永遠平和のために ④:絶対に破れない校則のような

大窪善人

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平和について考える連続企画。

前回はホッブズの社会思想に触れながら「正しさ」が平和を考える重要なカギになるという話をしました。
今回は、今後の展開を先取りするような形で、おおまかな見通しを示します。

不可解な安全保障法案

憲法の問題をとり上げてみましょう。

2014年7月に新安保法制の閣議決定が行われました。これにより政府は従来の憲法解釈を変更し、「集団的自衛権」の(限定的)容認へ踏み出しました。そして、翌年2015年9月には安保関連法が成立します。

その間、国会の内外で様々な議論が行われました。国会では何百時間も議論が行われ、その外ではSEALDsのような若者発の対抗運動が盛り上がったり、憲法や安全保障の書籍が相次いで出版されたりもしました。

しかし、これほど議論が尽くされても賛成・反対派の溝が埋まることはありませんでした。なぜでしょうか? また私自身、いくら安倍総理の説明を聞いても「安保法案や集団的自衛権のことがよく理解できた、じゃあやっぱり必要だな」とはなりませんでした。なぜでしょうか?

その理由は、この解釈改憲の内容が原理的に理解不可能なものだからです。

集団的自衛権とは何か?

どういうことなのか? しかし、その前にまず「集団的自衛権」とは何なのか確認しておきましょう。
憲法学者の木村草太氏によれば(1)、自衛権には「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の二つがあるといいます。

「個別的自衛権」とは、武力攻撃を受けた国が自分を守るために反撃できる権利です。他方、「集団的自衛権」とは、ある国が攻撃されたときに、攻撃されていない国が協力して反撃する権利です。

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集団的自衛権をよく理解するには「集団安全保障」と「集団的自衛権」の違いを知っておくことが重要です。

現代の国際社会では他国に戦争を仕掛ける侵略行為は違法です。これを「武力不行使原則」と言います。しかし、例外が認められる場合があります。侵略に対して反撃する「自衛戦争」です。

「集団安全保障」とは具体的には国連の枠組みですが、各国の合意が得られないので国連軍は組織できない状態になっています。そこで次善の策としてNATOや有志連合のような安全保障体制をつくって対処する。これが「集団的自衛権」の行使です。

非常に重要なことは「集団的自衛権」は自国の利益や権利を守ることとは別だということです。国際平和や国際関係を安定化するという目的、これが「集団的自衛権」を「個別的自衛権」から分かつ理由です。

じつは「集団的自衛権」ではない!

では今回の「集団的自衛権」の容認はこの定義に合致しているでしょうか。安倍総理は記者会見で集団的自衛権の行使は、日本人を守る場合に限るから「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれる」こともありえないと述べています。(2)

しかし、「集団的自衛権」の行使とは、本来自国の利益とは直接的には無関係なはずです。また、それでは安倍首相が自ら訴える国際社会への貢献、「積極的平和主義」とも合致しないのではないでしょうか。

国際政治学者の植木千可子氏は、「集団的自衛権を行使しなければ日本人を守れなくなる」という政府の説明は、国際社会に背を向けた「孤立主義」から一歩も踏み出していないと指摘しています。(3)

憲法9条削除論

では反対派の主張が正しいのでしょうか? ほとんどの憲法学者は、今回の解釈改憲が違憲だと主張しています。他方、憲法の問題とは別に、日本の安全保障政策はよく考えなければいけない重要な問題です。

法哲学者の井上達夫氏は、護憲派には二つの立場(原理主義的護憲派と修正主義的護憲派)があると言います。(4) 「修正主義派」は従来の政府見解とほとんど同じです。ふたつ目の「原理主義派」とは、憲法九条を文字通りに解釈せよという立場です。

井上氏が批判する理由は、この原理主義派が自らの原理を徹底できていないからです。一方でかれらは「平和憲法、9条を守れ」と言うけれど、他方で、どう考えても憲法と矛盾する自衛隊や日米安保を受け入れてしまっている。はなはだしい欺瞞だというわけです。

井上氏は非常に挑発的な意見として「憲法9条削除論」なるものを主張しています。とくにリベラル派から評判が悪いのですが、井上氏は9条を憲法から外して、安全保障の問題を他の政策と同じように、通常の民主的討議に委ねるべきだと言います。こうした議論をどうとらえればよいでしょうか。

絶対に破れない校則のような

たしかに憲法9条の理念は、現状ではどう考えてもバカげている。非武装中立はとれない。じつはそれは原理主義的護憲派が一番よく分かっています。憲法9条だけでは世界平和は成り立たない。だから9条を乗り越えた、正しい方法を考えなければならない。ではどのような?

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ここで思考の補助線を引いてみましょう。S.ジジェクは法・規範を乗り越える仕方には二つあると言います。(5) 一つ目は法を侵すこと。二つ目は法が許可することを文字通り行うことである、と。そして彼は、二つ目の方法が、ほんとうに法を乗り越えることであると言うのです。なぜか?

私の個人的な体験がヒントになります。

高校時代、友人とのやりとり。あるとき友達が学校に帽子をかぶってきたいと言いました。学校は制服だったので、帽子を着用してもいいか学生手帳で校則を調べてみました。すると、「制帽もしくは制帽以外の帽子に指定のタイを巻くように」と書いてありました。

さっそく彼は購買部に帽子かタイを買いに行きました。すると、なんとどちらも扱いがないと言われたのです(おそらく長年誰も買いに来ないのでなくなったのでしょう)。つまりこの校則の規定は、そもそも遵守不可能な規則、裏を返せば、絶対に破れない規則だったのです。

学校内でボタンやネクタイをゆるめて制服を崩して着るのは、一見すると校則という規範からの逸脱だと思われます。しかし、じつはそんなことでは全く学校の秩序は揺るぎません。なぜなら「校則から逸脱する」ということ自体、すでにその規則の存在を認めてしまっているからです。では本当の意味で規則から自由になるとはどういうことか。許されていることを徹底して行うこと、これであると。

なぜイサクは助かったのか?

ジジェクは『旧約聖書』創世記の「イサクの燔祭」を引き合いに出します。イサクは、神命を聞いたという父アブラハムに連れられモリヤの山に向かいます。そしてそこで神の生贄に捧げられようとしたまさにその瞬間、神はアブラハムの行為を制止したのです。

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いかに神の命令とはいえ、アブラハムも実の息子を殺したくなかったはずです。そんなバカげた命令はないと。しかし彼は息子の殺害を決断します。つまり、どう考えても子供が助からない選択をした。しかし、だからこそ、結果的にイサクは助かったわけです。

このパラドックスはこう解釈できます。与えられた命令に徹底して従うことが、逆にその命令のはらむ矛盾をあらわにする。命令の徹底的な遵守は、結果として、その命令自体を乗り越えることがある、と。

永遠平和への途方

安倍総理は、おそらく憲法9条を乗り越えようと考えて、今回の解釈改憲を行ったのでしょう。しかし結果的に「個別的自衛権」の拡大にすぎなかったわけです。つまり、本当の意味で憲法を乗り越える「集団的自衛権」になっていない(もちろん賛成するかどうかはまた別の問題です)。

では、本当の意味で憲法9条を乗り越えるにはどうすればよかったのでしょうか。それは、安倍総理や政府が、誰よりも、どの政党よりも憲法を尊重し、9条を遵守することによってでしょう。「そんなバカな!」「まったく現実的ではない絵空事だ!」と言われるでしょうか?

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その通りです。ですが、そうすることで初めて見えてくる景色があるのではないでしょうか? 日本一国だけでは世界の平和は実現できない。ではどうすればいいのか。「集団的自衛権」とは何のために使うのか。国連を改革すべきなんじゃないか等々。

今から二百数十年前、『永遠平和のために』のなかでカントは「平和」には二つあると述べました。一つは、墓の下での死という名の永久の平和。そしてもうひとつは「人間が暴力と戦争について考え直し、新たな世界を切り開いたとき」であると。私たちがどちらに向かって歩むべきかは明らかなはずです。

 

(1)
木村草太「インタビュー 安保法案のどこに問題があるのか」長谷部恭男編『検証・安保法案どこが憲法違反か』有斐閣、2015年、9-34頁、を参照。以下、筆者の個別的・集団的自衛権の理解は、主として木村氏の説明に負っている。
(2)
安倍内閣総理大臣記者会見(2014年7月1日)/首相官邸 Web page、を参照。
(3)
植木千可子『平和のための戦争論』、筑摩書房、2015年、14頁、を参照。
(4)
井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』、毎日出版社、2015年、46-62頁、を参照。
(5)
〈法〉を転覆するには二つの方法がある。[…]ひとつは禁止を破る/踏み越えることができる。いいかえれば、既存の秩序を維持するために、支配的なイデオロギー(人〈権〉)に背くのである。これよりもはるかに転覆的なのは、許されていることを、すなわち既存の秩序が明確に容認していることを、単純に行うことである。」(強調は筆者による。) S.ジジェク『脆弱なる絶対』、青土社、2001年、209-10頁。

 
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