7月29日、第10回Academeia・cafe「やらない善か、やる偽善か」を開催しました。
今回は久々のカフェ・イベントであり、また、司会役を京アカに春から新加入させていただいた私が、会場も”カモガワラボ”さんでということで、装いも新たにリスタートです。
当日は合わせて10名弱の方が集まってくださいました。テーマとカフェ・イベントという性質上ちょうど良い人数だったのではないかと感じます。
カフェ・イベントとして司会役を務めさせていただくにあたって、最も大事にしようと考えていたことは「結論を急がない」ことです。
個人的に哲学カフェ系の対話型イベントはディベートではないと考えています。つまり論を持って相手を打ち負かすことを目標とするのではなく、すれ違う意見の何がすれ違っているのか、異なる意見の何が異なっているのか、同じものを見ているのにどこに違いを感じているのか、そもそも同じものを見ていくのか、疑問を持って問いを掘り下げることを目標としています。
それなら結論は決して出なくても良い、究極的には議論の筋も見えていなくてもいいのではないかなと思います。議論が寄り道をしても回り道をしても、そもそもゴールにつかないといけないわけではないので全く問題はないわけです。そのように対話と思索を通して、今まで当たり前だと感じていたことが少しわからなくなること、分からなかったものが少し理解できたと感じることができることがあれば成功ではないかなと思います。結果、司会としてもあまり議論を仕切らず、むしろ積極的に新しい話題に乗っかる形になったかと思います。
肝心の議論の方はというと、震災ボランティア、24時間テレビ、募金や物資の支援といった具体的な事例についての話題や、そもそもなぜ偽善が非難されるのか、日本と外国の違い問いった話題まで多岐に渡り私としてもいい意味で予想を裏切られ、非常に興味深かったです。
結論を出すことは必要ではないと申していましたが、あえて結論めいたものを出すとするならば、「ボランティアに代表される善い行為(偽善い行為)にもルール、ガイドラインが設けてあれば善・偽善の問題の一部は解決するかもしれない」「自身の心の中の善、偽善の葛藤については、吟味し続けることが何より大事」と言えるでしょう。何だか一言で表してしまうと味気ないですね、実際に会場に来て参加してみないとわからない臨場感みたいなものもあるんじゃないかなと思います。
初めての司会で緊張しましたが参加者の皆様の協力もあり非常にスムーズにイベントが進行できました。主催の京アカの皆様、会場を貸してくださったカモガワラボさん、そして参加者の皆様にもこの場を借りてお礼を申し上げます、ありがとうございました。