永遠平和のために ③:なぜ国家だけが戦争できるのか?

大窪善人


リヴァイアサン1

岩波書店(2023年02月15日)

 
平和について考える連続企画。

前回は、戦争を「正当な暴力行使」として捉えてみました。
今回は戦争と国家の関係について考えてみましょう。
今日、戦争を行えるのは国家だけです。なぜでしょうか。

「これは戦争ではない!」

具体的な話から入ります。

昨年11月のパリ同時多発テロ発生の直後、オランド大統領は「フランスはイスラム国と戦争状態にある」と議会で演説。国内では非常事態宣言を布告し、シリア北部への爆撃に参加しました。

今回の事件は、2001年に起きたアメリカ同時多発テロを思い出させます。テロ攻撃に対し、ブッシュ大統領は「対テロ戦争」を掲げてアフガニスタンへと軍を派遣しました。

こうした状況を受け、世界中で、このテロは「犯罪」か「戦争」かという議論が活発化しました。たとえば、ハーバーマスはインタビューで、「テロリズムに対する戦争」という大統領の宣言は「犯罪者たちを戦争相手に格上げ」してしまうという意味で、重大な間違いだと指摘します(1)。もし犯罪であれば、警察による捜査と司法手続きの範疇です。

たしかに戦争の定義は人が決めた相対的なものに過ぎません。ですが、テロリストを「犯罪者」ではなく「敵対者」とみなすということは、かれらをアメリカや日本などの国家と等しく、正当な暴力行使の主体として”承認”してしまうという意味で、問題があると言います。ましてその相手が国家を自称していればなおさらでしょう。

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利己主義が平和をもたらす

では、その戦争と犯罪とを区別する、もっともな理由とは何なのでしょうか。つまり、なぜ国家だけが正当な暴力=戦争を行使できるのでしょうか。

とりあえずの答えは、その方がより平和な状態に近づくからです。

そのように国家を理論的に基礎づけたのは、トマス・ホッブズ(1588-679年)というイングランドの哲学者です。彼の主著『リヴァイアサン』は、今なお社会科学の古典中の古典です。

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ホッブスの主張はある意味でとてもシンプルです。彼の哲学は、まず「人間」からスタートします。人間にとって最も重要なことは何でしょうか。彼は「生命の安全」、自己保存の欲求であると断言します。

ところが、人間の本性としては、自分の欲求を拡大しようとするので、そこから争いが生じます。そして、極端な場合には、「万人の万人に対する闘争」へと発展します。そこには、イングランド内戦に直面したホッブズの実感が伴っています(彼はフランスに亡命します)(2)

だから、闘争から抜け出し平和を実現する方法とは、個々人が生まれつき持っている自分の権利を放棄し、そのかわりに、強大な権力をつくり出すことに合意するという「社会契約」です。書名のリヴァイアサンとは、国家を神にも匹敵する力をもつ海の怪物に喩えたわけです。

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英西戦争 アルマダの海戦

彼の最大の発見は、「生命の自己保存」という功利的な目的から「社会契約=国家による暴力の独占」という理路を導き出したことです。

人々に平和を志向させる情念には、死の恐怖、快適な生活に必要なものを求める意欲、勤労によってそれらを獲得しようとする希望がある。

訳は中公クラシックス版

誰もが自然に持っている欲望や利己的な動機をむしろ延長してやることで、逆に、戦争を平和へと転換するという逆転の発想です。

ホッブズの難点

しかし、じつはこれだけでは国家権力を正当化するには不充分なのです。なぜか。

ホッブスの卓抜な議論によれば、人々が権利を放棄してまで国家に従う理由は、自らの生命の安全を最優先するという意図が働くからでした。

しかし、国家は、結果的に、国内の平和と安全を保障してさえいれば、たとえ統治の形が専制であろうが独裁であろうが問題になりません。なぜなら、ひとたび社会契約が結ばれてしまえば、人々(臣民)の意志は、主権者(君主)の意志の方に、つねに一致していなければならないからです。

じつは、ホッブズの描く国家は、平和をつくり出すという目的のために「有効」ではあっても「正当」ではなかったのです(3)

ホッブズの平和論には「正義」という観点が欠けている。ここが、永遠平和を唱えるカントとホッブズとの分かれ道であるように思えます。
 

(1)ユルゲン・ハーバーマス「原理主義とテロ」『引き裂かれた西洋』法政大学出版局、2009年。また、日本国内における同趣旨の議論としては、西谷修「これは『戦争』ではない」「世界」2011年11月号を参照。
(2)英西戦争でスペインの無敵艦隊がイングランドを襲撃するという報に母親が産気づき、ホッブズは早産で生まれた。ゆえに彼は自分のことを「恐怖との双子」と呼んだ。ホッブスの思想史的な位置づけについては、田中浩『ホッブズ』岩波書店、2016年を参照。
(3)この論点については、レオ・シュトラウス『ホッブスの政治学』みすず書房、1990年を参照。

 
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