社会学者の宮台真司さんと第一線で活躍する4人のクリエイターとの対談集です。それぞれ領域も話題も異なりますが、共通するテーマは「幸福」です。
いま、「幸福」とは?
幸福と聞くと非常に個人的な感情の問題を連想する方も多いと思います。たとえば、欲しいモノが手に入ったり、美味しいものが食べられて、幸せと感じたり。逆に、仕事や人間関係がうまくいかずに苦しんで不幸だと感じたり。
これは、個人の欲求、快楽の充足が幸福の尺度だという、近代以降に主流になった考え方でもあるわけですが、さてこの本での「幸福」とはどんなものでしょうか。
幸福は<安心・安全・便利・快適>とは異なる。幸福は、存在のかけがえなさという尊厳を含む。
宮台さんによれば日本語の「幸福」や英語の”well‐being”にはー少し意外かもしれませんがー”超越的な響き”があるといいます。
ここでは幸福は、「快適さ」や「便利さ」といった功利(ユーティリティー)や便益とは区別して、むしろ、「正しい生活」や「善きこと」といった世界像の方に結びつきます。つまり、経験的な快適さや便利さの充足ということだけでは、わたしたちは幸せにはなれない、というわけです。
こうした感覚が社会的に説得力を持つようになったきっかけは、やはり、あの東日本大震災ではないでしょうか。災難を経験したからこそ、却って「幸福」という問いかけが、切実なものとして立ち現れてくる。そして、この本も、震災を受けて企画が起こされたそうです。
「ここではないどこかの希求」が幸福の条件
宮台 僕を含めた年長世代が若い頃、「現実生活を送るこの世界とは別の世界がどこかにある」「目の前にある世界はかりそめの場所」という感覚がありました。[…]<ここ>から<ここではないどこか>に通じる道は、音楽だったり、セックスだったり、ドラッグだったり。それらを通じて、かりそめの世界の外に拡がる本当の世界に近づきたいと思う人が多かったんですね。
数年前に古市憲寿さんの『絶望の国の幸福な若者たち』という本が話題になりました。
たとえば年金制度一つとっても、客観的にみれば、日本社会の将来は暗澹たる状況です。経済の先行きも不透明だし、雇用は不安定、格差も是正されないかもしれないし、パートナーを見つけて子供を持つことも難しくなっている… だから、いまの若者はさぞ不幸なのだろう、と誰もが思う。
ところが、この本ではいくつかの統計データをもとに、そうではないと主張しました。むしろ、いまの若者たちは、友人などとの身近な関係性の中で自足的(コンサマトリー)な満足を得ていて、”主観的には”、そこそこに幸福なのだと。
しかし、”そこそこの幸福”とは、古市さんも指摘するように、裏を返せば、”そこそこ不幸”ということと同じです。”そこそこ不幸”である大きな理由は、時間的にも空間的にも、いまここ、「この社会」を相対化するような理想的なビジョンを想像できないからでしょう。
社会のなかで積極的なビジョンが措定できないので、たとえ、どんなに立派そうなことをやったとしても、なんとなく不自由や閉塞感を感じてしまう… では、そのような暗い時代のなかで、それでもあえて理想的なビジョンを描くとすれば、どうすればいいのでしょうか。その答えを見つけようとすることが、本書の意図だと感じます。
宮台 我々は幸福ではない。幸福になれる見込みもない。[…]それが3・11で明らかになった。我々は平凡な日々だからこそ平穏な心を保てない。「幸福とは何か」との問いを笑い飛ばせる者はいない。
だから、「幸福とは何か」を人に尋ねてみたくなった。特に、若いクリエーターたちや表現者たちが、感情をどのように働かせているのかを、知りたくなった。
「自己開示」から「世界開示」へ
4人のインタビューに通底するのは、幸福を主観的な視座からみるのと同時に、ある客観的な視座からも捉えているという意識です。それはつまり、幸福を、「私にとって」という形でもってとらえると同時に、幸福を、端的な「世界にとって」どういう意味があるのかという観点から考えようとしている、ということです。
その点でとくに、テレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本を手がけた虚淵さんのインタビューは圧巻です。
虚淵玄 やっぱりまどか的な生き方のほうが断然幸せだとは思いますよね。”捨てる勇気”ってけっこう重要かなと思うんです。世の中を見ていて「これって詐欺じゃないの」と思うのが、幸福をモノとして扱っていることなんですよ。幸福が手元においておける宝物、持ち物のような概念として広まっていますよね。「幸福=持ち物」という価値観を流布させておけばそれでお金儲けができる人がいるっていう、大変汚いからくりがあって。
自分が思っている幸福の概念で、一番近いと思えるのは「景色」なんですよ。景色って所有できないじゃないですか。行って、そこで眺めること、その空間の中に身を浸すことしかできない。それが、幸福というものの受け止め方としては一番正解に近いんじゃないかと思うんですね。
絆というものをアイテム化してしまって、絆をコレクトしようとしたら、それもまた重荷になっていくんですよ。[…]そうではなくて、譲れるものを譲り合うっていう”トレードとしての絆”っていうのは、お互いに利己的でありつつも強固なものになっていきますよね。
友人が自殺したとしたら、それに対して怒ってもいいと思うんですよ。[…]ただ、だからといって「自殺は愚かだ」と言ってしまうと、友人が背負っていたものを見透かしたことになっちゃうと思うんです。
宮台 人生は本を読むのと同じようなもので、自殺を思い留まって生き続けるのは『ページをめくるのを止められなかっただけなんです。それだけ良い人生だったということです。次のページが気になるぐらい』と。[…]自分について悩むというより、自分を含んだ世界に興味をなくす、という発想だからです。ここでもやはり、”自意識の枠”とは違う”世界の枠”に、注意を向けておられると感じます。
『まどか☆マギカ』は、主人公のまどかが、友人や家族や他の魔法少女たちを救うために、最後には、世界の変革と引き換えに世界の中から消えてしまうという話でしたね。
それは、伝統的な魔法少女モノのお約束、「魔法少女である主人公が世界から愛される」物語という原則をちょうど裏返しにして、「魔法少女である主人公が世界を愛する」物語にしてしまった、ということだといいます。「その結果、自意識の摂理の話が、世界の摂理の話へと、突き抜けてしまった。それが大衝撃だったわけです。(宮台)」
写真家の青山さん、女優の佐々木さんのインタビューも紹介します。
青山裕企 幕張の浜辺のあの瞬間にすべてが見えたような感覚でしたね。けっこう僕の生き方って「瞬間的にすべてが見通せた気がする」という根拠なき確信の連続なんです。[…]結婚してからもずっと共働きで、家計を半々にしてお互いの稼ぎから同額を出す、でもどっちかが倒れそうになったら助ける、という形にしてきました。だから、結婚当初は妻に多く出してもらっていたことも多かったんですけど、それでも「絶対に大丈夫」みたいなことを言ってくれてて。根拠はないんですよ。でも、根拠がない自信ってすごいんですよね。
「彼女と過ごしていると[…]カラフルな感覚があふれてくる」という言葉も素敵です。
佐々木心音 幸福って、本当に人によって違うというか…何が幸せとか、規模とか。「幸」っていう字は「辛」に似てるじゃないですか。私、「辛い」に「一」を足したら幸せなんだなって気づいたときに、ちっちゃなことでも幸せだと感じられるようになりましたね。駅に行ったら電車がすぐに来たとか。
日常のなかのふとしたきっかけに想う<私>と<世界>とがうまくかみ合う感覚。偶然のなかに必然を、何気ない風景のなかに特別なメッセージをよみ取るような経験。
社会学は<世界>に言及する
一方で、幸福は、非常に個人的な経験であるのと同時に、外側の世界の方から、不意に訪れてくるようなものなのかもしれません。
もちろん、社会学は社会についての学問なので、普通は世界について触れることはありませんし、原理的に言っても困難です。
しかし、社会について突き詰めて考えていけばいくほど、その外側の端的な<世界>に言及せざるをえなくなります。そして、そうした<世界>のさし示しは、同時に、現実のわたしたちの営みとも決して無関係ではない、どころか、非常に重要な側面のひとつです。これは、そんな感覚を垣間見ることのできる素敵な本です。
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