだと思います。

最初に行ったジュンク堂書店京都BAL店さんで早速貼ってくださったのを激写!↓
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申し分ないインパクトです。(む)さんのデザイン。

ブックファースト京都店さんはチラシも二枚置いてくださるそうで、快く引き受けてくださいました。ありがとうございます!確認できたら写真でお知らせしますね。

(も)さんにはこのあと大阪の書店巡りをお願いしてあります。宜しくお願いします。

皆さまもぜひ書店でご確認ください。

※京都アカデメイア講演企画(第53回京都大学11月祭)
「だから私は小説家になった― 真山仁が語る、震災後の日本」
web特設ページhttp://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/nf_mayama.html

講師:真山仁(小説家)
日時:11月26日(土)14時~16時
場所:京都大学 吉田南総合館 共南21教室
主催:京都アカデメイア
※入場無料、事前予約不要、著書持参の方にはサイン会もあります。