榮久庵憲司という人をご存知でしょうか。
名前を知らなくても、榮久庵氏の作品はきっと見たことがあるはずです。
キッコーマンの「しょうゆ卓上びん」や秋田新幹線「こまち」、ヤマハのピアノ、オートバイ、それから、東京都のシンボルマークやコスモ石油やミニストップのロゴマークも栄久庵氏がデザインしたものです。
この本は、2015年に亡くなった氏を悼んで静岡文化芸術大学で開かられた公開講座を書籍化したものです。
デザインの根源にある「思想」
榮久庵憲司氏は1929年東京生まれ。東京藝術大学卒業後、「GKインダストリアルデザイン研究所」を設立し、日本における工業デザインの草分け的存在となります。
ところで、今回、私はなにも榮久庵氏のデザインが優れているということをたんに紹介したいわけではありません。彼は「戦後日本をリードしたデザイナー、事業家であると同時に『運動家』でもあった」とも言われます。つまり、その「思想的核心」に迫りたいと思っているわけです。
榮久庵先生の名作は数々ございます。[…]ただ技術的革新に支えられた作品が多いせいか。写真などを拝見すると、西洋起源のモダンデザインの権化のような、あるいは高度に機械化された近代文明の権化のような、そういうイメージを[…]受けるわけであります。
しかし、榮久庵先生のお考えに直接触れると、実はそうではない、外見や機能では捉えきれない、もっと深いところに榮久庵先生のデザインの本質があったというふうに感じるわけです。(熊倉功夫)
では、そのデザインの本質とは何なのでしょうか。
ところで、「デザイン」あるいは「飾り」という言葉には、”あってもなくてもよいもの”というニュアンスがあるのではないでしょうか。つまり、まずはモノの実用的な機能というのがあって、デザインはそのちょっとした付け足しに過ぎない、と。しかし、榮久庵氏はその見方を転換し、デザインの価値を高めることに貢献したわけです。
仏教から「物教」へ
なぜデザインだったのでしょうか。その動機を知るには、榮久庵氏の生い立ちが鍵になります。彼の生家は広島市の浄土宗の寺でした。ちなみに、寺を継ぐために佛教専門学校(現 佛教大学)に在籍していたということで、じつは京都とも縁があります。
「美しいもので世界を満たしていかなければならない」とは榮久庵氏のモットーです。背景には、「仏教の教えを現世において実現させる」という彼の宗教的な信念があったと言って差しつかえないでしょう。そしてもう一つは、敗戦直後、アメリカの占領軍兵士がもたらした「ガムとチョコレート」に象徴される、圧倒的な物質文明との出会いがありました。
榮久庵氏は自らの運動・実践のことを「物教」と呼びます。つまり、皆の幸せのために「物を通じて仏の教えを伝える」、さらに言えば、この此岸を浄土と化すための活動であると。
榮久庵 大きい物も小さい物も、[…]人様が安心して使うことができなければいけないという点では、みな同じです。[…]単にお醤油を差すだけのことですが、そういう単純な事柄にも、私たちは快さを求めているわけです。[…]それらの「事柄」を快くしてくれる「物柄」をどう生み出すかが私たちの仕事です
「学長対談 道具づくりとホトケ心」佛教大学・大学報より
資本主義はなぜ生まれたのか
ですが、ほんとうは私たちはここで驚くべきでしょう。なぜなら、仏教の信仰と工業デザインという仕事とは、ほんらい水と油のような関係であるはずだからです。禁欲と欲望、贈与と交換、遁走と活動、聖なる信仰と俗なる労働。では、いかにして「仏教から物教へ」の転換はなったのだろうか、と。
さて、ここで、少しでも社会学を学んだことのある人なら、ある学説を思い出すはずです。そう、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。
今日、世界を覆っているかにみえる資本主義というシステムですが、歴史的には近代西洋で生まれたものです。なぜ資本主義は近代西洋においてのみ生まれたのか。その謎に挑戦したのがウェーバーでした。
もともと西洋では、労働とはよくないこと、苦しみであると考えられており、古代ギリシャでは労働は奴隷の役目でした。これでは資本主義は成り立ちようがありません。資本主義が発展するためには、労働それ自体を目的に喜々として働くような、企業家・労働者の行動様式、つまり「エートス」が浸透していなければならないのです。
ウェーバーはそのきっかけ(のひとつ)が、キリスト教・プロテスタンティズムの教義にあることを発見しました。ここには、禁欲的な宗教的信仰が、資本主義という世俗的活動を駆動する原因に転嫁するという逆説があります。であるがゆえに、資本主義が充分に根づくということは、じつはよくよくのことだったということです。
日本社会最大の謎
ところで、日本はキリスト教やプロテスタンティズムの教えが普及している社会ではありません。一方で、かつての勢いはなくなったとはいえ、いまなお日本はGDPで世界第三位です。では資本主義の発展する土壌のない日本が、にもかかわらず、これほどまでに経済的な成長を遂げることができたのはなぜなのでしょうか。
この謎をめぐっては、おそらく、大きく二つの考え方があると思います。ひとつは、日本社会は近代化=資本主義化の土壌がなかったか、あっても不充分だった、”にもかかわらず“、近代化=資本主義化に成功した。この説は、経済史家の大塚久雄や政治学者 丸山真男といった「近代主義」の流れです。
もうひとつは、日本が経済的に成功している以上、機能主義的に考えれば、プロテスタンティズムの教えに代わるような”機能的代替物“があったはずだ、と。こちらは、社会科学の主流の説にはなっていませんが、論理的には一貫していると思います。
そして、榮久庵憲司氏の活動は、この二つ目の説に対するひとつの傍証となり得るかもしれません。
二重の生をいきる
繰り返して言えば、なぜ資本主義が生まれたのか。ポイントは、人々がたんに自分の利益を増やそうとしたからではないということが重要です。高利貸しのような職業は古くからありましたが、そこから資本主義は決して生まれませんでした。
なぜなら、資本主義に必要だったのは、ウェーバーによれば、労働が自らに与えられた使命であるといった、”他者”に対する強力な倫理観だからです。それを彼は「神の命令=天職」と呼びました。人々は日々淡々と目の前の仕事をこなしているだけに見える、しかし、じつはそれは”世俗的な目的以上の目的”に奉仕するときに、はじめて可能になるのです。
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